「いい」「悪い」ってレッテルを貼るから、「不自然な努力」が生まれるんです。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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「いい」「悪い」ってレッテルを貼るから、「不自然な努力」が生まれるんです。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/b846a27546312054dfef31717e7c3a86

(ここから)

「アンチエイジング」

どうなんでしょう。やはり女性にとっては、受け取り難い言葉なんですかね、「すっぴん」って。

勿論僕は「化粧することは悪いことだ!」なんて話をしているわけではないですからね。

それを「身だしなみ(人に不快感を与えないように、言動や服装を整えること)」と言う意味で捉えるなら、それは大切な心掛けだと思いますよ。

でもそれが「自分の劣等感、コンプレックスを補うため」という根底で行われているなら、「本当の自分(素の自分)を受け入れることができていない」ということですから、それは自己欺瞞の一つですよ、ということなんです。

先の比喩で使った「すっぴん」という言葉は、言い換えれば「無垢」とか「無邪気(素直で悪気がないこと。いつわりや作為がないこと。また、そのさま)」という言葉に近いニュアンスです。

※この「無邪気」も、「あどけなくかわいらしいこと」だとか、「思慮に欠けること」という意味で使っているのではないですからね。


また、「何もしない」という言葉も、「自己欺瞞」に対して掛かっている「何もしない」なのですから、「生活全般においてなんの行動も起こさない」という意味で使っているわけではありませんよ。

「何もしない」という言葉の意味・ニュアンスを取り違えてしまうと、「じゃあ人間は堕落したままでいいとでも言うのか!?」なんていうトンチンカンな話になっちゃいますからね。

「何もしない(自分を偽らない)」ということと、「何もしない(寝て暮らす・自堕落)」ということは全く別次元の話ですから、せめてそのぐらいのニュアンスの違いはわかって欲しいと思います。


また、コレに関連して、こういった話をする際、必ずといって良いほど引き合いに出される言葉に「努力」という単語があります。


「じゃあ何か。お前は全ての努力を否定するのか。」と、まぁ、こういう調子で反発されるワケですが、コレも全く話が違うんです。

僕は努力を否定しているのではなく、「努力の方向性が違っている」という話をしているんです。


こういう例えは、また女性から反発を受けてしまいそうな気もしますが、わかりやすいので「アンチエイジング」を題材にお話します。

「アンチエイジング」という発想は、「若さ」に価値を置き「老い」を嫌う所から生まれています。

「若さ」が美(善)であるのに対し、「老い」が醜(悪)。

この集団的固定観念があるがゆえの対抗策が「アンチエイジング」です。


まぁ、「いつまでも若々しく」でもいいですよ。僕も若々しくてキレイな女性は大好きです。

でもね。

人間って、老いて当たり前じゃないですか。

「老い」の一番の原因は、食生活でも運動不足でも睡眠不足でも不摂生でもなく「誕生」ですよ。

生きている以上、老いるんです。

その「当たり前(摂理)」を「当たり前(摂理)」と受け入れず、「悪しきもの」として取り扱うから「老い」という流れに反する思考や行動が生まれるんです。

努力しようが、誤魔化しようが、老いるものは老いるんです。(そのスピードにも個人差があります。誰かと比較してもしょうがありません。)

老いは単に「流れ」であり「摂理」なんだから、いいも悪いもないんですよ。ホントは。

そこに「いい」「悪い」ってレッテルを貼るから、「不自然な努力」が生まれるんです。

もし、世間に「老いは悪しきもの」っていう観念がなかったら、「老い」が価値として捉えられていたら、随分違う世界になっていると思いませんか?


『人は、老いる。』

これをそのまま受け入れることが出来たなら、シワが出来ても、毛が白くなっても、身体の自由が利かなくなっても、それが「当たり前」なんだから、わざわざ流れに逆らうことなんてしなくていいんです。

コンプレックスを隠すことに必死になる分の努力を、他の事に向けることができます。

老いたなら老いたなりに出来ることを楽しめばいいと思うんです。

無理に若づくりを頑張っちゃうより、若いからこそ出来なかったあれこれを見出し、老いているからこそ出来ることに喜びを見出せばいいと思うんです。

出来ないことに目を向けて嘆くのではなく、出来ることに目を向けることで自然と流れに乗れるもんです。

「努力」を、「老いに逆らう」ことではなく、「今(老い)を楽しむ」ことに向けることができるはずです。

(で、皮肉な事に、流れに逆らわず今を楽しむことが出来ている人って、大概若々しいんだよね…。)


若かりし頃は「見ておけ、いつか幸せに…」って歯を食いしばって未来を夢見て、歳を取ったら取ったで「もっと若ければ…」って過去にしがみついてちゃ、いつ報われるっていうのさ。ねぇ。


同じ「努力」という単語でも、その先にある「質」は全然違うものなんだけど…


通じてますかね?

(ここまで)

ありがとうございます
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森林の中の光の撮影です。

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