僕たちが目にしているどんな問題も疑問も、夢の中に生じたものです。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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恐怖思考が現実になります。恐怖を捨て愛と楽しい思考に!
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https://dreamgo.sakura.ne.jp/20110311/

僕たちが目にしているどんな問題も疑問も、夢の中に生じたものです。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/8b2d4090fdc3c4ac2f4fa5f1541dcfc2

(ここから)

ありやなしや

夢の中の登場人物が、何をしようが、何をしまいが、そんなのは関係なく、<なにか>の見る夢は続きます。

また逆に、夢の中の登場人物が、何をしようが、何をしまいが、そんなのは関係なく、<なにか>が目覚めれば、夢は消えてなくなります。


これまで「目覚め」や「悟り」というものに、因果や原因と呼べるものはなく、ハプニングとして訪れる、とお話してきたのは、そのためです。

また、「その目覚めや悟りが起こったとしても、そこに<答え>はありません、<問題>や<疑問>がないんです」とお話してきたのも、同様の理由です。

僕たちが目にしているどんな問題も疑問も、夢の中に生じたものです。

<なにか>が目をさませば、「努力」や「解決策」、はたまた「プロセス」を用いなくとも、問題も疑問も、夢ごと消えてしまいます。


『究極的には、何があっても大丈夫』といったメッセージは、そんな背景から語られています。


しかしながら、夢の住人としての僕たちから見たら、問題は相変わらず問題だし、苦悩は変わらず苦悩です。

そこで、それを何とかしようと日々もがいているわけですが、実際に、夢の住人である僕たちが取り組める解決方法はあるでしょうか?


このことを何千年も繰り返し語ってきたのが、宗教やスピリチュアリティ。

単刀直入に結論を話してしまえば、僕たちにできることは、ありません。

それを伝えてきたのが「インシュアラー」や「南無阿弥陀仏」などといった、降参(サレンダー)系の言葉です。

「インシュアラー」は、イスラムの「神の思し召すままに」という言葉。

「我々の運命は神の御心によって定められている」「人間が自分たちの未来を自分たちの意志でコントロールできるというのは思い上がりである」といった言葉で、それが転じて「私(あなた)の願いが、神の御心と一致していますように(そうなりますように)」という風に使われるのだそうです。

「南無」っていうのは、「感謝と尊敬をこめて、すべてお任せいたします」といったようなこと。「阿弥陀仏」は、この夢をみている<なにか>のこと。

イスラムにも、仏教にも、キリスト教にも共通して語られているのが「<なにか>の思し召すままに」なんですね。

『完全降伏のち、完全幸福』と。(←うまいこと言ったでしょ的なドヤ顔で)


が。

「できることは、な~んにもありません!」なんて言い切られたら、なんか悔しいじゃない(笑)。

「そんなこと言わないでさぁ、ちょっとぐらいチャンス頂戴よ」って思っちゃうじゃない。にんげんだもの。(by みつを)

「なにかひとつでも、夢に見られている我々が、夢を見ている<なにか>を目覚めさせる方法はないの?」って、考えちゃいますよね。

悪夢の最中なら、なおのこと。


と、いうことで。

ここはメッセンジャーではなく、マスターに登場いただきましょう。


「マスター、なんでもいいです。悪あがきでもいいです。僕たちにできること、ありますか?」






(ここまで)

ありがとうございます。
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森林の中の光の撮影です。

 

 

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