前回の読書記録からずいぶん経ってしまった。サボリ癖が出てしまい、本を読んでも読書記録を書いてなかったのでまとめて書くことにする。

早いとこ書いておかないと、これらの本を読んだそのとき自分がどう思ったか、サッパリ分からなくなってしまうからだ。


塩野七生 文庫版 『ローマ人の物語 危機と克服 21,22,23巻』

悪帝として名高いネロの次の皇帝ガルバからオトー、ヴィテリウス、ヴェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌスと続き、五賢帝ネルヴァときて、トライアヌスの治世始めまでを扱っている。

ガルバ、オトー、ヴィテリウスと1年半のうちに皇帝がどんどん変わり、名門ではないが健全な常識人であるヴェスパシアヌスで10年間ほど落ち着く形となる。そのあとを継いだ息子ティトゥスが病気で2年で世を去り、弟ドミティアヌスが15年やって、その後ネルヴァに帝位がわたる。

帝位争いはあくまで国内問題。帝位をめぐって国内が混乱しているところに、ゲルマン人が勢いづき、ガリア属州が反旗を翻したりと、広い範囲を統治する国にはつきものなんだろうなー、と思わせる事件が盛りだくさん。皇帝はがんばって事態を収拾しようとするが、中国の皇帝と違って、市民・元老院・軍団からの承認が一つでも受けられないと立場が危うくなって、下手すると暗殺されるローマの皇帝は大変だ。

そんなふうに皇帝が次から次に入れ替わることはあっても、体制を第一人者による君主制をもとの共和制に戻そうとするのではなく、あくまで皇帝になる「人間」を変えようとするローマ人は、もはや帝政になれきってしまった、という著者の指摘は鋭い。そうなったときに、帝国が皇帝として求める人物がカエサルやアウグストゥスのようなブッチギリの天才ではなく、組織の維持ができるだけの常識を持ち合わせた人間(ここではヴェスパシアヌス)だったということにも納得がいく。

それにしても、必要なときに必要な素養を持つ人材が適切なポストについている、または元老院・軍団内にいながらその準備が出来ているという体制は実によく出来ていると思う。地方の軍団兵が才能を発揮して皇帝にまでなってしまうんだから、実力主義の徹底振りには驚くばかりだ。中世から産業革命までのヨーロッパはイタリアに大きな大きな忘れ物をしてきたものだ。

短いけどこのくらいにして次。



朝永振一郎 『物理学とはなんだろうか 上・下』

熱力学が嫌いな人にオススメ。これを読めば大好きになれる!?

熱力学は難しい。何が難しいかって、式自体はそうゴチャゴチャないんだけど、とにもかくにも式の意味がわからない。1年夏学期に準必修の熱力学を履修し、なんかよく分からないけどそのまま逃げ切った人も多いはず。今これが必修になって戻ってきて死にそうになってきているわけだが・・・・・・。

だが!熱力学わっかんねーよコンチクショー、と思ったのは僕らだけではなかった。カルノーもボルツマンも、熱力学で名前が出てくる有名な科学者たちはみんなやっぱり悩んでた。悩みながら議論を重ねながら、思考実験したり、実験技術の発展を願いながらノートにアイデアを残して逝ったりと、試行錯誤の連続だったようだ。ドルトンやアヴォガドロが出る前に、もしかして物質って原子みたいになってんじゃね?みたいな地盤の固まっていない仮定を立てて、それをもとにトライアンドエラーを繰り返す姿勢は涙なしには語れない。まさに科学者の鑑!

今やヒトのDNA配列が全部解析されちゃって、タンパク質とDNA配列を対応させてデータベース化しちゃって、バイオインフォマティクスって学問まで出来てきているけど、ゴリ押しで攻めるのはどうかねー。悪くはないんだけど、仮説を立てて、それを実験で検証し、間違ってたら修正してまた検証し・・・・・・ってのが科学だよねー、という嶋○先生の考えには賛成。今日の授業も雑談ばっかりでした(心構えなど、大事っぽい話もあった)。ええ、分かってますよ先生。自分で苦労して勉強します。

熱力学を好きになりたい方へイチオシの一冊。

熱力学だけじゃなくて、プトレマイオスの天動説あたりから始まってコペルニクス、ガリレイ、ケプラーとかニュートンの話もいっぱいだ。これから相対論・量子力学についても書くぞーって時に著者が帰らぬ人となってしまったので未完になってしまっている。マルクスの資本論みたいだなー。続きが読みたくて仕方ない。んー、残念。



日垣隆 『世間のウソ』

報道、統計、制度などなど、世の中ウソが一杯なんだなあと思った。1年の冬学期に社会統計学っていう授業を履修して、そこで、統計ってイジる人がイジると、黒だろうがなんだろうが白と言えてしまうんだなあってこと。どうもこの本によると、話は統計にとどまらないようだ。特に目を引くのが、カネと報道関連の問題提起。

カネってのは主に宝くじなんだけど、一等の金額を引き上げて2億だ3億だとPRしまくっている裏で、1万円程度の低い当選がめちゃめちゃ減らされて、胴元に入るカネの量が増し増しになっているとのこと。どうりでかすりもしないわけだ。クラスメイトと1枚ずつ買っただけだったけど。

報道関係は、六本木ヒルズの回転ドアの話や精神鑑定、児童虐待についての指摘。回転ドアに子供が突っ込んでいって死んだ件については、企業側に全面的な責任があるとは言いがたいと思う。そりゃあ、子供の前にもいろんな人がはさまれてケガしているのだから、対策を考えなかったのは問題だ。でも同様に、回転ドアに限らず、建物の入口に走って入っていく子供を引き止めたり注意したりしない・できない親も悪い。常識的に考えて、部屋だろうが建物だろうが、入口を通るときは走ってはいけない。マナーがなってません。

あと、精神鑑定。責任能力がないと判断されると罪に問われなくなったり罪が軽くなったりするわけだけど、被害者側の気持ちはどうなる?日本の刑法は、明治憲法がドイツ憲法を手本にしていたように、西洋を踏襲している。精神異常者は責任能力がないから罪に問わないことにする、ってのがなぜあるのかっていうと、それが列強諸国にあったから。要するに、近代国家の大原則ってやつ。精神異常者に罪を問わないのは、どの近代国家もそうしているからだ!ということだ。でも、これってどう?近代国家云々は差し置いて、直感的に、この考え方はおかしいんじゃないかなー、と僕は思う。



坪田一男 『理系のための研究生活ガイド』

面白そうだったんで読んでみたけど、マル秘ノウハウと言っているわりに、特に参考になった点は限られる。

ボスは選べ。・・・・・・付いていく先生を間違えたら人生終わりそうってのはみんなうすうす感づいているんじゃない?

パソコンを利用しよう。・・・・・当然。

時間管理術。・・・・・・時間に縛られて、いい発想できるのかな?

体調維持術。・・・・・・僕はまだ20歳なので、当面考える必要がない。

ただ、参考になった点があるのも事実。研究テーマの決め方、勉強の仕方、留学の仕方、学会のことなどなど。まあ、あれだ。研究室に配属されないとイマイチ実感わかない。そんな感じ。




高田里恵子 『グロテスクな教養』

・・・・・・さすがに疲れてきた。

教養主義云々って話。東大のこともたくさん書いてあるんだけど、どれもはるか過去、日比谷とか筑駒の前身、東京教育大付属駒場が全盛のころの話が多い。オイオイいつの話だよ、と。この辺の話を詳しく詳しくやっても、今の東大の状況とは結びつかない。

でもまあ、一つ分かるのは、全共闘とかアツイことをやってらした先輩方が、いま、駒場生協前で、毎日毎日小泉・ブッシュバッシングの単純な主張を繰り返すだけの五月蝿い連中を見ると、「あー、東大もう終わったなコレ。」と思われるだろうなってこと。単純な主張を執拗に繰り返す手法は、ヒトラーが獄中で書いた『我が闘争』の中で言ってたような言ってなかったような。そう言ってやったら連中どういう顔をするかねー。



長かったー。さすがに疲れたわぁ。


幡ヶ谷でサークル。

人少なっ。

おかげで、今日は合宿以来の弓引き放題デーだった。

弓は充実していた。

問題はその後だ。


アフターは、Kな感じのJohnの提案により

バーガーバーガー選手権@マクドナルド。


出場選手は僕とTBTBさんとマッスーとJohnとイオリン、ハーマンにアッキーの7人。


代表のイオリンが注文を済ませてもどってくると、席には期待と不安の入り混じる不思議な雰囲気が漂っていた。

そして注文の品が席に届けられる。店員さんはものすごくいい笑顔をしていた。

第一陣は、軽めだ。

ハンバーガー10個とチーズバーガー10個。

僕は例のごとく不摂生ぶりを発揮し、朝から何も食べていない。スタートは勢いがよかった。

ハンバーガー1個とチーズバーガー2個を平らげる。


これはまだまだいける!

誰もがそう思っていた。


そして本隊が届く。

マックチキン20個。


やってみれば分かるんだが、マックチキンは重い。かなりヘヴィに胃を責める。

アッキーが端っこでかなり苦しそうにしていた。

大食いに挑戦する日本人は同じことを考えるのか、彼が苦しみの中で編み出したバーガーの食べ方は、かのニューヨークホットドッグ選手権の王者、小林氏の食べ方と同じものだった。

つまり、バーガー解体して、パン部分をまず食べ、その後まんなかの具の処理に移る、というものだ。

僕自身、アッキーのこの食べ方のおかげでなんとかマックチキン3つを食べることに成功した。

もう動けなかった。


結局、優勝はJohnの7個半。アッキーが最後半分でギブしたマックチキン処理をも請け負ったのだ。完璧な勝利である。

なお、JohnはつまるところKであり、アメリカ人ではないことを付記しておく。


今日はもうだめ。

愛知万博の使用済み入場券が手元にある。

テレカみたいなカードだ。

懐かしいなーと思いながら裏を読んでみると


「このカードには0.4mm角のICチップが埋め込まれています。」


みたいなことが書いてある。

「日本の技術の進歩はすごいもんだなあ。」

と感心していたのは万博当時。


今日持った感想は・・・・・・

「カードを分解してみよう!」

だった。


というわけで分解。

照明にカードを透かし、回路のある部分を切り抜き、紙の部分をはがしていく・・・・・・。

するとこんな感じの回路が出てきた。


表か裏かわからないけど片方の側。

万博入場券_表


反対側。

万博入場券_裏



で、例の0.4mm角チップはどれだろうなー、とよく見てみると、発見!


なるほどこれは小さい!

ICチップに流れる電流はどこから来るかというと、チップを読み取り機に通したときに磁場をかけ、誘導電流を発生させているのだと考えられる。チップが小さく導線の直径が細ければ、小さな電圧で十分な電流を流し、チップを機能させることができる。


これ以上細かく見ることが出来ない。

大学の6号館(実験棟)にある双眼顕微鏡が僕の部屋にないのが残念だ。


誘導電流を使うっていうことを仮定すれば、

この回路は磁力線が貫くべき円状回路になっているか、もしくはコイル部を持っている。そしてもうひとつ、このICが未使用なのか使用後なのかという値を読み取り機に返す装置があるはずだ(このカードは1回しか入れないカードだから)。


理Ⅱか理Ⅲの人は2年夏学期の生物実験で双眼顕微鏡をよく使うんで、だれか観察の続きをやってみませんか?


追記:

もうちょっとしっかり紙を剥いで、細かく観察してみました。


万博入場券_模式図


こんな感じになっています。茶色の部分は曲げた感じ、金属でできている様子。

端っこの耳部分の役割は僕には想像が付きません。

茶色の金属部分がベージュ色の部分を囲んでいる形になっていて、一箇所がICチップに接続されているようです。

多分重要だと思われるのが、図でICチップから右に出ている部分。ここも茶色の金属で出来ています。

この部分は何でしょう。発振器でしょうか。

回路のブラックボックス化は、分解して構造を理解したい人の前に大きな壁として立ちはだかっています。



昨日になってしまったけど、月曜日は1限9時から本郷。

朝の京王線新宿行きは混んでいるので

2代3代後の東京人(新宿行)は、バッグを持った状態で体が正六角柱のハニカム構造になるように進化するだろう。間違いない。

で、なんと5限が休講。2時半に学校を放り出される。

やることない!

ってことで友達と渋谷に行き、一蘭ラーメン。

友達と一緒に行ったのに、席は離れた。

一蘭jはカウンターが仕切られているのだ。

しかし・・・・・・・・・・・・・美味い!美味すぎる!

昼ごはんもしっかり食べてたのに、替玉してしまった。当然だ。替玉せずにいられるはずがない。

そしてその後はフツーに帰って、寝転んで・・・・・・気がつくと朝4時。

今日はアミノ酸20種の3字表記・1字表記と化学構造式のテストだ。

パパッと覚えなきゃ、ってことでのんびり覚えてた。

そんな朝。

それにしても秋の晴れた日は空が高い。チョー気持ちいい。

まさに、希望の朝だ。よろこびに胸を・・・・・・云々書いているとJASRACにボコられそうなのでここでやめておこう。

とにかく秋の晴れた朝は素晴らしいってことで。

僕らが入学した年、この先生の授業は駒場の名物授業だった。

チンパンジーについて研究したらしいんだけど、「実はチンパンジーがすっごく嫌いだったんです。」って言ってた。チンパンジーの行動は、人間の悪の部分とそっくりなのだそうだ。争いがあった時、勝ったほうは負けたほうを必要以上に残酷な方法で嬲り殺すことを例として挙げていた。

進化の系統樹ではチンパンジーと人間は同じ先祖をもつだけで、チンパンジー→人間というのは誤りということになっている。

チンパンジーと人間に共通な残酷性が見られるということは、チンパンジーと人間の共通祖先がそもそも残酷だったのか、それとも2手に分かれたチンパンジーと人間の両方が進化の過程でともにそれぞれ残酷性を身につけたのか。

それ以外にも、残酷という観念がそもそも主観的である点に着目してみれば、人間から見るとチンパンジーの残酷性は、チンパンジーが人間に近いが故により際立って見えるとも考えることができるだろう。圧倒した相手を必要以上に痛めつける行動は、猫みたいに人からは遠い種にも見られる。


とにかく本書はそんなハセマリ先生のエッセイ集。

世界に衝撃を与えたクローン羊ドリーをはじめ、いろんな生物のことが書いてある。

ほかにも科学史、科学哲学と内容は多岐に渡り、遠くイギリスはケンブリッジ大学の研究環境のことやイェール大学のことも書いてある。だいたいどのテーマについても5ページくらいでまとめてあるので、感想をまとめることもなかなか難しい。

でも、とりあえず言えるのは、極端な考え方はだいたい疑ってかかったほうがいい、ということだ。

世の中全部神様が決めているとかいう一神教的世界観もそうだし、逆に、科学ですべてが解き明かすことができるという考え方もそうだ。数式で宇宙のすべてを表すことができるという考え方も相当怪しい。

思考のバランス感覚を大事にしようね、ってことが伝わってくる。




思うに、科学ってなんだろう。

科学は客観的で、かつ、科学者相互の検証による自浄作用を持っているから、宗教に比べて、他のどんな考え方に比べても圧倒的に正しい、今まで僕はそう思ってきた。今もそれは変わらない。

でも科学って、もしかするとものすごく宗教的なんじゃ・・・?


例1.みんな科学的に正しい、と言われれば信じる。というか、信じざるを得ない。なぜならみんな心の中で無意識に科学は正しいと思っているから。

例2.科学は生活の隅々にまで浸透し、僕らの生活に影響を与え続けている。ケータイひとつとっても電磁気学、相対性理論他もろもろの理論の上に成り立っている。


この2例の特徴はそのまま宗教にもあてはまる。

ただ、科学は実際に応用できる点で宗教とは大きく違うので、これがそのまま科学=宗教にはならない。


僕がこんなことを考えるのは、もしかすると僕が日本人だからかもしれない。

西洋では、超越者である神様が創った世界がいかに理路整然とした素晴らしい世界であるかを証明するためのものとして科学が位置づけられる。無神論者なんてほとんどいなくて、いたとしてもagnostic,つまり神様がいるかいないかなんてこと人間なんかに分かるはずがないよっていう不可知論の立場を取る人までだろう。

一方、日本では科学の存在理由が曖昧になっているため、科学が一人歩きしてしまっている。科学が宗教そのものになってしまいそうな勢いだ。僕が思うに、こういう状況だから、科学を信仰するクソ怪しい信仰宗教団体ができてきているんじゃないだろうか。原●研だったか統●教会だったかしらないが。


科学は一体何のためにあるのだろうか。手段であるはずの科学が自己目的化してしまわないように、科学する目的を明確にし続けなければならないと思う。