元旦那の家は、某大学の留学生を受け入れる
ホストファミリーでした



元旦那の幼少期から活動していて、世界各国から入れ代わり立ち代わり、常に海外の留学生が家にいたそうです



私も子供達を連れて遊びに行くと、誰かしら
どこかの国の子が家にいました

そしてそれは、義母の病気が見つかるまで
続きました




義母が亡くなってから、義母のスマホに入ってる子供達の写真や動画の整理をするために
一時期スマホを預かっていたのですが


Facebookの未読通知がかなりの量だったので
義姉ちゃんに確認してから開いたんですよね




すると、そのほとんどが
まだ、義母が亡くなったことを知らない

世界各国の、元留学生たちからの
日頃の何気ないメッセージでした






そして
その中に、ウクライナ人の元留学生からのメッセージがあったんです



「ロシアのウクライナ侵攻によって家を失った
しばらく義母の家に避難させてくれないか」

といった内容でした


日付を確認すると、メッセージからすでに4ヶ月が経っています


慌てて義姉ちゃんに連絡をとって、受け入れる旨を伝えたのですが

彼女からの返信はなく、音信不通のまま
そのまま1年が経ってしまいました


当時、ウクライナからの避難民の受け入れは日に日に増加していましたが

メディアに名前が出るわけでもなく

どうか、無事でいてくれと
みんなが祈っていました




同時に、義姉ちゃんが義母が亡くなったことをFacebook上で知らせると

くるくる、世界中から哀悼のメッセージ



義母は、海外旅行に行くたびに
元留学生の家に遊びに行ったりして
ホームステイ後も交流があったのです


そして義母の訃報を知ったメッセージの中には
ロシアの女子留学生からの物もありました


その子の事は、よく覚えています
透き通るような白い肌に、ピンクに染めた髪

明るく奔放で、男の子を内緒で連れ込んで
義母に怒られてた女のコ

ボルシチ?だったかな
帰国前日パーティーでは、彼女の母国の手料理をいただきました


その子の弾けるような笑顔いっぱいのFacebookは
戦争開始と同時に更新されていません








そしてつい先日、ウクライナの女の子の安否が確認出来たと
別のホストファミリーの方から連絡があり


無事に日本で生活していること

留学時代に出来た関東の友人家族のところで
暮らしていること…………

聞きました





ホッとしました


一緒に送られてきた写真を見て、思い出しました


息子がとっても懐いてた子で、義母と観光名所を色々と回ってくれてた
黒髪の小柄なシャイな女の子


ウクライナに帰国してからも
しばらくは息子に
プレゼントや動画メッセージを送ってくれてた子


一気に記憶が蘇りました


というのも、彼女がホームステイ当時は
私も元旦那の不倫で苦しめられていた時で
日々の記憶がほとんど失われてる時期だったのです





ウクライナの女の子、両親はまだウクライナに残り、彼女は友人と日本に避難してきていました


今出来ることは
支援を受けながら勉強して
資格を取ること

大好きな日本に、いつか恩返ししたいこと

たくさん話してくれました



今はもう27歳かな
ボーイフレンドは国に残っているそう

彼女を見送ったご両親の気持ち
ウクライナに家族を残してきた彼女の気持ち


考えれば考えるほど辛い





本当に一瞬で奪われるものが
世の中にはあるということ




今ある何気ない幸せが
本当は奇跡の連続で成り立っていること


子供と過ごせる毎日が
かけがえのない宝物であること
 

子供に
ガミガミガミガミ怒ってないで


本当に、大事に大事にして生きていきたいと
改めて感じました


そして、元旦那が子供たちと過ごせる日々も
限りがあること


彼が、家族を失うほどの過ちを冒したことを
後悔してるのかどうかは知りませんが




子供たちが笑顔を向けてくれている今を
大切に生きて欲しいですね









世界情勢について、偉そうに語れるほどの知識はありませんが



どうか、ウクライナの彼女が
家族と安心して暮らせる日々が
早く戻りますようにと

ただただ、願うばかりです