私たちの普段の生活は、全然「身と心が一致していない」ってことで、「いまここ」ならぬ「いつどこ」状態なワケですよ。
転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/b4caaf9aa59d6ff083f6059fb777f35e
(ここから)
「三昧」
さんまい【三昧】
三昧(さんまい、Samadhi, サマーディの音写)とは、仏教における禅、ヒンドゥー教における瞑想において、精神集中が深まりきった状態のこと。
※フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
「さんまい」と言うより「ざんまい」と発音した方がなじみ深いですかね。
「部長の今回の出張、実は仕事じゃなくて連日ゴルフ三昧らしいよ。」とか、「いやぁ、休日はもっぱら競馬三昧ですよ。」とか、「明星のインスタントラーメン?あ、それは中華三昧。」とか、まぁ、そんな感じで日々会話に登場する『三昧』。
阿部さんの講演会や、いまここ塾なんかでは何度も登場してそうなのでご存じの方も多いかとは思いますが、今日は『三昧』に関してのお話です。
「三昧」の元々の意味は何かに対しての「道楽」を指しているのではなく、「身と心が一致している」と言う意味なんですって。
“禅”の世界では、人間が到達できる最も高い境地の事を「三昧」と呼んでいるのだそうです。
「身と心が一致している」ことが人間が到達できる最も高い境地。
だとしたら、それを逆さに見れば、私たちの普段の生活は、全然「身と心が一致していない」ってことですね。
「身と心が一致している」。これ、言葉を替えると「“いまここ”にいる」ってことなんです。
あまり意識はしていないと思いますが(いや、むしろ意識していないからこそ)、僕たちは普段「いまここ」ならぬ「いつどこ」状態なワケですよ。
日中仕事しながら「今晩のおかず、なににしようかなぁ…」とか、朝起きた途端に昨日の失敗を思い出して、学校行くのがイヤになっちゃったり、会議の席で、その議題よりもポケットで震え続ける携帯電話に意識が行っちゃってたり。
身体は「いまここ」にありながらも、意識が「夕刻(未来)のキッチン」や「昨日(過去)の教室」に飛んじゃって、いわゆる「心ここにあらず」の状態になっているんです。
身体は「いまここ」、意識は「いつどこ?」。
ね、これじゃぁサッパリ身と心が一致していません。
何を行うにも注意散漫状態だから、自分の持っている能力も、きちんと発揮しきれません。
そんな時は、気持ちはなんだかソワソワしてたり、憂鬱になってたり、妙に浮ついてたり。
呼吸は浅く、不規則。首や肩には力が入り、「落ち着き」というものが感じられません。
だからね、「三昧」は、人間が到達できる最も高い境地と言われるワケですよ。
でもって。
この「三昧」、その語源はインドのサマーディ(Samadhi)。
「サム(Sam)」と「アディ(adhi)」という2つの言葉が合わさって一つになった単語だそうです。
「サム」の意味は「ひとつなるもの」。「アディ」の意味は「到達」。
つまり「サマーディ」は、「ひとつなるものに到達する」、「(身と心が)一体になる」という意味になるのだそうです。
あれ?
ちょっと待った。
ひとつなるものに到達する?
ってことは、全てがひとつになる?
すべてはひとつ… whole…
これってどこかで見たような…
あ!
『癒し』だ!
「Samadhi(身と心が一致する)」も、「healing(本来の完全な状態)」も、結局は同じ事を指しているじゃないか!!
と、言うことで。
とどのつまり、「癒し」って「いまここに戻っている」という状態なワケですよ。
だからね、「瞑想(“いまここ”に帰ること)は大切だよ。」ってなるんです。^^
(ここまで)
ありがとうございます
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