自死で旅立った当時の亡き子は、中学2年生でした。

 

なので私は、近所の道で、バスや電車の中で、街中で………、中学生(特に制服の女子生徒)を見るのが苦しくてなりませんでした。

 

そのくせ、少しでも似た体型、似たタイプの子がいれば目が離せなくなり、とりつかれたように凝視しているという………。

 

そう、今思えば、まわりから見たら“変なオバサン”になっていたと思います。

 

 

 

自宅から最寄り駅に向かう道の途中にある葬儀ホールで、亡き子の通夜告別式を当時執り行ったのですが、通勤時にはもちろん、どこへ出かけるにも(自家用車を使うなどして故意に回避しなければ)必ず目にとまります。

 

その建物前を通りすぎるとき、心臓がバクバクしてきて呼吸が荒くなるので、深呼吸をしてなんとか落ち着かせようとするのですが、かえって噎せて涙まで流して、ほんと………、やはり“変なオバサン”に見えていたと思います。

 

 

しかしいつしか、気持ちの激しい揺れも少しずつ収まってきたんでしょうか。

 

道を歩いていて赤信号、横断歩道の向かいに女子中学生が立っていても、

 

――うちにも居たんだよなぁ。あなたたちみたいに、一見、元気溌剌としていて、そしておもしろい子でね、家族みんなでとても可愛がっていたんだよ。うん、ピチピチ、まるまるとした女子中学生がいたんだよ。

 

と、こんなふうに亡き子を思い出しつつも、妙に開き直って回想しながら、すれ違うことができるようになっていました。

 

 

葬儀ホールのビルが見えてきても、正面のガラス越しにジーーッと覗いてみたりして、

 

 ――ああ、今日は(葬儀が)あるようだな。故人の名前がロビーのモニターに表示してある。会場の準備や打ち合わせで忙しそうだなぁ。

 

なんて、亡き子の事を心の隅に置きつつ、客観的な目で商業施設として眺められるようにもなっていました。

 

 

メンタルマッチョ。?

 

いや、生きて歩いていくには、どうにせよ踏ん張るしかないので、そうしてきた結果なのかどうか。

 

 

メンタルマッチョ。?

 

最近は、休日に近所を散策ついでに、亡き子が飛び絶った中学校の『あの場所』が臨める小道まで歩き、立ち止まり、

 

 ――もう此処には居ないんだな、そんな感じ。遠い昔の事というより、お伽噺みたいになっちゃったなぁ。なんだか真実味も無くなってきたな、自分の中でも。あれは夢だったのか………。

 

 ――あそこから飛び降りたとき、怖くなかったのかな? 近くのマンションから、たまたま見かけた人もいなかったんだね。こんなにたくさんのマンションが犇めいているのにねぇ。都会の死角だねぇ。

 

なんて、余裕をこいたような? ひと呼吸おいて思いを巡らせるようにもなっているというマッチョ

 

 

 

ところが、です。

 

つい先日、仕事帰りに駅の改札口で、お母さんに駄々をこねて泣き叫んでいる女児(4歳くらい)を見かけたときのこと。

 

その子は買ってもらえなかった玩具があるらしく、これでもかこれでもかと泣き叫んでいましたが、その前を通りすぎたにもかかわらず、なかなか泣き叫び声が止まないのです。

 

どうやら二人は私と同じ電車に乗るようで、お母さんに手を無理矢理掴まれながら同じエスカレーターの、少し離れた下段の背後にいたわけです。

 

 

泣き声、叫び声は激しくなる一方。

 

 

うるさい。

 

本当にやかましい。

 

 

電車に乗り込みました。

 

その親子も同じ車両です。

 

 

女の子は、全身をフルにバタつかせて「降ろして!電車をとめて! ママなんか大嫌い! みんなもなんとか言ってーーー!」と、ギャーギャー泣き喚いて止まりません。

 

新型コロナの影響もあり、平日夕刻でも車内はそれほど混み合っていませんでしたけど、まわりの乗客は皆困った顔したり、知らん顔したりしています。

 

 

いやだぁーー! ママなんか降りてよぉー! みんな!なんとかしてぇーーー!」と、他乗客へ泣き喚きアピール。

 

呆れて笑いだしたお母さんは、その子を諭します。

 

恥ずかしいから、止めな! ○○ちゃんが約束を破ったのだから、今日はダメ!

 

しかし、泣き喚きはますますエスカレート!

 

 

………と、

 

………久々に心臓がバクバクしている私がいたのです。

 

その子の思いきりの良い泣き声や叫び声が、心をガツンと揺さぶったのです。

 

 

 ――苦しい!

 

 ――この子の自我のように、亡き子も、まわりの人たちへもっと激しく主張を表現できていれば、私だって嫌でも気づいてあげられたはずなのに………!

 

 

マッチョになっていたはずの仁王立ちスタイルのメンタルが、推定4歳児の膝カックンで転ばされてしまったというような図。

 

嗚咽と涙が噴き出してきて、止まりません。

 

 

焦って、咳をして誤魔化しては見たものの、その女の子の目は誤魔化せませんでした。

 

私が俯いて、マスクの下で泣き出していた顔を、驚いたように凝視していたのです。

 

一瞬だけ、車内は静かになりました。

 

 

 ――

 

なにかしなきゃと、でも相当焦ってしまった私は、大人な素振りも出来ずに、窓の外を眺めるふりしてその子から視線を外しました。

 

 

 ――ごめんね

 

誰に謝っているのか。

 

その子になのか、亡き子になのか。

 

 

 ――(気づいて)かまってあげられなくて、ごめんね

 

 

 

 

これほどの癇癪など起こしたことのない、穏やかな子でした。

 

第一反抗期も第二反抗期も、それほど無かったように記憶しています。

 

聞き分けのやたら良い、そしてノリの良い、人付き合いの良い子でした。

 

人に嫌な思いをさせることなんて、ほぼ無い子でした。

 

逆に、人に嫌な思いをさせている子に対して、警鐘を鳴らすべく行動に出ていた子でした。

 

 

なのに………、自死。

 

 

一番身近な家族をこんなに悲しい目にあわせた………、自死。

 

 

 

これは私のエゴです。私の意志(遺志)です

 

遺書に書いてあった残酷でキッパリとした言葉を思い出しました。

 

 

 

メンタルマッチョ崩壊、通りすがりの女児4歳の膝カックンに倒れる。

 

マスクびしょ濡れ事件簿。

 

 

 

小さい子供の駄々をこねて泣き叫ぶ声は、どうにも………いまだに私はダメなようです。

 

どんな場面にも、しなやかな心で立ち居振る舞えるようになるまでには、まだまだ修行と時間を要するような、悲しみ年齢3歳児。

 

 

📷10年前くらいに亡き子が描いた『お料理中の私と亡き娘本人』のクレヨン画です。

 

お伽噺になりそうな和やかな思い出も、お伽噺にしてしまいたい悲しい事も、しっかり私の隣に実在していた“この子”がもたらしたもの。

 

大切に抱えていけるように、この子が生前時のまま、キッチンの壁に飾っています。

 

星のしずく*管理人

 

 

 

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