これまで「当たり前だ」と素通りしてきた、誤った思い込みの多さに気づいてごらん。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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https://dreamgo.sakura.ne.jp/20110311/

これまで「当たり前だ」と素通りしてきた、誤った思い込みの多さに気づいてごらん。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/11dc1bc9e484153be2ddae0d4b453e3b

(ここから)

精神世界の勘所


(  ̄Д ̄) 『これまでどっぷり誤った世界観の中で生きてきたからね。それが身に染みているから、いま話したような、これまでと違うとらえ方に違和感を覚えるかもしれない。でもね、それはそれでかまわないよ。急がず、じっくり進むことにしよう。「いままでの価値観・とらえ方が間違っていたのなら、じゃあ真実はどうなんだ」といった探求を始めるのは後回しだ。

それよりも先に、いま現在の物事のとらえ方・世界の見え方を徹底的に疑ってごらん。これまで「当たり前だ」と素通りしてきた、誤った思い込みの多さに気づいてごらん。

「知っているつもり」で世界を見るのではなく、「何もわかってなどいない」というそのことに、まず先に気づきなさい。あらゆる真実を知った人間をめざすのではなく、人一倍何も知らないことを自覚している人間でありなさい』

(『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』第一章より)



ここ数年、全国各地でたくさんの方とお会いしてきました。

ライブへ足を運んでくださる方の、その動機は人それぞれ異なるものですが、少なからずの経験の中から、ある傾向が見えてきました。

それは、精神世界における探求をする中で、いわゆる「勉強」や「修行」を多く行ってきた人ほど、僕の話が通じない傾向が強い、ということです。もちろん、全員が全員というわけではないんですが。

これまでご自身が触れられてきた沢山の情報。

その知識やマニュアルがまずありきで、僕の話をその情報の中と結び付けて捉えようとしてしまう、そこに、どうしてもコチラの真意が伝わりきらない状況が生まれているんです。



「でも、誰それさんは、こういってましたよ」

「ああ、それなら以前に聞いたことがあります」

「○○さんと同じ話ですね」


もちろん、僕と同じ話をしている方も、もっと深い部分を的確にお話されている方も沢山いらっしゃいます。

ですから、そういった返答になることもあるでしょう。

ですが、「ああ、それは知っています」と言われてしまえばそれまでで、僕にはもう何も話すことはありません。

でも、多くの場合「知っています」と言いつつ、「知っていなそうだな」というパターンがほとんどです。

「知っています」というその言葉のあとに「頭ではわかっているんです。でも、体感的に腑に落ちていないんです」という言葉が続くので。




こういった話の仕方は、何だか上から目線で偉そうに感じられますよね。申し訳ない。

不快にさせてしまうかもしれませんが、そういう気持ちで書いているわけではありませんので、お許しください。また、不快さが拭えないなら、このままスルーして頂いて構いません。

ただ、このことはとても大切なので、よろしければ、もうちょっとだけお付き合いください。




上記のパターン。

実はこの「知っている」が、経験の邪魔をしてしまっているんです。

この「知っている」は、大抵の場合「情報やマニュアルの保有」です。

「情報やマニュアルの保有」は「理解」とは異なります。

そして、精神世界では特に、「情報やマニュアルの保有」が「理解」を妨げてしまうんです。

「きっと、こうなんじゃないだろうか」そのイマジネーションが経験を遠ざけてしまうんです。


これは、多くの書物や長らく継承されてきた教えはもちろんのこと、僕の話でも同じことです。

ここにある言葉を、あなたが「情報やマニュアル」として取り入れたとしたら、それは、僕が目指していることとは、真逆の結果になってしまいます。

ここが、本当に歯がゆい部分で。

いわゆる「メッセンジャー」のしていることは、矛盾の極みです。

それは、言葉によって、言葉のない世界を表現しようとする試み。

もしくは、「あなたの中からあらゆる情報を捨てよ」という、新しい情報の提供


そういったこともあり、ライブでは頻繁に、「この会は、新しい情報をお持ち帰りいただくものではありません。不要なものを置いて帰っていただく会です」という様なことをお話しています。

どうか、新しい鱗をつけて帰るのではなく、鱗を落としていただけたらと思います。


これは、僕自身も雲さんから何度も注意を受けている部分です。

交信が始まってから、最初のうちは特に「常識を疑え」と言われ続けていました。

阿部敏郎さんの新刊ではありませんが、僕たちはこの「常識」や「当たり前」と名付けられたたくさんの思い込みによって、自由を失っているのです。


これも、ライブでよくお話しすることの一つですが、かつて雲さんから示された言葉があります。


(  ̄Д ̄) 『真理の探究に向かう前に、お前の中の常識を崩しなさい』と。

「それ、誰が決めた?」

これを、日常の中に持ち込んでみなさいと。

※大事なのは、「自身の捉え方」についてですからね。これを「コミュニケーション」に持ち込んだら何かと面倒になっちゃいます(笑)



一年ほど前でしょうか。

海外のビジネス系ブログやセミナーなどで話題となり日本でも紹介されたある実験があります。

ある生物学者のチームが、猿を使って行ったものです。


1.5匹の猿を檻に入れます。檻の中央にハシゴを設置し、その上にバナナを置きます。

2.この檻には、1匹の猿がバナナを求めハシゴを登ると、残り4匹の猿に冷たい水が浴びせられるという装置が取り付けられています。

3.しばらくすると、5匹のうちの誰かがハシゴを登ろうとするたび、残りの猿たちがよってたかって攻撃し、ハシゴを登ろうとする猿を妨害しだしました。

4.やがて、どの猿もハシゴに登ろうとしなくなりました。相変わらず、ハシゴの上にはおいしそうなバナナがあるのに…

5.この状況で、1匹だけ猿を入れ替えます。新しい猿(新入り1号)は、バナナを見つけてハシゴにまっしぐら。もちろん、残りの猿たちはこれを許さず、コテンパンに虐めます。これを何度か繰り返していくうちに、新入り1号は、その理由もわからないまま、ハシゴを登らなくなります。

6.再び、古参猿のうち1匹を入れ替えます。ちょっと前に痛い目をみていた新入り1号は、ハシゴに登ろうとする新入り2号を虐める側に回ります。こうして古参猿を1匹、また1匹と入れ替えていくのですが、そのたびに猿は同じ行動を繰り返します。

7.最後には、檻の中にいるのは新入り1号から5号まで。どの猿も、冷たい水をかけられた経験はありません。しかし、ハシゴに登ろうとする猿をみんなでとっちめる、という行動はそのまま残り、継承されています。

8.猿たちに「どうしてハシゴに登る子を虐めるの?」と質問したなら、きっとこう答えるでしょう。……「わからない。でも、ここではそうするのがきまりだから」



この実験が、本当に行われたのか、また、その結果がその通りのものだったのか、その真偽のほどは、僕にはわかりません。

それでも、このお話から得られる教訓は大きい。

なぜなら、話の中だけではなく、僕たち人間一人一人が、いまやこの猿とまったく同じ状態なのですから。


「常識」の曖昧さや脆弱さに気づいたら、自由は目の前。

……ただ、それに気づいたからといって、そのまま世俗的なバランスを欠いていくと、事あるごとに妻に叱られる、僕みたいになっちゃいますよ。


とにもかくにも、軽やかな人生を送るには、背負った荷物(常識・マニュアル・思い込み)を下ろすこと。

新たな荷物を積み上げることではありません。

何を背負っているかもわからなくなっているならなおさら、

その荷物、一度下ろしてみませんか?

仮に新たな情報を得るにせよ、両手が塞がってちゃ、持てやしませんから。

(ここまで)

ありがとうございます。

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