おじいちゃんとの思い出 麻雀 | ゲームミュージックDJ 200gavasのブログ

お疲れ様です!
ゲームミュージックDJ  200Gavasです☆

 

 

 

子供の間ではキン肉マンの形をしたゴム人形

「キン消し」が大流行

中国自動車道が全面開通をした年

 

 

 

少し暗い話にはなりますが

この年、母方の祖母が亡くなりました

母方の実家は自動車工場を経営していて

おじいちゃんはそこのトップ

夕食時には必ず若い衆の食事を用意させ

実家に帰ると10人ぐらいで食事をするのが当たり前でした

 

 

 

おじいちゃんは

常におばあちゃんには偉そうで

「おい!酒!」と晩酌を楽しんでました

ただ、お酒が好き過ぎたおじいちゃんは

脳梗塞になってしまい、右半身が麻痺

ただ根性は人一倍だったので、毎日リハビリに専念

杖を使用すれば外出できるまでに回復したその矢先

おばあちゃんは自宅で倒れ、そのまま亡くなってしまいました

 

 

 

あんなに高圧的な態度だったおじいちゃんが

おばあちゃんの枕元で号泣してるのを見た時は

正直、驚きましたね

 

 

 

母方の方には長男がいるのですが

なんか馬が合わなかったみたいで

おじいちゃんは僕の家で一緒に住むことに

そこでリハビリ、頭の体操にと母親が選んだファミコンソフト

 

 

 

麻雀

 

 

1983年、任天堂から発売

我が家に来たのは1984年である

 

 

この頃は全く麻雀には興味がなかったし

ルールを覚える気もサラサラなかったが

おじいちゃんとファミコンが出来るのが嬉しくて

僕から「麻雀やって~~」と声を掛けると

いつもプレイしてくれてました

 

 

 

おじいちゃんはリハビリを兼ねて

いつも麻痺のある右手でプレイ

誤ってポーズボタンを押してしまう事もあり

その度に出現するコーヒーの絵を見ては

家族で笑ってましたね

 

 

当時は父方の実家の近くである

茨木市に住んでましたが

その後、おじいちゃんが

「死ぬならおばあちゃんとの思い出の家がいい」

との想いを聞き入れ、家族で大阪市内に引っ越してきました

 

 

 

今なら分かるんですが

それを聞き入れた父親もかっこいいなぁ~

なんて思ってしまいます

 

 

 

毎日、リハビリの為に散歩に出かけ

公園で遊ぶ子供達にあげるため

ポケットの中にアメ玉をびっしり入れいき

帰ってきたらカラになってた子供好きで

優しい祖父でした

 

 

 

高校生の時に亡くなった祖父

実は現在、祖父が残した土地に家を建てさせてもらい

僕達家族はそこで暮らさせてもらってます

未だに僕を守ってくれている

祖父に感謝の気持ちを込めて

 

 

 

最後まで読んでいただき、あざっす!!