子供の頃から、どうも冬の雨は苦手だ。
空はどんよりと重々しく、雨はひたすら冷たく、気分が何となく鬱々としてくる。
今日の東京はそんな天気である。
70年代の前半にアメリカ映画で『コッチおじさん』という小品だがいい作品があり、私は今でも好きだ。
孤独だがどこか飄々とした老人をこれまた私の大好きなウォルター・マッソーが演じ、しかも監督が、彼の長年の盟友で共演作も多かった俳優のジャック・レモン。全編を通して、当時のアメリカの社会問題を折り込みながらも何ともほんわりした味わいがある。
その映画の中に、マッソー演じる老人のこんな台詞がある。
「歳を取って一番辛い事がなにかわかるか?……社会から相手にされなくなり、『不要物』扱いされることさ」
高校生くらいの時にテレビで放送されたのを観たのだが、この台詞は強烈に覚えている。なにしろまだ十代だったから、「そういうものなのか……」と唖然とし、軽いショックを受けたのだと思う。
昨年の10月に私も60歳になった。
それまでは「最近体力が落ちたな~」くらいしか自覚がなく、そもそも自分の年齢など昔からあまり頓着しないほうなので、自分が歳を取ったという実感がほとんどなかった。
同居女子に「オレ、歳取ったように見える?」と聞いてみても、
「全然。まさしはかわらないよ」
と言うだけ。
そしてつらつら考えてみるに、私の精神年齢はどうも30代前半くらいでストップしてしまったきらいがあり、言えば、「壮年版『ブリキの太鼓』」状態で、以後今日に至るまでその感覚は変わっていない。知り合いで同年代の脚本家と食事をしたりした時こうした話題が出ると、皆一様に「そうそう」と言う。
どうやら、アニメ脚本家とは「壮年版『ブリキの太鼓』のような人物でないと務まらないらしい。
が……。
私は仕事をしていない時はいつもNHKBS1を付けっぱなしにしていて、例えば模型を作りながらその音声を聞いている。
音声を聞いているとは、仕事机の斜め後ろにテレビがあるために、机に座って何かやっているとテレビの画面が見えないから、自動的に声を聞くだけになるという事。テレビなのにラジオのような状態で、気になるニュースが聞こえてくると作業を中断して椅子を回し、斜め後ろのテレビを見る、という具合である。
で、ほぼ「ラジオ状態」のテレビでは、当然の如く新型ウイルスのニュースや特集がひきもきらず放送されている訳だが(それは当然の事だが)、昨年辺りから急にあるフレーズが気になり始めた。
『なお、60歳以上の高齢者の方や基礎疾患のある方は……』
という、もはや誰でも必ず聞いた事のあるあのフレーズである。
以前は何気なく聞いていたのだが、『60歳以上の高齢者』という言葉が斜め後ろから聞こえてくる度に、「あ、オレの事を言ってる」と思うようになり、そこから発展して、「そうか……自分はもう高齢者なのか……」と思うようになった。
だが目の前の机の上には、作っている途中の模型のパーツがたくさん並んでいたりして、「このギャップは一体……」とか「全然高齢者になった気分はしないんだけどな……」とか、果ては「今の自分のどこがどのように老いているのか」という自己診断まで始める始末で、どうにも模型が進まない時がある。
という現象をまた同居女子に言って、「どうだろうか……」と尋ねるとこう言われた。
「まさしは高齢者って言ってもまだなったばっかりだから。ぴかぴかの1年生よ」
年齢的にあの有名なCMを知っているとは思えないのだが、とにかくそうだと言う。
さらには、
「30歳で止まってるんでしょ?だったらそれでいいじゃん。きっとほんとに止まってるんだよ。だから高齢者じゃないと思うんだよね」
「そういうもんかね……」
「うん。間違いない」
どことなく救われた気がした。
幸いな事に、私はまだウォルター・マッソーが言った名台詞「老いると社会から相手にされなくなる。それが一番辛い」という状況にはなっていない。仕事はあるし元々家にいる事が多く社会との接触は少ない方だし、30数年続けてきた生活が今も続いているだけだ。
それでも尚、あの「60以上の高齢者の方……」という言葉には、以前よりも敏感に反応してしまう自分がいる。別に老いるのは当たり前の事だしそれがイヤだとも思わないのだが、どこか人生の大きな分岐点にさしかかったような気もし、うまく言えないのだが、気分がざわつくというか、落ち着かないというか、そんな日々を過ごしている。
とはいえ基本的に将来設計などない人間なので、「ま、なるようになるさ」と最終的にそこに落ち着き、さらに(これは他力本願すぎてひどい話だが)「いざとなったら同居女子が何とかしてくれるだろう」という結論に至る。
冬の雨の日は、どうもこうして気分が湿りがちでいけない。
明日は晴れるといいのだが。