一度、目覚めという経験をし、「空っぽ」になると、人生というゲームのルールに気付く事が出来るんです | 地球の愛と光・本来の姿へ

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一度「目覚めという経験をし、「空っぽ」になると、「人生」というゲームのルールに気付く事が出来るんです。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/6485e3affc663db6e730841ee51c8b62

(ここから)

「衝撃」

んー…。

只今わたくし、ちょっと反省しております。

いえ、先ほど阿部さんの今日のブログを拝見しましてね、「alarm clock」に収録されている僕の発言にも、これ同様の誤解をあたえてしまう原因があるかなぁ…と思いまして。

そう。例の「エクスタシー」のくだり。

僕はコレ、あくまで「確信」と言うことを説明したくて持ち出した例えなのですが、捉え方によっては「目覚めの瞬間」には性的な快感が伴うとか、またはそれ同様の「衝撃」を得るといったように受け取られてしまいますよね…。

まぁ、確かに僕の場合はエクスタシーとは言わないまでも、相当な衝撃があったのは事実なので、一概に間違いであると言うことではないのですが、阿部さんも仰っているように「誰もが同じような快感を得るとは限らない」のだと思います。

「目覚め」において、その人が経験する「何か」は個人差があると思います。


ものすごい衝撃を経験する人、「あ。な~んだw」って軽く感じる人、ホントに人それぞれだと思います。


このこと、以前「ぷよぷよ」の話で説明しようとしたことがあるのですが、覚えている方はいらっしゃいますか?

今回は、この「ぷよぷよ」での例えに再チャレンジしてみます。



このゲームに登場する「フィールド」を「アナタの心」、色とりどりの「ぷよ」達を、「アナタの抱えている思考」だとします。

アナタの心に日々積み重なる色々な思考(ぷよ)。


赤いぷよは「怒り」や「苛立ち」。

青いぷよは「悲しみ」や「不安」。

緑のぷよは「希望・未来思考」※その裏にあるのは現状(いま)に対する不平不満。

黄色いぷよは「幸福感」※その裏にあるのは「失いたくない」という執着。


それらの思考が整理されることなくごちゃごちゃと積み重なることで、心の中に現れる窮屈感や閉塞感。

それが「人生の行き詰まり感」という苦悩になっていきます。


「目覚め」で経験する衝撃は、フィールド上の「ぷよ」が一掃された時に現れる爽快感の様なものです。

突如自分の中に現れる「広大な空間」と、それに伴う「自由」を感じる体験ですから。


なので、目覚める前に、その人がどのぐらいの窮屈さを感じていたかによって、その衝撃度(爽快度)に違いが出るんです。


フィールドがパンパンになって、ゲームオーバー寸前のストレスを抱えていた人が、一気に「連鎖」を迎えた時の衝撃は大きいでしょうし、日々淡々と処理を行えている人は、そこまでのものではないでしょう。


そして、一度「目覚め(フィールドの一掃)」という経験をし、「空っぽ」になると、「人生(ぷよぷよ)」というゲームのルールに気付く事が出来るんです。

目覚めを体験した後でも、日々色々な出来事によって様々な思考が自分の中に現れます。

でも、そうして現れた様々な思考を、怒りは怒りとして、悲しみは悲しみとして、喜びは喜びとして、きちんと整理して受け入れる事が出来るようになっているので、心はいつでも広々とした空間を保ったまま、余裕のある状態でいられます。


「日々の気付き」という修行は、さながら「マメに同色のぷよを消していくこと」の様なもの。

画面がまっさらになることはなくとも、心の余裕は増え、今後の展開も有利になっていきます。

ひょっとしたら、思わぬ所で「連鎖」に出会うことがあるかもしれません。


ゲームオーバー寸前の苦しみを抱えている人も、もしかしたら、これから起こる「同時消し」「20連鎖」の仕込みをしているのかもしれませんよ。^^

(ここまで)

ありがとうございます
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森林の中の光の撮影です。

 

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