この世における『悟り』は、完全な目覚めではありません。夢を夢と知って生きる、明晰夢の状態。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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この世における『悟り』は、<完全な目覚め>ではありません。夢を夢と知って生きる、<明晰夢>の状態です。


転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/a3883863420d02da21a4d16330ee1523

(ここから)


目を覚ますのは誰か?

夢の世界って、目を覚ますと消えてなくなりますよね。

「自分」という主人公だけではなく、その他の登場人物も周囲の状況も含めて、その世界まるごと消えてしまいます。

まれに「印象」としてその世界の片鱗を、記憶の中に持ち帰ることもありますが、それでもやっぱり、その夢に見た世界が「実在しているか」と問われれば、「いえ、眠っている間はとてもリアルに感じられていましたが、あれは夢ですから、やはり実在していません」と答えることになるのではないでしょうか。


精神世界において、ちょくちょく「すべては幻想」と説明されるのは、これに似ています。

この世はいわば、夢の中。

そして、いまここでこうして感じられている<わたし>は、その夢の中にある主人公です。

前回のエントリで、「僕が僕ではない夢を見た」と話したのと同じように、この現象界においての<わたし>と、この夢を見ている張本人は、イコールではありません。


そう。

<わたし>が<わたし>の夢を見ているのではなく、

<なにか>が<わたし>の夢を見ているんです。


その<なにか>を、何と呼ぶかは人それぞれです。

宇宙。

神。

高次の自分。

サムシング・グレート。

「それ」。


つまり、いま感じられている<わたし>は、夢を見ている主体ではなく、夢を見られている側です。

賢者テラさんが「あなたが神様・宇宙の王」というのは、そういうことです。

さすがは宇宙の王が見る夢、このリアリティは半端ないね(笑)



さて、「気づき」や「目覚め」、しいては「悟り」にいたるまで、この状況下で語られています。

実際に「気づいたり」「目覚めたり」して、その夢から覚めるのは、僕たち人間ではありません。

時に宇宙や神と呼ばれる<なにか>が、人間という夢から覚めるんです。


なので、実際には僕たち人間が「目覚める」「悟る」ということはありません。

相変わらずこの現象界に身を置いている以上、やはり夢のなかにいることに代わりはありません。

かつてオウム真理教の麻原彰晃は「最終解脱者」と自らを称しましたが、そのこと自体が不可能です。

「最終解脱」とは、いわば夢から覚め、スッキリと覚醒している状態です。

誰が?

そう、神の側が、です。

だとしたら、「麻原彰晃」という人物は、その夢の世界ごと、消えてなくなっているんです。


よく、『悟りはあれど、悟った人はいない』と言われるのは、『夢から覚めることはあれど、夢から覚められた人はいない』といったことです。



しかし、時に、その<なにか>が目を覚ますことがあります。

そして夢が消え、その世界と一緒に「我」が消えるそれを<なにか>が経験するんです。

そして「人の夢をみていた<なにか>」が、某かの印象を残します。

いい夢を見ていたなら、もっと見ていたかったと思うかもしれません。

悪夢を見ていたなら、夢でよかったと、大きな安堵を感じるかもしれません。


でも、ちょいと目を覚まし始めたのもつかの間、また睡魔に負けて、夢の世界へと戻って行くんです。

「すべて夢だった」という印象を抱えて戻り、夢の続きが始まります。


神が完全に目覚めたら、この世はきれいサッパリなくなります。

なので、この世における『悟り』は、<完全な目覚め>ではありません。

夢を夢と知って生きる、<明晰夢>の状態です。

(ここまで)

ありがとうございます。
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森林の中の光の撮影です。

 

 

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