日々ロープをよじ登るのに必死。ある時、絶望を迎え、常識を根底からひっくり返す大きな気づきが。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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日々ロープをよじ登るのに必死。ある時、絶望を迎え、常識を根底からひっくり返す大きな気づきが。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/f378e5010900d8f8ee603af05e3e2856

(ここから)

“気づき”とは何か(その1)

さて、これから気持ちをあらたに、「気づきとは何か?」ということを再度お話していきたいと思います。

アレコレの仕組みをお話するその前に、みなさんにチャレンジしていただきたいことがございます。




と、いうことで。

突然ですが問題です。

以下の□の中に入るアルファベットは何でしょうか?



Q1.

D R M F □ R S D


Q2.

J F M A M J J A □ O N D


Q3.

O T T F F □ S E N T





まずは、ノーヒントで。

コメント欄に投稿する場合はその理由を書かず「答えのみ」をご記載ください。

まぁ、単なるお遊びですからお気軽に、レッツチャレンジ!
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“気づき”とは何か(その2)

https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/a042756c23285e967966ff48b4953106


いかがでしたでしょう?

前回のクイズ、答えはわかりましたか?

「え、なに?クイズなんてやってたの? 問題自体見てないんだけど…」という方は、とりあえず前回のエントリをご確認ください。


さて、お話の続きと参りましょう。

それこそ既にお気付きの方も多いかとは思いますが、今回、なぜこんなクイズをしたのかと言いますと、皆さんに『さとりの疑似体験』をしてもらいたかったからです。

「う~ん……ん? あっ!? わ、わかった!わかった!!」

それが、『気づき』『目覚め』『さとり』。

勿論、「何に気づいたのか」という部分は大きく異なりますが、この「わかった!」の感覚と、その仕組みは同質のものです。

この「以下の□に入るアルファベットは?」というクイズの答えが、「“わたし”とは何か?(汝自身を知れ)」という問いに対する答えに入れ替わると、宗教や精神世界で言われるところの『気づき』になるわけです。


コメント欄に答えを投稿してくれた方は、アクセスIP数の1%ほどでしたが、実際には、もっと多くの「わかった!気づいた!」という“マスター”がいらっしゃったと思います。

ちなみに、今回のクイズの答えは、多くの皆さんがお答えの通り、Q1~Q4すべてにおいて「S」でした。(「え?Q4?」という方も多いと思いますがw)



さて、「なんでわかるんだよ!ちっともわかんねーよ!」とお嘆きだったみなさん。

これだけ多くのマスターが、「答えは“S”だよ!」と、ズバッとその真理を示してくれました。

いかがですか?

答えを聞いて、納得できましたか?

その答えを知って、「ああっ!なるほど、スッキリ!」という方もいらっしゃるでしょうし、いまだ「え?なんで“S”なの?」と首をかしげている方もおられるでしょう。


この、ノーヒントで「わかった!」となった方々と、「わからなかった」という方々との違いは一体なんなのでしょう?

『考えた結果』でしょうか。

いえ、「一瞬でわかった」という人以上に、「時間をかけてもわからない」という人の方が、よっぽど考えているはずですよね。


『わかった人はあらかじめ答えを知っていて、わからない方は答えそのものを知らないから』でしょうか。

いえ、おそらく「わかった」というマスターたちは口々にこう言うでしょう。

「知らないことはないと思うよ。みんな既に知っていることだよ!」と。


『高度な教育を受けていたから』でしょうか。

多分、「それも違う」と、マスターたちは口にするでしょう。


『特別な修行をしてきたから』でしょうか。

これもやはり、マスターたちは「んなこたぁない」とタモリばりのツッコミを入れることでしょう。


これが、僕がこれまで何度も「気づきは、学習や努力、修行とは関係しない」とお話してきた理由です。

そしてまた、「気づきは、自らの意志によるものではなく、一種のハプニングとして『起こる(訪れる)』もの」と言ってきた理由です。



多くのマスターの皆さんに共通して起こったのは、

1.「スッキリ!」という感覚。その答えに気づいたとたん、モヤモヤとしたものが一気に晴れる爽快感。

2.「あは!」という、ちょっとした歓喜・高揚。(こんなクイズへの気づき程度で、僕たちは喜びを感じることができます)

3.「な~んだ、そんなことか」という笑いを伴う落胆。

4.「問題に取り組む前から、答えは既に知っていた」という感覚。

5.答えを知っていることが、特別なことでも、偉いことでも、優れていることでもないという理解。

6.答えに気づいた最大の理由は、「法則」を見いだしたこと。(わかる前は「無意味・無秩序」、わかった後は「法則の理解」)

7.このお遊びの醍醐味は、「答えを知ることではない(大事なのは、『答え』ではなく『気づき』の方)」と知っていること。

8.今後、別な所でその答えを聞いたとしても、再度「ああっ!」という、あの喜びを感じることはできないだろう、と予測できること。

9.「誰に何と言われようと、答えは“S”だもんね!」という確信を持っていること。

などではないでしょうか。

これが、冒頭で「さとりの疑似体験」とお話した所以です。


さて、次に。このどうでもいいクイズと、さとりの関連についてもう少しお話してみたいと思います。

「答えを聞いてもなお、わからない人にはわからない」

これが『気づき』『さとり』の厄介なところです。

マスターは、すでにその答えを知っているから、わかりやすく教えてあげてもいい。

でも、わかりやすく伝えれば伝えるほど、自身が経験した「あは!」という喜び(このゲームの最大の醍醐味)を、相手から奪ってしまうことになるんです。

「この答えになる理由はね、あーでこーで…」

その結果、答えを知った相手の反応は、「あーー、なるほどね。で?」という、感動の薄~いものになってしまいます。

その答えも、理由も、全て伝えたにも関わらず、本当に伝えたい『気づきの喜び』を与えることはできない。これでは本末転倒です。

だからこそ、出来るだけ「あは!」が残るように、確信から少しずれた「ヒント」を提供していく。

「あのね、この問題には、表面的には見えないある法則が隠されているんだ」だとか、

「ひとつひとつの“部分”に焦点を当てるのではなく、“全体”を捉える事が大事なんだ」とか。

それでも伝わらない時は、ちょっとづつ、ちょっとづつ、確信に近づいていく。

「えーとね、これらは、ある単語の頭文字なんだよ」や、

「それぞれの文字数にも、意識を向けてみたらいいんじゃないかな」や、

「全部、日常生活で頻繁に触れているものの中に答えが隠されているんだよ」などなど。


そんな中、『気づき』ではなく『答え』だけを知ってしまった宗教マニアさんが、あれこれ口を挟んでくる場合があります。

「私は、答えは“S”だと信じています! だからこそ、これまで“S”について様々な研究や考察をはかってきました。“S”はアルファベットの第19番目であり、化学記号においては“sulfur(硫黄)”を意味し、また英語においては時に、単数を複数形にする場合にも用いられます。時間においては“秒”を表す単位としても使われます。非常に汎用性が高いこの“S”が歴史上最初に発見されたのは……」

時にその“S”に関する知識は、マスターの知識を大きく上回り、これでもかと博識ぶりを披露しますが、どれほど“S”に関する知識を保有していようとも、「気づき」とは別な話です。

どんなに雄弁にその知識を披露しても、マスターから印可状を受け取ることはできないでしょう。

マスターは言います。

「いや、確かに“S”についてよく知っているみたいだけど、そういうことじゃないんだよね。それに、『信じてます!』って、それもなんか、ずれてるよね」


また、的を射たアプローチをしているにも関わらず、視野が狭かったり、解釈の柔軟性に乏しい場合、それによって大切なヒントを取り逃がしてしまうケースもあります。

「わたくしども○○教の教えでは、この気づきには『音楽』が大きな鍵となっていると伝えられています。にも関わらず、『グレゴリオ暦』が関連してるとか、『数字』に関連しているなど、音楽とは全く無縁の言葉を伝える邪教があるのです。我らが教祖さまが、『答えは“S”であり、その謎を解く鍵は“音楽”である』と言っているにも関わらず!」

「ちなみに、その教祖さまは、どんな音楽を好まれていたのですか?」

「教祖さまは、J-POPがお好きでした」

「J-POP?」

「ええ、説法が終わると、よく歌っていたものです」

「へー」

「アメ女の曲やフィンガー5の曲などを、にこやかに口ずさんでいた歌声がいまでもリアルに耳に残っていますよ」

「え?『アメ女』って、あの『あまちゃん』のアメ女ですか?」

「そう。そのアメ女です」

「とにかく、あなたも他の宗教の誤った情報に振り回されることのないよう、この教団で修行なさい」




……と、いうことで。

このクイズの答え、そろそろお気付きになられましたか?


P.S.
マスターの皆さん、では、この法則は見抜くことができますか?


Q5.

A F H L M N □ X


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“気づき”とは何か(その3)

https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/daf719fb2cea2aeab5ff8730b5840f7c


クイズのせいでモヤモヤやイライラを残したまま週末を迎えてしまった皆様、申し訳ありませんでした。

お詫びとして、最後のヒントを記していきたいと思います。

まだチャレンジを続けたい皆様は、以下の閲覧を控えていただきますよう、お願いいたします。




今回のクイズはすべて(Q4は例外ですが)、あるものが順序よく並んでいます。

その「あるもの」が何であるかに気づいたら、「あーー、なんだ、それか」となるかと思いますので、見つけていただければと。

では、それぞれの設問に対するヒントです。


Q1. 音楽の基礎です。

Q2. スピリチュアル系などでは「13」がお好きな方もいらっしゃいますが、「12」が一般的です。語源はラテン語の「kalendae」。

Q3. 数えてみましょう。

Q5. 音読してみましょう。
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“気づき”とは何か(その4)

https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/92758793fdce23d46ed0793d87575271

さて、そろそろお話を進めていきたいので、先日のクイズの最終ヒント(ほぼ答え)を書いていきますね。



Q1. ド レ ミ ファ( )ラ シ ド

Q2. January February March April May June July August(    )October November December

Q3. One Two Three Four Five(   )Seven Eight Nine Ten

Q5. [ei] [ef] [eit∫] [el] [em] [en](  )[eks]


と、いうことでした。ちゃんちゃん。

まぁ、今回はお話の前置きとしてこのクイズを用意しただけですので、正解できたかどうかは重要ではありませんのであしからず。


今回お話したいテーマの一つは、「気づきの段階やプロセス」についてです。


「ねぇ黒斎さん、悟りには段階ってあるんでしょうか? 一気に来ないと、それは悟りじゃないんですか? 徐々に悟るってことはないんですか?」

といったようなご質問をいただく機会が何かと多いものですから、今回はそんなお話をしていきたいと思います。(このテーマ、以前には仏教の「四向四果~預流向から阿羅漢果までの流れ~」でお話したこともありましたが、今回はもうちょっと違う角度でご説明してみます)


まず、「気づき」には段階があると言えるでしょうか?

今回のクイズで皆さんが経験された通り、「時間をかけて考える」ことはできますが、「時間をかけて気づく」ということはできませんよね。

「あ!」や「な~んだ!」という『気づきそのもの』は文字通り「あ!」っという間に起こる一瞬の出来事です。「ゆるやかな気づき」は経験できません。

ですので、そういう意味では「段階はない」と言えます。


でも、ちょっと視点を変えると、「段階はある」と言うことも可能ですよね。

「Q1は確実にわかった。でも、Q2とQ3は、どうしてもわからない」などといった状態は、『気づきは明らかに経験しているが、すべてに気づいたワケではない』ということ。

そう考えると、「気づきを重ねることで、『すべての答えが共通していた』という気づきに到達する」という、「段階はある」という話になります。


実際、トークライブなどで「わたしは黒斎さんや阿部さんが話しているような大きなインパクトを伴う経験はありません。でも、お話の内容はよくわかります」という方や、「黒斎さん!きました!わかりました!!」とハイテンションながらも、まったく話が噛み合わない方もいらっしゃいます。


インパクトはなくとも気づいている。

インパクトがあっても気づいていない。


これは、両方あり得る話です。

では、どういう仕組みで、このような違いが出てくるのでしょうか。

ここからは、久しぶりの図解を交えてご説明していきたいと思います。

少し、創造力を働かせながらお付き合いください。


天井から垂れ下がったロープに、必死にしがみついているピンポン球があると思ってください。




このピンポン球は、僕たちの「自我(分離意識)」の象徴です。

この自我には、潜在的に「上に行けば行くほど大きな幸せが待っているはずだ」という幻想プログラムが書き込まれています。

また同時に、「このロープから手を放してしまったら万事休す、奈落の底だ!」という恐怖心も書き込まれています。

かつての僕(真ん中にあるオレンジのピンポン球)も、このプログラムにどっぷりやられていました。

牧野内大史さんが「山登り」と表現される意識状態です。

いわゆる「成功」や「夢」、「まだ見ぬ幸せ」を目指して必死になっていました。

周りを見渡せば、僕より頑張っているBさんやEさん、あこがれのDさんが見えるとともに、自分よりも少し劣っているな、と思えるAさんや、以前は僕より上だったはずなのにいつの間にか転落してしまったFさん、また、なんていいかげんな生き方だろうと呆れてしまうようなCさんが見えたりします。

そんな周囲との比較の中で、日々ロープをよじ登るのに必死です。

「こんな僕じゃDさんのポジションまでは行けないだろうな。でも、少しでも上を目指さなきゃ!そうすれば、今よりもっと幸せになれるはずなんだから。 何よりEさんは以前、僕よりもずっと下にいたはずなのに、いつの間にか追い抜かれちゃって…。少なくともヤツを再度追い越して見返すぐらいには!」

なんて感じで。

最初のうちはそこそこ順調でした。

が、しかし。

いつの日からでしょう、ロープ登りに必死になっているうちに、いつの間にか心身ともに大きな疲れが出始めました。

さらには、かつて目標設定していた高さに到達しても、思っていたような幸せを見つけ出せていない自分にも気づきます。

それと同時に、登れば登るほど、思いもしなかった苦しさや窮屈さを感じるようになりました。

「そりゃそうだよな。上を目指すということは、その分人一倍苦労しなきゃいけないんだろうから……。でも……。じゃあ一体、どこまで登れば幸せになれるんだろう…。どこまで頑張ったら、楽になるんだろう…」

そうこうしているうちに、モチベーションの低下とともに登る速度は徐々にペースダウンしていき、最後には、登るどころか「ロープにしがみついているのがやっと」という状態になっていました。

そんな僕にもお構いなしに、引力は僕を引きずり下ろそうと、日々のしかかってきます。

擦りむき、血まみれになったマメだらけの手。筋肉疲労で悲鳴を上げている腕。

自分の弱さや至らなさに泣きそうになりがらも、必死にロープにしがみついていましたが、ある時とうとう最後の握力さえも失ってしまいました。

ズル、ズルズルズル…、パッ!




何があってもそれだけは絶対に避けなければと思っていた絶望(プライドの崩壊)を迎えました。

後はもう、引力に任せて奈落の底に真っ逆さま…。どうにでもなれ!


と、その時です。

僕の保有していた常識を根底からひっくり返す、大きな気づきが起こりました。

(ここまで)

ありがとうございます。
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森林の中の光の撮影です。

 

 

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