今年の8月から、完全に我が家の扶養から外れることになった、現在東京都内で生活している長女からLINEで送られてきた言葉に、思いの外ドッキリ………と、させられました。

 

有ちゃんの遺書に書かれていた『ありがとうございました』を思い出し、なんとも表現し難い感情が湧いてきたのですね。

 

同じ感謝の言葉であるのに、こころに受けた想いは…なんという違いだろうか………と、久々に手榴弾でも投げられたような思いになりました。

 

 

 

巣立ちに際しての感謝の言葉には、なんともいえない寂しさはあれど喜ばしい門出ということもあり、(絶縁等無く)望めば此の世での再会も可能なので、切ないけれど嬉しさや親としての達成感?のようなものがあります。

 

 

有ちゃんの『ありがとうございました』は違う。

 

巣立ちではない。

 

本人なりの悩みに思い詰め、此の世には居られなくなり逝去した(去って逝った)のだと、あらためて思い知らされた感じです。

 

ここのところなんとか淡々と過ごしてきた中で、こころが大きく波立つように感じたプチ出来事でした。

 

 

 

 

LINEで一言だけ、感謝の思いを送信してくる長女。

(クールな奴です)ほかになんもない。

 

そんな彼女でも、あの日、変わり果てた有ちゃんと救急搬送された病院の一室で対面したときには、悲鳴を上げて泣き叫んでいました。

(その時その悲鳴を聞いて、ハッと我に返った私でした………)

 

 

けれど事後1年経つか経たない頃に放った言葉。

 

 

『近所の人たちは、とても哀れんだ目で私のことを気にかけてくれるみたいだけど、違うよ』

 

『とても悲しい事が起きてしまったのは事実だけど、だからといって私の人生そのものが不幸になったわけじゃない』

 

 

 

有ちゃんは中学校敷地内で旅立ったため、当初から地域住民の中では周知のことになっているので、針の筵状態にも感じた私でしたが、毅然と(…心配かけまいと?)大学に通い続けるために毎日玄関を出ていく長女の姿を、今も時々思い出します。

 

 

『妹を自死で亡くした』という、私と立場は違えど自死遺族であることは間違いない長女の人生はまだこれから。

(私よりは長く生きて、せっかくの人生を謳歌してほしいとは強く願うものの)

 

 

一寸先は光ですから。

 

 

私は私の『今』を生き、長女は長女の『今』を生きていくのでしょう。

 

 その時が来た。

 

 

 

7年目の今でも、長女は有ちゃんのお仏壇にお線香をあげません。

 

でも今年のお盆には、ティファニーブルー色のクッキー菓子詰めボックスを手向けていましたっけ。

 

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よっしゃ、ファイトー✎📖。

 

 

有ちゃんもお姉ちゃんも、何処へ居ようと、想い方ややり方は違うことはあっても、思いっきり応援しているぞ📣📣。

 

 

🌟♪最近の私の推し♪⇒tuki.ちゃん(15歳)、シンガソングライター。

有ちゃんと同い年くらいの女子学生さんは👀応援したくなっちゃうのだな。

星のしずく*管理人

 

 

 

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