あんまりがんばらない巡礼記2009 -2ページ目

★茶飲み話〜『令和』は国産?

★だから新元号は漢籍からではなく日本の古典から持ってきたい、っていうのがアベちゃんのわりと強い意向の反映なんだって、草生えて分かりやすい。まあウナギや茹でタケノコも、うちら高くても国産のほう買いがちだもん。だから分かんないでもないけどねー。


それにさ、今、あの隣国とはいろいろ何かとあるじゃん、国内に漂うそんな空気も慮ったのかもしれないね。


ただね、令和って分かってると思うけど日本語ではないよ。
出典が漢籍じゃないってだけで、令も和も漢字の持ってる表意の機能を使って、気高いだの和むだのを表しますよ、って言いたいんだよ。しかもあなた、あの国産の名著万葉集から引いてきたんですよ、ニッポンですよ、ニッポン!とな。


漢字を使う時点で中国語だってこと、当たり前の大前提なんだよねえねえ。


だから私思うんだけど、あえてどうしても日本製を強調したくて万葉集を持ってきたんだったら、せめてあの(ただでさえめんどくさい古典の授業をさらに意味不明にした)万葉仮名にすりゃあよかったじゃん。あれは、漢字の意味じゃなく音を借りてきた、ひらがなの原点なんだから。


突然ですが。般若心経の最後の部分、ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー、あれね、経本見ると妙な漢字を当てて表記されてるんだけど。
使われてる漢字にあんまり意味はなくて、音が大事なのね。
あの部分は漢語ではなくて、古代インド語(サンスクリット)の音を漢字に当てたもので、大事な呪文だから漢語に訳してはならない、と、唐の三蔵法師さまが決めたのでした。


万葉仮名もそのパターンに当たるかも。


だから、隣国の典籍由来が嫌なら、ひらがなか、万葉集に固執するんなら万葉仮名にすりゃよかったじゃん、って話だわ。


まあもう決まっちゃったんし、私は悪くないと思っています、いろいろ言ったあとで何だけど。


つまりつまり、私たちの文化は、必然的な前提として中国を絶対に無視できないというあたりまえの事実を、初めから背負っているのですから。


私たちが裸族みたいに穴倉で暮していた頃、かの国ではすでに政治も社会も文化も整った国家を成していたのですから。


アベちゃん日本史と古文やり直し。


私さ、元号決めにiPS細胞のイケのノーベル博士が呼ばれたとき、新元号は「再生」でいいんじゃないか、とわりて本気で思ったよ•̀.̫•́✧



はあ〜〜だらだらとすいません。


次からはちゃんと巡礼記でいきます(︶^︶)






★北へ!2018③




★わが国の寺社のたぶん3割から半分近くは標高差の高い山森の中にあるみたいです。
はじめの山門なり第一鳥居が平地にあって、そこからオニのように何百段ものこれでもか石段が立ちはだかることで有名な寺社のひとつが、芭蕉翁の岩に染み入る何たらでにほんごであそぼのEテレキッズも知っている、山形県の立石寺いわゆる山寺、ですね。

あたしはねえ足が悪いから下で待つてるわ。。おばさんグループでたいてい一人はアタック隊からはずれると聞いてたんですけど、あれ嘘だよ。

けっこうなじいざばあさんが、ゆっくり休み休みだけど、みんな登れてたよ。足場も悪くないし。
山寺、って通称と観光的なある種の煽りで、登らせといて達成感を味わえるようになってるのではないだろーか。
現代のじーさんばーさんは、そんなやわじゃない。現代のシューズは芭蕉翁が履いてた草鞋の超進化系だよん。

顧みるに、こんびらさんの石段もそうだった。何百段から忘れたけど、みんな楽しそうにもうだめーとか言いながら、ちゃんと登れてた。
ああ、都営大江戸線のホームから地上までのほうがよっぽど「登山」ですよ!マジで。

ちなみに、こんびらさんで、お遍路終盤の私でもさすがにキツかったのは、本宮ではなく、その倍以上登ってたどり着いた奥宮(いわゆる奥の院)でした。登りきって、死んだ(+_+)

山寺立石寺は、アクセスもいいし、気軽に登れて山頂からの景色も素晴らしいし、なかなかの名刹ですので、オススメです。


この参拝のあと仙山線を山形まで行き、あこがれのあこがれのシンカリオンE3つばさで、帰京しました。


新幹線の話は、じつはたくさんあるんだけど、寺社巡礼の範疇に入らないからなー。
気が向いたら閑話休題でいつかお話させて下さいませ。


それでは、東北編、ここらで締めます。

比叡山や出雲大社のこともまだ「出力」してないんで。(世間の喧騒にせっつかれてるわけでもないけど、平成時代のうちに空白埋めとかないと、みたいと。なんて。てへʕ•ٹ•ʔ)

★北へ!2018②




★「ひとつ積んでは母のためぇ。ふたつ積んでは父のためぇ。みっつ積んではみどり児にぃ〜〜〜。ちりーん。ちりん。ちりん...」

うわあ。こえぇぇ。恐れ山!

さあ、ここより先は結界だわーみたいにそれなりの覚悟で下北からのバスを降りたのでした。
季節は五月。北国の春。


え?
ここって?
びっくりするくらい広々として明るく、霊場にはつきものの湿り気もひんやり感なく...ここがあの世とこの世の境界?
少しも恐ろしくない。むしろ爽やか。
だったんですよー。ほんとに。


恐れ山は高野山比叡山とならぶ日本三大霊場のひとつです。前二者は云わば正当な仏教文化の拠点でした。当然中央政権とも縁深く、庇護されたり逆に焼き討たれたり、で、今に至る大観光信仰名所。

それに対してこの北の果ての民間霊場は、中央からはるか北の柵外の歴史の中で、素朴ながらも独特な異彩をはなち、人々の祈りを受け入れてきました。
イタコ、と呼ばれたシャーマン?巫女?憑りまし?的な霊能者を介して死者と交信ができる、パワースポットだよね。今でいう。


そんなこんなで、恐れ山って名前の印象で抱いていた恐いな恐いな的なイメージと、目の前の風景とのギャップを補正するのに少し時間がかかりましたが。
でもそこはやはり三大霊場を標榜する恐れ山、雰囲気は十分ありましたよ。



小さいうちに死んでしまった子供の供養場で有名ですよね。
とりあえず人の親ですから、冒頭あげた詩、地蔵和讃、っていうんですけど、あれはアカン!
見も蓋もない。死んだ子はそもそも死んだことが親不孝だから成仏できない、だから賽の河原で泣きながら石を積んで父母を呼ぶ...オーマイガっ!理不尽で酷すぎる。
そこに光を背負った地蔵が現れて、幼子たちを西の浄土にいざなうというオチ付で、じつは地蔵信仰の薦めなんだけど。


恐れ山行ったのが去年でよかったよ。
今年だったら私たぶん賽の河原で怒り収まらず状態だったと思う。毎日ニュースで見るあのバカ親たちのせいで。
あろうことか実の親にほんとうに酷い殺され方をした子供たちは、じゃあ逆に親不孝だってことなわけでしょ、え?どーなの、地蔵さん!!
とか、仏教徒ならぬ不敬罪になるとこだったよ。


あ、怒ったまま終わりになってしまいます。
恐れ山の項、また後日続きお話します。
すいません(/_;)