離婚、不倫に関する内容ではありません








子供の頃に感じた違和感(矛盾)って
なかなか拭えないものです





子供の頃テレビか何かで

美しい着物姿の女性が
手にしたハサミで
一切の迷いなく

ジョキジョキと花の茎や葉を切り落とし

剣山に挿していく
凛とした佇まいを見た時に

なぜか気分が悪くなりました









私はたぶん、お花が好きです




でも、家に花を飾ったことはありません
花瓶もないし、一輪挿しの類もありません

普段の生活に取り入れたいとは思いません




よそのお宅の玄関先

色鮮やかな、色々な種類の草花が植えられてると
つい、立ち止まって見てしまいます

植木鉢の中で生き生きと咲く草花には
綺麗だなぁって
見惚れてしまうのに



なぜか
花瓶に挿された
茎を切られた切り花や

旅館やホテルの入り口に飾らている
ハッと目を引く豪華な生け花を見ても
感動することはありませんでした







土手沿いに咲く小指の爪にも満たない

今にも風で飛んでしまいそうな
か弱い素振りを見せる、実はたくましい
小さな花を見ると

清々しく
心が洗われた気持ちになるのに



何かの節目節目で頂く、高価な花束に
喜びの感情が湧いたことはありません





あまり、深く考えないようにしていましたが
この度、冷静に分析しました





単純でした



土から離され人間の欲の為に
こんなところに挿されて

命を削られて
死に行く様をニコニコと眺められ

種を次につなげることなく
土に還ることも許されずに、息絶える花





可哀想



この一言に尽きます



今まで
その感情に蓋をして
見て見ぬふりをしていただけでした



動物園を楽しむと同時に胸に詰まる
あの、なんとも言えない感情に似ています


人間の欲の為に、ゴメンね









いやいや、でもおかしいでしょ
そんな訳ない


綺麗な花がそこにいるだけで
暗くなった気持ちを明るくしてくれるらしいし

本当は水の中に生けた方が
土の中で生きるよりも

長生き出来る、快適な環境だとか?


生け花って、言うくらいだから

何かしら花にとっては、良い環境であることに間違いない…………

だって生きる花、活きる花
なんでしょ?



………………………………。


私の想像の域を越えたので
○ーグルさんに聞いてみました




生け花、切り花、華道

はじまりは諸説あって、中国から仏教と同時にきたとか、宗教がらみだとか

徳川家康の時代のうんぬんとか

諸説あるけれど


なぜ、土から生き生きと伸びてる草花を
わざわざひっこ抜いて
水に挿すなんてことしたのか



一番有力かなと思ったのは


その昔、お坊さんが切り取った花を水に挿して
神様に供える、生け贄だった説


神様と対話するために、生きた花を捧げてたようです
史実も残ってます


はじまりは、そんなとこらしい


じゃあ生け花はどうか
あの、針に指すやつね

これも流派が枝分かれに存在し、元を辿るのはなかなか難しそうですが

室町時代の足利義政の時代が有力らしいです






いけばなの伝統や様式にとらわれず、いけばなと美術の境界を超越して活躍した花人 
中川幸夫さんは有名ですが
彼を特集した雑誌から一部抜粋します



彼が目指したのは

「花」は切られ、殺されるからこそ「生け花」へと生まれ変わるという原点回帰だった。「型は教えられても血は教えられない」と語った中川は生涯弟子をとらなかった。


生け花、それは死の間際の花の煌めきなのだ。



だ、そうです


花を切り、器に挿す。切られた花は種を宿すことなく急速に死へと向かう。いけばなは、死に花を生かす芸ともいえる




ですと


はぁ………そうですか


死に花を生かす芸……………





すみません
長くなりました



ただのつぶやきですが
続きます