昨夜、いとこの通夜に行ってきました。

 

先日、私の両親にきょうだいが多い話をしましたが、(全部で12人で、その連れ合いを合わせると24人)それに加えて親戚同士の付き合いが濃く、これまで冠婚葬祭があると必ず顔を出していました。

 

父が早くに亡くなったため、私は20代の頃から家を代表してずっと参加していたのです。おじやおばが皆亡くなり、気が付けば今度はいよいよ私たちの代になっていたのです。

 

これで亡くなったいとこは8人目です。そういえば、まだ50代なのに高校の同級生も3名すでに亡くなっています。しかも、3人とも女性。

 

そのうち、一人の女性(幼稚園時代から高校までずっと一緒でした)が亡くなったときはいろいろ考えさせられました。

 

ある時、近くの鍼灸院でマッサージをしていたときのこと、急にとなりから「〇〇君と違う?」「えっ?」振り向くと、隣の施術台に一人の女性が。思わず「きれいな人なので、〇〇さんとは気が付かなかった!」と言うと、彼女「〇〇君もそんなこと言うようになったんや(笑)」と言われてしまい、そのときはその場で別れたのですが、それから一月経つか経たないうちに彼女の訃報を聞きました。

 

癌だったそうですが、そんなそぶりを微塵も見せず凄いなあと思ったものです。

 

亡くなった親戚には、自然死した人のほかに事故死した人や自殺した人もいます。亡くなったいとこで一番早くに亡くなった人は女性で、当時まだ40歳そこそこでした。脳腫瘍から多臓器への転移でした。最後は目が見えなくなり、かわいそうでした。子供もまだ中学生でしたので。

 

思えばたくさんの死と向き合ってきました。ただ、通夜や葬式に行くだけではなく、病気の場合は生前からお見舞いし、亡くなるまでの過程を見てきているので辛かったです。母親がそういう人で誰か知り合いが入院したと聞くと必ず見舞いに行くので、私が車で同行するという感じでした。

 

結婚式はめでたいことで、しかも一度で終わるのですが、人が亡くなると、通夜、葬式、初七日、二七日、三七日、満中陰、四十九日、初盆、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌…と続き、そのたびに故人宅で法事があります。人一人亡くなると、何と「12回」は足を運ぶことになります。全員ではないですが、私の場合少なくとも20人以上の故人に対して同じことをしてきました。12×20=? これに加えて見舞いにも何度となく足を運んだものです。

 

それが「普通」だと思っていたのですが、周りの人にこの話をすると、親戚づきあい自体ほとんどない人もいるようで、私の経験が「普通」とは限らないようです。

 

何が言いたいかというと、行くたびに「死」について考えざるを得ないのです。

 

自分も年齢を重ねるにつれ、「一日一日を大切に」という思いが強くなってきているのを感じます。どこかで聞いた言葉が頭の中でこだまします。

 

「『死』とは、いつか来る今日。そこから『覚悟』が生まれる」

 

そういえば、あの伊集院静さんも言っていましたね。「サボったやつはすぐにいなくなる。頑張ったときにだけ手を差し伸べてくれるものがいる」と。

 

今日が最後の日だと思って生きられたら、どんなに充実した日々を送れるでしょう? そんな日々をできるだけ数多く送りたいものですね。

 

今日もお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

では、また明日。。