どうも不穏な記事タイトルだが、何となく思いついただけなのでご安心いただきたい。
昨夜はクリスマスイブ。
例年通り私は同居女子と二人で過ごしたが、クリスマスツリーはテーブルに乗せられる極小サイズ、チキンを食べるでもなく(普段から彼女がチキンが苦手なので)、彼女のリクエストで私が作った豚肉の生姜焼きにご飯、あとは彼女が大混雑のデパートで買ってきたクリスマスケーキで済ませた。
「済ませた」というとなにやらぞんざいだが、私たちにとってはこれが適量で特にわびしい気分もなく、穏やかな満ち足りたイブだった。
上の写真の花束は私がサプライズで用意したもので、きのう彼女にあげたクリスマス・プレゼントである。ネットで買って指定の日に届けてくれるやつで、ネットのカタログを眺めていたら「クリスマス・セット」という枠があり、その中にたまたま同居女子の好きな百合とバラをセットにしたものがあったのでこれにした。
案の定、届くと彼女は飛び上がるように喜び、今ではこうして自分の部屋にデンと飾ってある。後ろに東映のポスターがチラチラ見えているのが、私が「デジモンゴーストゲーム」の仕事をしていた関係で今年もいただいたカレンダーで、私でなく彼女が使っている(気が早いようだが、来年のカレンダーなのに既に使っているのが彼女らしいところ)。
で、その花束だが……。
わざわざ今年初めてクリスマスに花束をプレゼントしたのには理由がある。
少し前に「クリスマス・プレゼントは何がいいの?」と聞くと、彼女は自分のスマホ画面に出したブランド物のネックレスを私に見せ、「今年だけはどうしてもこれ」
と言う。
「どれどれ……」
見ると、目の玉が飛び出るような金額で、さすがの私もたじろいだ。
「こ、これ……高いよね……」
すると、彼女は必死の形相で言う。
「まさし!今年はどうしてもこれが欲しいの!あのね、これから三年間、クリスマスと誕生日のプレゼントはナシでいいから、これが欲しい!」
「そ、そんなに欲しいの?」
「そんなに欲しい!」
という訳で、「向こう三年間、年に二回のプレゼントはナシ」という条件付きで、私がそのネックレスを買った。普段は、というより、これまで一度もこんなおねだりをした事のない人なので、おそらくそのネックレスの虜になってしまったのだろう。私とて、「どうしても欲しい」と思った飛行機模型は必ず買う方だから(ブランドのネックレスとは比べものにならないほど安いが)、人とはどうもそういう「何かに魅入られる瞬間」があるものらしい。
彼女は当然きのう花束をもらった時の100倍くらいの喜びようだったが、それはともかく、今月の初めには既にクリスマスプレゼントを買ってしまっていたので、きのうは彼女にあげるものがない。
約束とは言え、私は日増しに気になってきた。
「いくら約束とはいえ、イブになんにもプレゼントがないってのもなあ……」
そこで、形ばかりだが花束進呈という段取りになった。
互いに歳を取るにつれ、『生活のダウンサイジング』というか、日に日につましい暮らしになってきているので(上で書いたイブの夕食のメニューがいい例)、せめてクリスマスくらいは華やかな方がよかろうと思ったのだ。
同居女子と私が知り合ったのは2011年、東日本大震災の二ヶ月後くらい。
当時の私は仕事とプライベート双方の猛烈なストレスから重度のアルコール依存症に陥ったヨレヨレの熟年で、一方の彼女は「天然娘が勢いだけで生きている」という感じの若い女子だった(性格はおっとりしているが、生き様としてはそうだった。また、若いと言っても「若い世代のかなり後半」くらいだったのだが)。
その年の秋くらいから同居が始まったので、今年で満12年を迎え何と13年目に突入している。バツ2の私としては快挙としか言い様がない。笑。
だが、人間は誰でも歳を取るのもので、今や私は老人の域に達し、彼女とていつまでも若くいられるはずもなく、熟年の域に入ってきている。
すると、前述のように次第に二人とも生活が地味になってきて、二人の間に特に変化はないものの、どことなく質素な空気が家に満ちている。
近頃は、仕事で忙しい彼女は疲れが溜まる度に「体のあそこが痛い、ここも痛い」と言ってせっせと病院に通ったりサプリを仕入れてきたり、ストレッチはするわ階段の上り下りは始めるわ(これも、太股の後ろの辺りが痛い時期があって、それを改善するためのストレッチの一つ)、12年前にはおよそ考えられなかった「身体ケア」をするようになってきた。
一方の私はこれまでにもブログに書いているように、日に日に老いを実感していて、「なるほど、『老人になるとはこういう事か』」などと思う瞬間が増えた。
時の流れと言ってしまえばそれまでだが、いざ自分の身にそうした「時の流れの影響」が出てくると、同居女子からとんでもない額のネックレスを見せられた時と同様の驚きに襲われる。
昨夜二人でつましいクリスマスの食事をしている時、彼女が言った。
「わたし……」
「ん?」
何か言いよどんでいるいるので、私が聞き返すと彼女は言った。
「……今のままがいいな」
「え?」
「前はね、まさしと暮らして将来どうなるのかって思ってたけど、ちょうどいい感じなのよ、今」
「何だか漠然としててよくわかんないよ」
「でもね、それがいいの。今のまんま。なんとなくまさしと暮らすの……それが一番……かな」
「ふーん……そういうもんかな」
彼女がそれ以上何も言わなかったので、私も何も言わなかった。
ただ、その時、初めてイブの夜にふさわしい柔らかな雰囲気を感じた。
「今のまんま、か……」
私はそう反芻し、早い時間に床についた。
この先どうなるかは、私の仕事の性質上皆目わからない。
生活(特に家計)にしても、寿命にしても、どんなに健康に注意していてもいつ何が起きるかわからない、それが私たちの仕事である。
それでも、
『今のまんまがいい』
という人がそばにいてくれるだけで、これほど心強い事はない。
そんな気がしている。
新宿のつましい我が家から皆さんへ、
メリー・クリスマス。