時間の観念が消えた時にはじめて理解されるもの。「すべては決まっている」「すべてはひとつである」
転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/35b1d9e520caa3325f1e8e1cfce4fa43
(ここから)
「決定論」
たいようさんから、こんな書き込みをいただきました。
ありがとうございます。
*****
やはり実感が必要なんだと思います。
すべては決まっているという実感、
すべてはひとつであるという実感、
体験することが。
*****
これに似たような書き込みは、これまで何度も頂戴してきました。
「アタマではわかるのです。ですが、実感が伴いません。体験を求めているのです」的なものも含め。
これは説明がややこしいし、反感を買いそうだし、ってんで、僕も言及を避けてきたところなのですが、とても大切なことなので、あえてお話してみようと思います。
この「人間には自由意志があるのか?無いのか?」という命題は『決定論/非決定論』と呼ばれ、昨今の精神世界に限ったことではなく、古くから、神学・哲学・自然科学・量子力学・道徳・倫理・法律などなど、さまざなま領域で語られ続けています。
まず、結論からお話すると、
「すべては決まっている」という実感、
「すべてはひとつである」という実感、
それを<わたし>が体験することは、不可能です。
なので、たいようさんが、
>でも何となくこんなものじゃないんじゃないかな、と思っています。
>自分の理解を超えたものがあるんじゃないかとなと。
とおっしゃっている通りでして。
「<自分の>理解を超えたもの」なんですね。
なので、とっても変な話ですが、いましているこの話も、「僕(黒澤)の理解」じゃないんです。
人間に自由意志はありません。
が、それを<わたし>が理解することはできません。
人間に自由意志はありませんが、<わたし>には自由意志があります。
やっぱり、「なんのこっちゃ?」って、なります?
昨日の図表の通りなんです。
「すべては決まっている」「すべてはひとつである」
これは、<わたし>というパーソナリティと、時間の観念が消えた時にはじめて理解されるもので、<わたし>が経験できるものではありません。
「<わたし>がない」「No Border」だからこそ、「すべて、そう決まっている」としか言えなくなるんです。
分離がないんだから、そこには「決めた(選んだ)」主体もなければ、「決められた(選ばれた)」客体も存在しない。
だから、「決まっている(起きている)」なんです。 これ、通じますでしょうか?
また、この言葉の文頭に「あらかじめ」や「すでに」という言葉を使うことは、厳密にいえば不適切です。
「すべては決まっている」「すべてはひとつである」というのは、「過去と未来は幻想で、今のみが実在」というステージで明るみにでる理解ですから、「あらかじめ決まっている」という「過去」を想起させる表現は誤解を招きます。
これすらも適切とは言い難いのですが、あえていえば、「いつ決まっているか」といえば、それはやはり「今、決まっている」とならざるを得ません。
だって、「いましかない」んですから。
以上をふまえて、それを「<わたし>が理解・体験しようと努力してもしょうがない」ということになるんです。
さらに言えば、この「すべては決まっている」という立場は、こと『社会性』においては、あまり有益とは言えません。
「社会」の観念が外れて、はじめて有益(苦悩との離別)に変わるものです。
「よりよい社会生活」のために、その理解を求めているのであれば、そもそもの見当違いです。
これらは「出家(世俗を離れ仏門に入る)」サイドのお話で、「在家(世俗の生活を営みながら仏道を歩む)」サイドに適用できるものではありません。
むしろ、社会生活を送っているなかで、このゾーンに入ってしまうと、おそらく、解放はあれど、少なからずのパニックになるでしょう。
一方、この「すべては決まっている」という言葉との出会いによって、理解は伴わなくとも救われる方々がたくさんいるのも、また事実でして。
例えば、「悪意なく加害者になってしまった場合」など、過去の出来事に引きづられることで、苦悩を抱えている人にとっては、大きな救いになります。
そういうことでもないかぎり、無理に深追いして「わからないということに対しての苦悩」を抱えてしまうのは、なんだか変な話で。
「好奇心で目を向ける(ワクワク)」というのと、「わかろうと必死になる(深刻)」ってのは、やっぱりステージが違うからね。
で、ついでにいうと、図表の通り、「すべては決まっている」というのは、「がっかり」というニヒリズムになるのではなく、「リラックス」の下支えになるものなので、深刻さや虚しさを抱える<わたし>には、やっぱり捉えようがないんですね。
ストイックに追い求めるほどに、遠のいてしまいます。
さてここで。
おそらく多くの皆様のアタマの上には、こんなクエスチョンが廻っていることと思います。
「<わたし>に自由意志はない。それを<わたし>が理解することはできない。じゃ、誰がそう理解しているの?」という。
これはね、実は「だれでもない」のです。
というのは、『理解とは何か』ということがわかってくると、少し見えてくるかも知れません。
(ここまで)
ありがとうございます
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