今朝は、外へ出るとお星様がいくつも見えました。

少し前まで、3群の母さんたちが待機室に集まってくるときは、明るくなっていて、最初から電気は消していましたが、昨日の朝から、待機室の電気を消すと、パーラーだけが煌々として、待機室の暗がりの中に、母さんたちが集まっている感じで、日が短くなっていることを実感しました。

ここのところ、分娩後の乳房炎(熱があるので、抗生物質も注射)や、いまいち調子がぱっとしない母さんが続出で、濾過紙の汚れが続いていました。

ついに、1群でも親方が前搾りで見つけたのですが、その母さんは、陰部が腫れぼったく、体形も、分娩の近い感じで、乳房炎の薬を入れて治療しながら、昨晩、親方が乾乳にしました。受精台帳を見ると、最後に種付けした日か逆算すると、来年の3月分娩予定なのですが、その前の種付けに遡ると、ちょうど今月分娩予定になるので、止まった後に、もう1回付けられちゃったんだと話ました。

一昨日にも、2群にいた母さんが、分娩予定は同じく来年の3月だったのですが、やっぱり1回前の受精の種が止まっていたみたいで、無事に乾乳牛舎のパドックに移してからホルメスさんを産みました。たまたま同じ受精師さんだったので、6月頃は不調だったのかなあと思ったりしました。

でも、1群や2群にいたままだったら、仔牛がスクレッパーで流されて死んでしまったので、どんな些細な異変でも、気づいて、すぐに行動することが大切なんだと再び痛感しました。でも、母さんたちは、小さな異変という形でも、必ずこちらに伝えてくるんだなあということも実感しました。1群で乳房炎が出ることはめったにないので、そういう形で、もうすぐ仔牛を産みますよ~と知らせてくれたのだと思いました。

今朝は、分娩後、動きはとても機敏で、1回乳房炎になりましたが、悪性の乳房炎でなかったので、1回の治療ですぐに治った母さんが、広場で旅立っていました。

ここのところ、痩せ方が急激で、たまに広場で足を滑らせて自分で立てなくなって、カウリフトで吊ってもらってパーラーに来たりしていたのですが、昨晩も2回、カウリフトで吊ってもらい、搾乳後、仔牛の牛舎の乾草を持っていくと、ぼそぼそ食べていたのですが、あっという間でした。

この間のお休みに、加藤登紀子さんと柳美里さんのパートナーのガンとの闘病記(といっていいのかどうか)を読んだので、旅立った母さんの急激な痩せ方は、母さんももしかしたらガンだったのかなあと思いました。

旅立つ母さんもいましたが、また続々仔牛も産まれ、F1さんとホルオスさんがずっと続いていたのですが、一昨日はホルメスさんが2名産まれました。最近は、酪農家が、肉牛を育てることが多くなってきているらしく、親方も、冗談で(?)、「家も始めるか。。。」と言っていますが、私はまだまだ乳牛のことは分からないことがたくさんあるし、やってあげたいけれど出来ていないこともたくさんあるので、「う~ん?」と答えています。

ついに、カナダから、少しずつ返信メールが来るようになり、今朝は、私が行こうと地図で探した街の牧場を案内するために、あなたの旅行の日程を詳しく送ってくださいと、オンタリオ州の酪農センターのようなところの事務の方から返信メールがあって、「うわ~何もつてもなく、誰も知らないところで、世界地図見ながらここまで辿りつけた~」と嬉しくなりましたが、自分の体力気力がぱっとしない部分もあり、無茶して、体調崩して、帰ってから仕事が滞っては、またスタッフさんの入れ替わりの予定もあるので、迷いもまだあります。

でも、農家だと、行こうと思ったときに強引にでも行かないと、周りに気をつかって行けなくなるので、一応、今晩、返信メールを送ってしまいました。

ここのところ、自分の働きがとても悪いので、1ヶ月くらい休んで、リフレッシュして力をみなぎらせて仕事をしたいなあと思うところです。