片山攝三先生のスタジオに頻繁に通っていた頃、
先生は青臭い学生の話を優しく聴いて下さった。
清濁併せ呑む、といい言葉を
若造に説いて下さったのも先生だった。
あれから何十年も経った今、
ようやく解ったような気もするし、
まるで解っていないのでは、という思いもある。
現時点の私の解釈は、
全肯定する、というものだ。
起きたことの良し悪しについて、
性急に答えを決め付けない、という
精神的なゆとりを持て、と解釈している。
この歳になれば実感を伴って確信できるのは、
父がよく口にしていた
禍福はあざなえる縄の如し とか、
人間万事塞翁が馬 といった教訓だ。
全肯定したところから、
いかに最善手を指せるかは、
精神的なゆとりがなければ難しい。
全肯定することは、
自分も周りも呑み込んで
見ている世界を爽やかなものにする。
そうして初めて、
肩の力の抜けた自由自在な最善手が生まれるのだ。
週末は筏津遊びをした。
残念ながら、海水はきれいとは言えず、
まさに濁流の中を遊んだ気がした。


