昭和59年、福岡でのお話です。
近所の人たちが毎年楽しみにしている
桜の美しい小さな路がありました。
しかしその道は、道路拡張のため、
桜の木も伐採されることになりました。
その桜の木に、詠み人しらずの歌が画用紙に書かれ吊るされます。
「花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花を許したまえ」
道路工事が進む様子を見た人が、桜の蕾も膨らみ、
開花まで2週間ほど伐採を待って欲しいと訴えたのでした。
その話を聞いた新聞記者は、市の担当部署に掛け合います。
翌日の社会面のトップ記事として掲載された記事を読んだ
当時の進藤市長は、さっそく担当者に指示を出します。
再調査が行われ、工事は変更されることになりました。
粋な市長の計らいで、桜の木の周りは小さな公園として
残されることになりました。
そして、進藤市長は返歌の短冊を桜の木に吊るします。
「桜花(はな)惜しむ 大和心のうるわしや 永久に匂わん 花の心は」
最後の花としてではなく、永久に残しますよと答えたのです。
このエピソードは、多くの方に感動を与え海外にも広く紹介されました。
こうして桧原桜は、今も多くの方に親しまれています。
福岡ちゃ、こげなとこばい。 よかろ?