2017年2月に、私は左肺全摘除の手術を控えていました。

 

自身が学生時代に患った病気治療の後遺症で、風邪をひくたびに重たい肺炎を繰り返すこと20回近く、次に肺炎を起こせば命とりになりかねない、体力があるうちに元凶の左肺は全摘除したほうがよいと医師に言われ、予定していたわけです。

 

 

しかし手術前の1月に、我が子の突然の自死。

 

いしょ』と題した手紙の最後のほうには大きめの文字で『マミーの肺の手術が成功することを願っています』と書いてありました。

 

 

あの子自身思い悩んでいた最中(さなか)であろうに、しっかりとエールを送ってくれていたことはとても嬉しいし励みにもなるはずなのに、それとは矛盾しているような自殺企図に、激しい悲しみと苦しみ、ぶつけようのない怒りで、何もかも投げ出したい心境でした。

 

 

自ら命を絶った我が子にこの身を案じられ、先の人生を応援されている……?

 

 

正直わけがわかりませんでした。

 

親にとって子供は未来の希望、我が子が人生をエンジョイする姿こそが一番の励みになるのに………、それを絶たれたショックと悲しみの中で、この先長生きをするための手術をして一体なんの意味があるんだろうか、と。

 

 

手術前の辛い精密検査中もずっと涙が流れていたのは、その検査自体の辛さよりも、先立たれたショックと悲しみの所為です。

 

泣きはらした顔でよろよろと検査通院する私は、きっとまわりの人たちには異様なオバサンに見えたことでしょう。

 

いや、もはや周囲にスルーされる存在感の無い半透明人間になっていたようにも思います。

 

 

   *

 

前置きが長くなりましたが、ここで私は不思議な偶然を目にすることになります。

 

 

あの日もふらふらと、術前検査のために病院へ出向きました。

 

待ち合いフロアの椅子にぐったりと座り込み、流れ出る血(涙)を拭うこともなく、心の中であの子の名前を叫び続けていると――――

 

 

血の海の向こうに、何かが見えます。

 

どことなく懐かしい風景です。

 

明るいパステル調の色で描いた風景画、でも不思議と眩し過ぎない、程よい明るさの一枚の絵が、病院の白い壁に飾ってあるのが見えました。

 

 

あの丘は……、あの花は……、デジャヴでしょうか。

 

 

でもやはり見たことがあるなぁと、一気に絵の中に吸い込まれていきました。

 

流血を拭い、食い入るように風景画の中を散策します。

 

額縁の下には、作品名と画家名が記されてありました。

 

 

 

『ハマナスの丘』/佐藤芳彰(さとうよしあき)

 

 

 

 ――ああ……、ハマナス……。

 

 

北方面出身の私には、とても馴染みのある花です。

 

故郷では海岸沿いに群生している植物であり、真っ赤な実のほうは、あのローズヒップティーになります。

 

 

と、気がつくと、院内の外来フロアあちらこちらに同じ画家の絵画作品が飾られていることに気づきました。

 

やはりどの画も懐かしい見たことのある風景。

 

私は何かに取り憑かれたように、展示してあるそれらを片っ端から鑑賞していきます。

 

 

故郷にも咲いている、亡き子とも一緒に眺めたハマナスの花、ハマナスの実。

 

悲しみの嵐の中で方向を見失い、豪雨で冷えきっていた心が、ほんの僅かですが温かくなってくるのを事後に感じたのも、この時でした。

 

 

全ての絵に目を通し終えるとフロアの椅子に座り、記してあった画家名をスマホで検索しました。

 

すると。

 

 

佐藤芳彰(さとうよしあき)

1940年 北海道岩見沢に生まれる

1959年 写真製版所入社 以後印刷会社~広告代理店に勤務

1973年 フリーになる。北海道漫画集団設立に参加

1991年 上湧別オホーツク国際漫画大賞審査員特別賞受賞

 

―2006年1月12日死去―

 

 

 

  ――え?

 

 

画面をスクロールする手が止まりました。

 

 

すでに他界していた画家の作品、やはり北方面出身、そして西暦は違えど、命日が我が子と同じ月日だったのです。

 

 

私は暫くその場から動けませんでした。

 

 

 

絵を描くのが大好きな子でした。

 

将来の夢はイラストレーターでした。

 

そんなあの子とも結び付いて、そして故郷にも咲いているハマナスの花、真っ赤な実、懐かしい丘。

 

 

 

 

画家の画歴などが表記されているページを、家族LINEに添付送信しました。

 

 

そして………

私は決めたのです。

 

手術は延期してもらい、あの子の四十九日法要が終えてから、3月頭に変更して挑むことに。

 

気のせい、単なる偶然だとしても、嵐の海で灯台のあかりを遠方に見つけたような、そんな気持ちになったのは確かだったので。

 

 

   *

 

左肺全摘除手術は難なく成功。

 

取り除いた左肺のカラー写真を担当医さんがプリントアウトしてくださいましたが←(^_^;)(グロ注意)

 

報告として我が子の仏壇に供え、以来そのままにしています。

 

 

現在は、空っぽになった左肺部分には、いつもあの子を入れて歩いています。

 

そのつもりなんだよという話ですがね。

 

出たり入ったりしていますよ、あの世とこの世、大好きだった人たちのところへ、行ったり来たり。

  (そんな都合の良い解釈で、藁にも縋る想いではありますが)

 

 

あのハマナスの丘にも、きっと。

 

星のしずく*管理人

 

 

 

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