持ち腐れ
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毎度同じ話ばかりで申し訳ない。
でも、ここがとても大切なところなので、もう少しだけお付き合いいただければと思います。
では。
精神的な話、つまり「問題に向かい合う際、改善すべきは外ではなく内である。」的な話をしていると、必ず引き合いに出されるのが、「よりよい環境を望むことの何が悪い。」「よりよい環境に改善しようと努力することの何が悪い。」という意見だ。
うん。気持ちは分かる。かつては僕も同じ事を述べ、論破できたつもりでいた一人だからね。
でも、この意見は、論破するどころか同じ土俵にすら上がっていないと言うのが、恥ずかしながら、今さらとなってようやく分かったことだ。
なぜなら、それとこれとでは、話されている対象が全く異なっているからだ。
まぁ大抵の場合、いくら説明しても、あの時の僕と同じように、後者はそのことに気付かないでいるのだけれど。
この話、前回の「ギター」と「才能」の関係で捉え直してみれば一目瞭然でご理解いただけるかと思います。
「よりよいギターを望んで何が悪い。」
上記、言い換えればこういうことですよね。
「よりよいギターを望んで何が悪い。」
うん。そりゃ、勿論悪い事じゃないさ。でも、今話しているのは「楽器」ではなく「能力」の話なんだ。
1万円で入手した、中古の「FERNANDES ZO-3」から、60万円の「GIBSON Limited-Edition John Lenon Lespaul Jr」に持ち替えたところで、演奏が飛躍的に上手くなるなんてことはない。
それを手にしたとしても、自分の演奏能力が何一つ変わってないことを目の当たりにし、愕然とするだけだ。
ましてや、コードの一つも押さえられないヤツが、「俺のギターは素晴らしいだろう。」なんて自慢している姿は相当寒い。
音楽を楽しむためにあるはずのそれらで、単にその貴重性だけを競い合っている。
それは、ただの宝の持ち腐れだ。
どれだけ自分を犠牲にして、その立派なギターを手に入れたのかは知らないが、どんなに苦労してそこまで改造したかは知らないが、弾かなきゃ何の意味も持たないだろうに。
それがどんなに粗末なおもちゃギターだとしても、それを使って即興のオリジナル曲を奏でて見せる事の方がよほど格好いいだろうに。
よりよいギターが欲しいという願望の根底にあったのは、「より気持ちよく音を奏でたい」という思いであったはずなのに、それすら忘れ、人は高級ギター獲得に翻弄されている。
人が羨望の眼差しを向けるその先で、軽やかに演奏してみせる彼の才能は、ギターにあるのではない。彼自身にあるんだ。
人々、こんなに当たり前のことを、決定的にはき違えている。
もう一度言う。
よりよい環境を望むことは悪い事じゃない。
よりよい環境を作ろうと努力することは悪い事じゃない。
でも。
それと幸福とは、別な話だということは、予め知っておいた方がいい。
勘違いしたままの努力は、いずれ出口を見失う。
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引き寄せの法則、宇宙の法則