「創価信仰の原点」とは、昭和20年8月15日の終戦後、「創価教育学会」を改め「創価学会」として、民衆救済に一人で立ち上がられました戸田城聖先生のご指導のことです。
「還って」とは、戸田城聖先生のご指導を学ぶことです。
「出直し」とは、創価学会員の皆さんが、何をどうすることなのでしょうか。
戸田城聖全集 第2巻 質問会編(昭和57年1月26日発行・昭和58年5月20日第五刷 聖教新聞社)から重要と考える箇所を抜粋します。
【御本尊に関する質問】
[質問]
一閻浮提総与の御本尊様と弥四郎国重(やしろうくにしげ)という方とは、どういう関係なのでしょうか。
[回答]
邪宗のものが「大御本尊様の対告衆(たいごうしゅう)が弥四郎国重となっているが、法華講中弥四郎国重という方は存在していない」という。これが一般の断定なのです。
また、これを熱原三烈士の一人となぞらえている人も、学説上あります。南条殿の子供と断定している人もあります。だが、だいたいの学説においては架空(かくう)の人ということになっています。これは私は、もっともなことだと思います。
なぜ、日蓮大聖人様が「法華講中弥四郎国重」として、弥四郎国重を大御本尊様の対告衆にしたかという問題なのです。これは、よほど仏法に通達してこないとわかりません。しろうと論議だと納得できないことです。少なくとも、信仰に透徹して、仏法の奥義がわかれば、ごくかんたんな問題なのです。
なかにはこういう議論を立てる者もいます。「大御本尊様は日興上人に授与したのであるから、なぜ対告衆を日興上人になさらないのか」と。
それは、日興上人を対告衆としたのでは、一閻浮提総与とはならないのです。
(中略)
そこで、弥四郎国重の問題ですが、対告衆に一連のものがあるのです。まず、法華経の読み方がわかっていれば、弥四郎国重の問題もわかってきます。法華経がりっぱな経典であることは、だれでも認めています。そのなかに書いてあることを、まず認めなければなりません。ところが日蓮大聖人の御書にも、序本八万の大衆ということばが使われていますが、序本八万の大衆はどうなるのでしょうか。
経文には、そこに集まった人の名前が記されています。まずはじめに舎利弗(しゃりほつ)、神通(じんづう)第一の大目犍連(もつけんれん)、その他の阿羅漢(あらかん)を集めて万二千人となっています。菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)八万人、摩訶波闍波提比丘尼(まかはじやはだいびくに)の眷属(けんぞく)六千人、名月(みようがつ)天子その他の天子の眷属数万人、跋難陀(ばつなんだ)竜王などの眷属、これも、何万人、かくして集まった阿闍世王(あじやせおう)の眷属何千人。ソロバンにおいてみたことはないのですが、霊鷲山(りようじゆせん)へ、ざっと二、三十万集まっています。そうしたらどうでしょう、そんなにたくさん集まれますか。一つの都ができてしまうではないですか。しかも八大竜王もきています。阿修羅王もきています。そんなものがきているわけがないではないですか。かりに集まっても便所の設備だけでもたいへんです。八年間もそんなに集まって、いくら釈尊が仏でも二十万、三十万に聞かせる声がありますか。そうなってくると霊鷲山に集まったというのは、おかしいではないですか。菩薩が八万人も集まるわけがないではないですか。(中略)山の中です、広場ではないのです。そうなったら仏法上の根幹をなす「序品八万の大衆」はどうなりますか。日蓮大聖人様は、はっきりとお認めになっています。しかも事実の研究の上からゆけば、そんなものはありません。ないものを書いた法華経は、信用できなくなるでしょう。もし法華経がだめだとなれば信ずるものがなくなってしまいます。
それは、何十万でもかまわないのです。なぜかならば、釈尊己心(こしん)の舎利弗であり、釈尊己心の八万の菩薩であります。釈尊己心の提婆達多(だいばだつた)であり、釈尊己心の八大竜王であります。死んでそこにはいないはずの舎利弗にも、己心の舎利弗なるゆえに話しかけえたのです。釈尊の胸に集めた何十万の人、それを対告衆として法華経を説いているのです。生命の実相をはっきりしなけば、法華経の序品から読めなくなってきます。
よく「法華経を読みました」などという人がいますが、おかしくてたまりません。読めるものですか、読めるわけがありません。大御本尊を信じないで、読めるわけなんかありません。もし、ありとすれば、大御本尊様を信じないまでも、大御本尊を知りぬいていえなかった竜樹(りゆうじゅ)、天親(てんじん)天台(てんだい)、妙楽(みようらく)はこのかぎりではありません。読めていたのです。
その意味からいきますれば、弥四郎国重は法華経をひろむべきいっさいの人を代表した人物、日蓮大聖人己心の弥四郎国重なのです。実在の人ではない。実在の人でなくても、いっこうさしつかえないのです。
歴史的に調べて実証して、こうあらねばならんなどというのは、科学ということばに迷った人のやり方で、仏法哲理の上からいけば、日蓮大聖人己心の弥四郎国重に授与あそばされたのですから、日蓮大聖人のお考えとしては、もっとも理想の人格、法華経の行者の弟子として、理想の人格の人物として、世の中へおさだめになって、その者にお下げ渡しになっているのですから、そんなこと、実在であろうとなかろうと、考えなくともいいことになってきます。
第一、智者の舎利弗の議論にたいして、寿量品を立て、生命を捨てて守護する信者を代表して、己心の弥四郎国重を日蓮大聖人は立てられたのです。諸君も、日蓮大聖人己心の弥四郎国重になりきりなさい。
これは私はたくさんの人の中では話しません。もしこれを話して、あなた方がこれを人に話していい負かされたり、自分の心に疑いを起こしたりしたならば、かならずや罰を受けねばなりません。それほど重大な本尊論の問題でありますから、めったに話したことはありません。ごく側近の者に話したことがあります。本日はもしこれをいわなければ、なおさら疑いを起こす時期にきているように思いますからして、やむなく問いにまかせて答えました。これは、絶対にまちがいのないことですから、信じていただきましょう。
(注1)(ふりがな)は、市成にて加筆。
🔶 令和三年には、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の佳節を迎えます。
🔶 まだ、間に合います。日蓮正宗へ改宗して、百年に一度の佳節を法華講員として共々にお祝いしたいのです。
🔶 市成照一の願いはただ一つ、創価学会員の皆さんが、僕のような地獄の苦しみを味わって欲しくないことです💝
日蓮正宗公式サイト
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日蓮正宗公式サイト 関連項目 正しい本尊とは
http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/p-deta/kyogaku/honzon/honzon_j.htm
日蓮正宗公式サイト 関連項目 日蓮正宗と創価学会との関係について
http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/p-deta/sokagakkai/soka_1j.htm
