「目覚めている」ってどんなことかと言うと、「今を完全に受け入れられている」っていう状態なワケです。
転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/acd76b8499b2b0f1b6caba4ad90d4fae
(ここから)
「データベース」
結局ね、「目覚めている」ってどんなことかと言うと、「今を完全に受け入れられている」っていう状態なワケですよ。
それがどんな内容であれ、「現状を受け入れられない」という“自分のあり方”が「苦(ストレス)」なワケだから。
目の前にある現状を受け入れられないということは、必然的に思考(意識)が「今」ではないどこか、「ここ」ではないどこかに向かうことになります。
「あの時、ああだったら良かったのに…」という後悔は「過去」、「もっと、こうならなければ…」と、何かを追い求めているのであれば「未来」に縛られます。
過ぎ去ってしまった過去の出来事を変えようだとか、いまの自分には何かが欠けているから、その穴を埋めなければならないという努力は、「新たな苦」へと変貌します。
過去の出来事は変えることが出来ません。出来ないからこそ「思い通りにならない」という苦しみを生み、「現状を受け入れられない」という出発点に戻ってしまいます。
変えられるのは「出来事の意味をどう捉えるか」という「今の自分のあり方」だけです。
「未来」もコレと同じです。
「現状ではダメだ」という思考がベースとなり「今」から目を背けている以上、欠乏感が無くなることはありません。
「満足」とは「いまを良しとする」という以外の何ものでもないからです。
覚者とは、優れている人のことではありません。偉大な人のことでもありません。感情の起伏がない人でもありません。
完全に、今を受け入れることができている人のことです。
では逆に、なぜ凡夫は「いま」を受け入れることが出来ないのでしょうか。
その理由は、頭の中にある「データベース」のせいなのです。
脳は、経験をある程度蓄えると、新しいモノを受け入れなくなっていく傾向があります。
いま感じている「体感」を、そのまま新たな情報として取り入れるのではなく、過去にあった「似たような状況」を検索し、比較・分類し、データベースを整理しようとします。
新旧の情報を照らし合わせ、合致出来た情報だけを受け入れ、認識範囲を超えてしまった新たな情報は切り捨ててしまうんです。
例えば、お母さんが作ってくれる、お味噌汁の味。
同じお母さんが作るお味噌汁でも、厳密には日によって味が異なっているはず。
「まったく同じ味」を再現することは不可能なんです。
プロの料理でも同じです。
同じ店の同じメニューでも、「まったく同じ味」を再現することはできません。
「因」と「縁」が、以前と今では、まるっきり変わってしまっているからです。
それでも「同じ味」として認識してしまうのは、「いま得た味覚」ではなく、「データベース(味の記憶)を頼りにした味覚」で味わっているからです。
フレッシュなはずの情報が、蓄積されたデータベースによって、古い情報に書き換えられてしまっているんです。
何か新しい行動を起こすときも、データベースを検索し、シミュレーションが行われます。
でも、シミュレーションはあくまでもシミュレーションであり、真実ではありません。
以前出来なかった事が、今は出来るかもしれません。逆に、昔出来ていたことが、今は出来なくなっているかもしれません。
その「データベース」のことを「固定観念」って言うんだけどね、コレがあればあるほど、結果自分が苦しむことになるんです。
固定観念をスッパリ捨てて、新鮮な情報は新鮮なまま、過去のデータと比較・分類することなく素直に受け取ることができること。
それが「今を受け入れる」ってことなんです。
そこにはもう「いい」も「悪い」もないんです。
だって、「いい」とか「悪い」って捉えるためには、何かと「比較」しなくちゃならないでしょ。
比較するデータを持ち出さなければ、その情報はオンリーワン(あるがまま)でいられるわけです。
(ここまで)
ありがとうございます
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森林の中の光の撮影です。
引き寄せの法則、宇宙の法則 コロナ追記
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