記憶に残るスケーター達(1) | マイクと michi のブログ

マイクと michi のブログ

マイクはアメリカン・ショート・シルバー・タビーのメタボ猫。michi はマイクの「飼い主」兼「婆や」。大事なマイクを忘れて、イチローや高橋大輔に夢中になることがよくある。マイクの名前はマイケル・ジョーダンから。ネコとネコ的な男性アスリートに胸アツ。

4月19日

国別対抗戦が終了。今季シーズンのメインイベントが終わったねフィギュア・スケート
次から次へとたくさんのものを "失った" シーズン泣ハートブレイク

飼い主の michi、ブログに載せたいことがあるらしい
ささみのジュルジュルと交換に、しばらく僕は寝ていることにするネコぐぅぐぅ

えっはてなマーク 連続で載せたいの!? 何か溜まっているんだな、彼女の心

☆☆☆☆☆彡

フィギュアスケートは随分と長く見てきた。はるか昔の幕張ワールド、フランスのボナリー選手が表彰台に乗るのを拒んだ光景も心の痛みと共に覚えている。

競技をかかさず見るようになったのは2005年から。会場に足を運ぶようになったのは2007年。素晴らしいスケーターと魅力的なプログラムの思い出が満載、豊かな時間を経験できた。今、高橋大輔が彼のスケート人生に区切りをつけるこの機会に、自らの記憶を整理してみたい。なぜ、これらのスケーターが私の記憶の中で輝いているのか。

記録より記憶。この言葉はフィギュアにこそ相応しい。皆が納得いくジャッジはあり得ないし、採点競技は常に裏取引の噂から逃れられない。見ている者の記憶が順位の優位性を上書きし、その時の優勝者の名前も演技も頭の中からすっかり消えているのに驚く。色あせない記憶を4つのグループに分けて辿ることにする。主に競技プログラムから。

1.作品を完成させる:ステファン・ランビエール、ジェフリー・バトル、高橋大輔
2.スケートで魅せる:パトリック・チャン、小塚崇彦、高橋大輔
3.動きで魅せる:デニス・テン、ジェイソン・ブラウン、そして……
4.生き方で印象付ける:ブライアン・ジュベール、ケビン・ヴァン・デル・ペレン、そして…
5.番外編:


1.作品を完成させる:ステファン・ランビエール、ジェフリー・バトル、高橋大輔

勝つために滑る競技プログラム。それを舞台芸術の一作品のように完成させる力を持つスケーターは稀だ。ヨーロッパのステファン・ランビエール、北米のジェフリー・バトル、個性と背負うものは異なっていても、この2人は観客に自らが創り上げた作品を届ける。振付の枠を超え、プログラムのデッサンに色と味わいを加え、氷上の主役は自分等であることを示す。
ジャンプ、スピン、ステップなど、各エレメンツの評価が高いのは言うまでもないが、フィギュアにはその上の世界がある。音楽とプログラムを理解する知性と、構成を積み上げていく客観性とが作り上げる世界感は格別、良質の芸術作品を鑑賞したような感覚を与えてくれる。
代表作品として一つ挙げれば、ステファンの『ポエタ』、ジェフの『アララトの聖母』。好みで言うと、『ポエタ』よりなぜか私は『ブラッドダイヤモンド』だけれど。

ステファン


ステファンが体現するヨーロッパ的なもの。舞台劇のようにクライマックスまでの道筋を明確に表していく。ここから盛り上がればいいのだなと、結末の分かったドラマを見ている安心感がある。変衣装を着ることがあっても、プログラムの王道は外れない。ヨーロッパ芸術の特徴ともいえるが、堅固な伝統の上に罠をしかけて崩すことを楽しむような、でも基盤は壊しきれないような。
歌舞伎で言うところの「かぶく」。ハチャメチャなことをしているようで、プログラムの選曲と構成はステファンらしいものが続く。期待を裏切らない、高いクオリティの作品を氷上に展開し続ける強靭な精神は驚異的である。ロングランの舞台で主役を演じ続ける超一流のアーティストと共通した、熱さと冷静さのインテグレーション。

一方、ジェフのプログラムには旋律の選択に斬新さが目立つ。不協和音を聴かされた時のように、心がざらつく事も。コンテンポラリーダンスの意外性を楽しむ器量が求められる。ジャズにしてもブルースにしても、従来のリズムを覆す音楽を生み出した北米。奇をてらうことなくとも、そもそもが斬新。振付師、デイヴィット・ウイルソンの個性なのかもしれないが。

ジェフ


2007年東京ワールドで演じた『アララトの聖母』では、この音を選ぶのか、この滑りを組み合わせるのかと、新鮮な驚きを感じた。ただジェフの演技からは人の情念が伝わってこない。言い換えれば無機質。嫉妬とか劣等感とかドロドロしたものを演ずるジェフには違和感がある。彼はストーカーのような愚かな行為はぜったいしないだろうなという、実態は知らないものの、妙な安心感がある。宝塚の舞台を見ているようなというと語弊があるだろうか。

ジェフが『道化師』を滑った際、嫉妬に狂い殺人を犯す男の姿はそこになかった。競技プロとして評判が良くないためシーズン途中に他の曲に変更。彼は諦め切れずに、この作品をエキシビションで披露していたが、ライト効果のあるリンクでも人の心の闇は演じられていなかったと思う。その点、ステファンは人間臭い男になれる。ヨーロッパvs.北米とするのは単純化し過ぎだろうが、でもその視点から見ると面白い比較になるのも事実である。

ステファンはジェフより戦略的で、時にはあざとさも見えてくる。バンクーバーで披露した『ウィリアム・テル』は芸術作品というより顔見世興行に近かったが、ジェフには出来ない俺様アッピールだったと感じた。

この2人が、現在振付に携わり、ともに大きなショーのプロデュースに関わっていることはむべなるかな。彼等には操る側のしたたかさがある。フィギュア界を支える屋台骨がヨーロッパに1本、北米に1本。競技者としての彼らをリアルに見ることができた幸せに感謝し、これからの活躍を楽しみたい。

ステファンとジェフが知性と客観性なら、高橋大輔は感性と主観性の人かもしれない。彼等とは異なる天賦の才に恵まれた大輔にとり、音楽との一体性こそがプログラム完成の原動力。あえて言えば憑依と言えるくらい、氷上で何かが彼に降りてきて観客を翻弄する。プログラムはあっという間に終わり、私達は夢からうつつに投げ出されて我に返るような感覚を味わうことになる。凄いものを見たんだけど、なぜか記憶が飛んでいるといったふうに。見ている者が熱く反応しているだけで、滑る本人は意外と冷静なのかもしれないが。
彼はあえてプログラムの内容を頭に入れず、音楽から受ける感じのみで滑る時があると言っていた。これでは引退後の仕事として振付師は難しいかな。振付けされるスケーターの困惑する表情が容易に思い浮かぶ。自ら表現者として氷に立つこと、これが大輔の天職だと強く思う。

eye


大輔の代表作品にバンクーバーの『eye』と『道』をあげておこう。異なるジャンルの作品を、並行して、これほど高質で完成させる才能は稀有である。例えばジェフが『eye』を滑るところを想像してみる。タメで動くジェフに違和感ありまくり。同じくステファンが滑る『道』。軽みのある無邪気なステップを踏む姿にいたたまれなくなりそうだ。ヨーロッパの作品である『道』なのに。

道1


道2


ふと、タンゴの熱苦しさと、ジェルソミーナの少女的な純真さの両方を演じきる器量は狂気に近い領域の気がしてきた。多重人格とか、分裂症とか。演じる大輔の精神は無事だったのだろうか。他者には見えない部分で、ひびの入った己の人格を抱き、粉々に砕け散るのを必死に守り続けていたのかもしれない。

オーラの色を変幻できる大輔。彼が滑る『ポエタ』、『アララトの聖母』は充分に想像ができ、彼の演技で見てみたいとさえ思える。色濃い個性を持ちながら、プログラムに同化できる大輔は不思議な存在のスケーターでもある。カメレンゴが大輔に振付けるのは振付師の夢と語ったのはリップサービスではないだろう。
クラシック、タンゴ、ラテン系、ジャズ、ブルース、ポップス、ヒップホップ、声楽曲、ありとあらゆる分野の音楽と一体化するスケーターに、音楽なしで滑らせたいというのは究極の夢なのか。
雅楽と言うのはどうだろう。もしくは、黒澤明『乱』の冒頭部分で使われていた和楽器と疾駆する馬の蹄の音とか、武満徹の世界とか。『思い出のマーニー』のせいで、大輔が演じる事の出来ない世界を想像するのがさらに難しくなってしまった。

この3人が、ただアイスショーで共演するのでなく、新しい企画を共に立ち上げ、火花を散らして欲しい。やり合うのはステファンとジェフだけで、大輔は間に挟まれてオロオロしながら、実は一番美味しいポジションをちゃっかり占めているような気もするが。操る2人、でも場を支配していたのは入魂の操り人形の方だったとか。大輔が日本を離れることで人脈に変化が生まれ、新世界が誕生することを夢見ている。ビッグバンドンッの目撃者になりたい。(続く)