「目覚め」「気づき」「アセンション」「悟りも」、「誤っていたことに気がついた」ということなんです | 地球の愛と光・本来の姿へ

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「目覚め」「気づき」「アセンション」「悟りも」、「誤っていたことに気がついた」ということなんです。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/a51b912b58162c0c3a6a23a7223164e7

(ここから)

ウロコポーロ

えー。

そんなこんなで、早速「ウロコポーロ理論」のお話を進めていきたいと思いますが、その前に。

まずはですね、この「ウロコポーロ」という、この言葉のニュアンスからお話していきたいと思います。


【ウロコポーロ】

目から鱗が落ちるさま。また、その人。



「目から鱗が落ちる」という慣用句を、ユーモアとともに見事に単語化したこの言葉は、もともと、僕が言い出したものではありません。

数年前に、あるコメンテーターさんから書き込みをいただいたものなんです。

で、コメント欄で拝見して、すっかり一目惚れしてしまいました。


いわゆる「目覚めの一瞥」の説明をするとき、聞くとき、「悟り」と言われると何だか偉そうだし、妙に仰々しい。

「アセンション」だと、何だかわからない。

「目覚め」や「気づき」なら、少し仰々しさは和らぐでしょうか。でも、一般的に使われる「目覚めや気づきと、何がどう違うの?」ということもあるし…。

でも、『ウロコポーロ』には、そういう違和感を感じさせない軽やかさがあったんです。


そしてまた、僕の経験を振り返ってみても、『ウロコポーロ』が一番しっくりする気がします。


と、言いますのもね…

この「目から鱗が落ちる」という慣用句を辞書で調べてみると、そこには驚きの事実が。


*****

目(め)から鱗(うろこ)が落(お)・ちる

《新約聖書「使徒行伝」第9章から》何かがきっかけになって、急に物事の実態などがよく見え、理解できるようになるたとえ。

*****


と、いうことで、この言葉の語源は「新約聖書」。そしてまさに「キリストを迫害していたパウロ(サウロ)が目覚めを経験し、回心するエピソード」から、来ていたんです。

で、さらに調べてみますと、この「鱗」は、魚の鱗のことではなく、蛇の鱗のことだそうで。(蛇の目は鱗で覆われています。 脱皮のときに目の鱗も一緒に剥がれるため、「目から鱗が落ちる」んだそうです)

w( ̄Д ̄;)w え~!ずっと、魚の鱗だと思ってた~!! まさに目から鱗!



とにもかくにも。

「目覚め」も「気づき」も「アセンション」も「悟り」も、その言葉の奥に、なんというか「何か新たなものを知った」というようなニュアンスを感じたりしませんか?

「覚者」と聞くと、どこか「あらゆる真実を知った人(過ちを犯さない人)」をイメージしてしまいませんか?

でも、僕がお話している「目覚めの一瞥」や「ウロコポーロ」のニュアンスは、それとは、ちょっと違うんです。

「すべてを知った」というよりも、「誤っていたことに気がついた」ということなんです。

「正しさを知った(得た)」のではなく、「鱗(思い込み)が落ちた」だけなんですね。

勿論、鱗が落ちた分、視界は以前よりクリアになっています。

でも、目の中にある鱗は、1枚や2枚じゃないんですよ。

「まだ入ってるのかよ!」と、さまーず三村さんのテンションで突っ込みたくなるぐらい、いろんな種類の鱗が入ってる。


だから僕は、「真実を知った者(覚者)」ではありません。「目から、いくつかの鱗が落ちた者」です。

そしてまたその経験から、「ウロコ」の存在と、そのウロコを目に入れたがる人間の心理に気づいた者です。

さらにさらに、一度落ちたウロコを、わざわざ目に入れ直したりもする者です(笑)


だから、僕がここでお話しているのは、絶対的な真理の提示ではありません。

そしてまた、僕好みの価値観・観念を広めることでもありません。

そうではなく、僕たち人間が、すでに持ってしまっている「自分自身の可能性を閉ざし、自らを不自由にしている価値観・観念(鱗)」の存在に気づいて欲しいだけなんです。


ここは大事なポイントなので、改めてお話します。


僕の話を「情報として得る」ことは、あまりオススメしません。

そういう使い方を前提としてこのブログに関わると、それは新たな「鱗」になってしまいます。

それは、僕のしたいことと真逆のことです。

僕の話は、あくまで「目から鱗が落ちる」を経験するための一つの切っ掛として使ってください。

「得る」のではなく「落とす」(厳密には「落ちる」。自我には落とせません)ために、使ってください。



それから、

お気付きの方も多いとは思いますが、僕は頻繁に「極端な話し方」をすることがあります。

前回の「指摘」のお話もしかりで、時に、その極端さに対して「黒斎さんは、そうやって断定的に話すけど、それだけじゃないよ、もっと別な解釈だってあるよ」というツッコミが入るわけです。

その指摘の数々は、確かにその通りなんです。

だから、そのご意見を排除するつもりも、僕の提示したものだけを押しつけるつもりもありません。


ただ、知っておいて欲しいのは、僕がその話(話し方)を持ち出したのは、別な意図があってのことだということです。

その意図とは、「無数にある鱗の中から、ある特定の鱗を、ピンポイントで落とそうとしている」というものです。

「その鱗」が目に入っていた人は、そのメッセージを切っ掛けに「あっ!そうか!」となる可能性がありますが、その鱗がない方にとっては、まるで意味を持ちません。

まるでピンときません。僕が、何を話そうとしているのかが掴めません。

だって「元からその鱗がない人」は、「その鱗があることで、どんな世界が見えるのか」が、わかりませんから。

そして、そのギャップの中に、様々な意見が飛び交い、収拾の付かない論争が生まれてしまうんです。

ですので、ピンと来ないときは素通りしてください。


このブログは、その媒体の特性上、不特定多数の方に対して発信されます。

しかしながら、話の内容は、閲覧者全員に向けられているものではありません。

たとえ僕が「あなた」と書いていても、それは「あなた」ではなく、僕が想定している「鱗の持ち主」に向けたものです。


ここにあるメッセージは、万人のためのものではありません。その話を切っ掛けに「あっ!」となれる人のためのものです。

まずは、そのことを改めてご了承ください。

そしてまた、余裕がありましたら、そういった観点からこのブログや本を、何度か読み直してみてください。

そうすることで、以前は何気なく素通りしていたところに、新たな「ウロコポーロ」が起こる事もあると思いますので。


(ここまで)

ありがとうございます。
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