ショボーンショボーンショボーン

 

1974年・・・・・・ もう半世紀も前の話になるのですね。

 

重篤な状態で入院した人物は 連続企業爆破事件にかかわっていたそうです。

 

 

 当時 私は三菱電機本社の社員で 三菱重工ビルと道路を挟んで向かい合っている

三菱電機ビルが職場(以後電機ビル)、所属の電算機営業技術2課は電機ビルの6階に入ってました。

 

昼休みが終わり午後の仕事についてすぐの事、凄まじい爆発音と同時にガラスが割れて一面真っ白になりました。そうです、重工ビルの玄関に置かれた物が爆発したのでした。

 

 後から知った事なのですが、1階から4~5階までの全ての窓ガラスは爆風により内部(仕事場)に飛び込んできましたが、爆発で震源部分?が真空になり、6階から上の階の窓ガラスは外に吸い込まれる形で割れました。書類なども一緒に吸い込まれるように飛んで行きました。外で怪我をされた方は、まさに「降って来た」ガラスでお怪我をされました。

 

 次の日の明け方から大きな台風が来るという予報で 男子社員は残り、女子社員は帰宅を命ぜられました。

私は次の日が移動日で、翌々日から名古屋工業大学で 2週間の予定で情報処理の授業の講師を依頼されてたため、出張旅費や2週間分の宿泊費を受け取るはずだったのですが それどころではなくなり 翌日自費で名古屋へ向かいました。

 

 名古屋へ着いてすぐに営業所へご挨拶に行ったのですが 皆さんから質問攻めにあい 営業所長からも色々質問され 皆さんのご心配を沢山いただきました。

次は中部地区の三菱関連が標的にされてると言う まことしやかな情報もあり 栄の地下街を通らないようにしたり 極力地下鉄を使わないようにと いろいろ不安な2週間でした。名駅前のホテルに泊まっていたので 名工大まではタクシーで移動してました。

 

 残った男子社員は翌朝の台風に備えて大変だったと思うけど、電機ビルの場合 一日で窓ガラスの復旧が完了したらしい(私は東京を離れてた)。関連会社が総出で拘わったと思いますが 三菱グループは凄いな~って思い知らされました。入社したときは「日本が倒れても三菱は倒れない」ってたたき込まれました。面白いでしょう?

国全体に気合いが入ってた時代でしたね。損害賠償もなく、泣き寝入りだったんですよね。

 

 そして最近のニュース、50年も偽名で生き抜いてきた人が本名で終わりたいとか。もう勝手にしてよ。いい加減にしてよ。どれだけの方々が迷惑だった事か。人生がくるってしまった人もいるんですよ。

 

 

 重工ビルの玄関で爆発したので「重工ビル爆破事件」という事になっていますが 実際は向かいの電機ビルの方が被害が大きかったのです。画像は夕刊フジから転載させていただきました。画像の右が重工ビル、左が電機ビルです。

6人、通りの白黒画像のようです

 

ショボーンショボーンショボーン