"藪の中“を大量生産した男 | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 

 今年の梅雨はひどく湿度が高い気がしている。元気なのは写真のような草花だけなのではないかと思うのは、私だけだろうか。

 近所の茂みをわざとクローズアップで「藪」に見えるようにして撮った写真である。

 

 さて……。

 以前の記事に「ロシアによるウクライナ侵攻が始まって以来、どのニュース・情報が正確なのか判断がつかずに困っている」と書いた。そうした状況は私の中で今でも続いているが、これは、ある人物の影響が大きいせいではないかと思っている。

 ある人物とは、アメリカの前大統領で、現在は37もの罪状で訴追されているトランプ氏の事である。

 

 このブログを始めた2016年、アメリカは大統領選挙の真っ最中で、共和党候補のトランプ氏は連日全米を飛び回り選挙演説をしていた。彼の「アメリカ・ファースト、グレート・アメリカ・アゲイン」という言葉が当時は耳にタコになっていて、グローバル化が既に進んでしまい、アメリカの影響力も世界的に低下してしまった今(2016年当時)、何をバカな事を言ってるんだろうと思っていて、実際ブログにもそのような事を何度も書いた。

 しかし何の因果か彼は当選してしまい、その後4年間アメリカの大統領を務めた。選挙期間中から彼が大統領になって無謀な大統領令を連発していた任期の初期くらいまでは、私はいつも彼の言動に頭にきていたのでしきりに批判する記事を書いていたが、そのうちあまりに呆れ返ってしまい、彼に関して書くのをやめてしまった。

 次の政権を担う、民主党基盤のバイデン大統領が誕生してからは「せいせいした」と思っていたのだが、ロシアがウクライナを侵攻し始めてからこの方、またもトランプ前大統領が、あたかも「呪文」の如く唱えていたある言葉がしきりに浮かぶようになり、かなり困惑している。

 その言葉とは、

「フェイク・ニュース」

 である。

 

 選挙戦中も大統領としての任期中も、彼はいつも自分に都合の悪い話題や疑問をぶつけられる度に、それらの疑問の根拠となっている情報やニュースについて「それはマスコミが作り出したフェイク・ニュースだ」と言い、自分を正当化する武器に使っていた。

 これは悪い意味で大変便利な言葉で、「そのニュースはウソだ。だから私は悪くない」と断言してしまえば、質問した側が絶対的に正しいニュースなのだという証拠を提示できない限り、反論できなくなってしまう。いつも、何とも悪知恵の働く大統領だななどと鼻白んでニュースを見ていたのだが、ここに来て、彼の撒いた悪い種「フェイク・ニュース」という言葉の悪影響が、私にジワジワとボディ・ブローのように効いてきている。

 

 何故か。

 グローバル化の是非については諸説あるのでここでは「良い悪い」の判断は控えるが、よくも悪くもグローバル化によって世界が融合していくかに見えていた時に、プーチン大統領の「偉大なソ連邦の復興」という(アジアの盟主気取りのどなたかに似ているが、プーチン大統領の思考もあれと似ている気がする)、ほとんど妄想に近いような思考からウクライナ侵略は始まったと、私は思っている。そのお陰で、冷戦によって長年二つに分断されていた世界が、その後様々な問題を抱えながらもようやく一つにまとまろうとしていた時に(何しろ一時期は、G7ではなくG8と改称してまでプーチン大統領もあの会議に参加していたのだから)、プーチン大統領の無謀な隣国侵攻を引き金に、世界はまた二つに分断されそうになっている。まだぎりぎり完全に分かれてしまってはいないものの、今後のあの戦争の行く末如何では、そうならないとも限らない。

 こうした複雑で異様な国際情勢を、様々なニュースや情報から、自分なりに咀嚼して真相を知りたいと思い、日々出てきては消えていく情報を分析したり考えたりしてはいるのだが、その思考の元となるべき様々な情報に接する度に、あの、トランプ前大統領が連呼していた悪しき言葉「フェイク・ニュース」が頭をよぎり、自己判断が以前より格段にしづらくなっている。

 まったく、とんだマネをしでかしてくれたものだ、と思う。

 

 例えば、少し前に起きた意図的なダムの破壊による洪水被害。

 ロシア、ウクライナの双方が「相手がやった」と主張し、真相はどっちなんだろうと調べてみると、今やすっかり「西側」とマスコミが形容するようになってしまったアメリカや欧州の情報筋からは「ロシアがウクライナの反転攻勢を食い止めるためにやったらしい」という、語尾に「らしい」がつく確報とは言えない情報が出てくるばかりだし、仮にその中に確報があって、私がそれを見つけたとしても、ロシア側が「それは確報ではなくフェイク・ニュースだ」と一言言った途端に、確報と信じる私ですら、その自信は揺らいでしまうのだ。何故なら、私が得た「確報」はあくまで情報に過ぎず、自身の目で確報の根拠となった事象を見た訳ではないから。所詮は人から聞いた情報に過ぎず、「フェイクだ」と言われれば、「いや、私は実際に真実を見た」と言い返さない限りは完璧な反論はできない。

 トランプ氏が世界にまき散らし、いつの間にか植え付けてしまった「フェイク・ニュース」という言葉は、それほど強力な力、大袈裟に言えば「呪文」の如き効力を持っているのだ。自分に都合の悪い事は全て否定して、戦争継続の大義名分は自国にあると言い続けたい為政者にとって、これほど便利な「呪文」はない。

 

 何よりも、私たち自身が、情報を精査しようとする度に、つい「これはフェイク・ニュースなのではないか」と考えがちになっていて、それでは正確な判断などできはしない。長年の脚本の仕事の副産物のように調べ物をたくさんしてきた身としては、この「確報・確証」というものが何よりも大切な事は身にしみている。にも関わらず、調べている最中に「フェイク・ニュース」という言葉が邪魔をする状態では、仮に確証を得ていたとしても、その確証に対してわすがな疑念が湧いてしまい、そこから先は思考が停止してしまうような面がある。

 これでは、お手上げである。

 無論、トランプ氏が大統領候補として名乗りをあげる以前から、こうした問題『その事象は真実と言われているが、本当に真実なのか』という疑問はいつだってあった。

 だが、今や「フェイク・ニュース」という呪文で一刀両断できるようになったせいで、この疑問は、あっという間に立ち消えになってしまい、検証がいつの間にか続けられなくなっているという状況が多い気がしている。

 

 そもそも、今回の軍事侵攻に関して、「原因は何でどちらの国に非があるのか」という論理的かつ決定的証拠を伴った検証すら、まだなされていない。日本に伝わってくる情報は「西側」からのものがほとんどだし、ロシア側から出てきた情報には「西側から見た、懐疑的な」フィルターがかかった状態で報道される事が多いし、それ以前に、マスコミの中に全てのフェイクを排除して冷静に戦争の真相を解明しようとする姿勢がどうも見られない。そうしようとしているマスコミ人が存在すると信じてはいるが、少なくともそうした人々はまだ顕在化はしていない。

 そして、仮にそうした冷静な姿勢の記事なり番組なりが出てきたとしても、決定的な証拠を伴っていない限り「フェイクなのではないか?」いう疑念を払拭する事はできず、受け手のこちらとしては、その情報に接した後に、もやっとした気分が残るだけだ。これでは、手の施しようがない。

 

 芥川龍之介の小説に「藪の中」という作品があり、黒澤明はこれをベースに「羅生門」という名作映画を作り、「真相は藪の中」という日本語もずっと前に定着している。

 つまり、「フェイク・ニュース」なるパワーワードは、ひとたびそれを唱えると、真相をあっという間に藪の中へ隠してしまい、我々の判断能力をいとも簡単に奪う恐ろしいものなのである。

 いえば、トランプ前大統領が何年も世界に向けて連呼したこのパワーワード「フェイク・ニュース」が、世界のあちこちに、いつの間にか簡単に逃げ込める「藪」を作り出してしまっていて、私たちはそれに気がつかなかった、そういう状態が今なのではないだろうか。

 だとすれば、彼は何ともひどい事をしてくれたもので、パワーワードのみならず、それが派生的に生み出すこの「藪の中」を、あたかも新型ウイルスの如く世界中に伝搬させ、出現させてしまった罪は極めて重い。全人類の冷静な判断力をこの「フェイク・ニュース」という負のパワーワードが微妙に奪い、しかも都合の悪い者はいとも簡単に近くに増設された「藪」に逃げ込む事ができるのだから。

 世界史を俯瞰して見るなどという大袈裟な視点を使うまでもなく、これは最悪の状況といえる。

 

 トランプ前大統領の裁判は既にアメリカで始まっているが、彼は以前と同様に、法廷で証拠が提出される度に「それはフェイクだ」と全て突っぱねる気なのだろう。しかも当然の事ながら、彼にはツワモノたちと言っていい弁護団がついている。彼らもまた、「その証拠はフェイクである」という事を立証する事に躍起になるに違いなく、訴追した側はそれを立証させない事にかなりのエネルギーを割かねばならない。裁判に提出された証拠は、原則的には「法廷で真実を述べる」という宣誓の下で提出されるのだから、本来は、提出された証拠がフェイクだと言う事自体、論理的には有り得ない話なのだが、トランプ前大統領の裁判ではそうはいくまい。「フェイクか否か」の、本来の裁判では取り上げるまでもない疑問が多々噴出し、審議が紛糾するのは今から目に見えている。

 してみると、彼は藪の中をあちこちに作り出したのみならず、法廷までをも藪の中に引きずりこもうとしているフシがあり、考え方次第では「悪魔的悪党」と言えなくもない。その戦略は、ほとんど「怪人」の域に達していると言ったら言い過ぎだろうか……。

 

 "藪の中"を作り出した男は、本人は気付いていないかもしれないが、ロシアによるウクライナ軍事侵攻に、間接的に暗い影を落としている。世界の人々の「真実を見極める」、その判断能力を阻害してしまったからだ。「フェイク・ニュース」というパワーワードによって、である。

 

 真相はどこにあるのか。

 藪の中に隠れてしまっているのだとしたら、「フェイク・ニュース」という呪文をはねのけ、藪に隠れた真相を引っ張り出すにはどうすればいいのか。

 

 世界は今、その方策を至急模索する必要に迫られている。