大脱走接種券 | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 

 自治体によってデザインや書式は様々なのかもしれないが、これは私の3回目のワクチン接種券である。日付からおわかりの通り、既に接種は済ませた。

 

 昨年の7月に、運良く住んでいるマンションの真下(小レストラン街)にあるクリニックで個人接種の予約が取れたので、そこで手際よく2回済ませる事ができた。

 なにしろ、マンションを出て数秒歩くと小レストラン街に降りるエスカレーターがあり、それを降りた目の前のクリニックだから、何とも便利である。

 

 だが。

 昨年のその、1回目の接種の日の事。

「そろそろだよ。体温測って予診票に書き込んで」

 私がそう言うと「わかったよ」と言ったはずの同居女子が、自分の部屋に行ってなにやらごそごそやっている。予約は私が彼女の分も一緒にしたので、つまり二人で連れ立っていく予定になっていた。

 すると、次第に「ごそごそ音」が大きくなり始め、その騒音の中に、「あれ?」「変だな……」という彼女の声が混ざり始めた。

「どうした?」

 部屋に行ってみると、同居女子は汗をたらたら流して、様々な重要書類をまとめていれてあるチェストの引き出しの中を、引っかき回している。

「ない!券がない!そんな馬鹿な!」

「え……ないの?」

 あと数十分で予約した時間である。クリニックが近いからいいものの、7月でむしむしした日だったのでエアコンをしていたにも関わらず、彼女は嫌な汗をかいている。

「あったのよ。大事な券だから、確かにここに封筒ごと入れといたのに……」

 皆さんもご存じかと思うが、あれは、自治体から郵便で届くとき、同じ家族でも一人ずつ別々の封筒で届く。我が家に届いた時、私は自分の封筒の中身を確かめてから彼女の封筒を手渡した。その時は、「大事だから絶対なくさないよ。当然当然」などと言っていたのだが、その先、彼女が「大事な書類専用引き出し」に入れたかどうかまでは見ていなかった。

 そこから数十分は、狭い1LDK内は上を下への大騒ぎになり、家じゅうを引っかき回す勢いで捜索が行われたが、結局彼女の接種券はどこにもなかった。私は密かに、彼女がうっかり要らないDMか何かと一緒に捨ててしまったのではないかと思ったのだが、驚きのあまり、彼女は突如キレた。

「思い出した!まさしに渡したよ!」

「はい?そんな馬鹿な。オレ、受け取ってないよ」

「渡したってば!」

「そんなはずは……」

 近頃、歳のせいか物忘れが多いので、一瞬「そうなのか、オレ」と思ったりもしたが、仮に受け取ったとしても、私は昔から「物は同じ場所から絶対に動かさない。使った後は必ず同じ場所に戻す」ので、ましてそんな大事な書類なら、私専用の「大事な書類用引き出し」(彼女のとは別の小さいチェスト)に入れたはず。自分の接種券と一緒に、である。

 しかし、そこを探してみても、彼女の接種券は一向に見つからない。

「まさしがなくした!」

 とんだ言いがかりである。いくら物忘れが多いからといって、昨年の7月のあの感染状況の中、私が予約済みの接種券を、しかも同居女子の分だけ紛失するなどという珍現象はまずあり得ない。何しろ、私のはちゃんと出かける用意も済んで机の上に、今あるのだから……。

「オレ、預かった記憶ないけどなぁ……」

 単に、同居女子は驚きと自分が紛失した事へのやり場のない怒りを私に向けているだけなので、「まあまあ、ひとまず落ち着こう」と言い、この日の彼女の予約はキャンセルして(何しろ接種券がないのだから)、私一人で接種に行ってきた。

 

 その後。

 古今東西、書類に「紛失」は付きものなので、新宿区役所の担当課に電話で問い合わせてみると、再発行してくれるという。その電話から数日後に再発行された彼女の接種券が無事に届き、だが昨年夏の猛烈な「予約枠争奪戦」に私も巻き込まれた。私は2回の接種を終えているにも関わらず、個人接種は既に満杯、大規模接種会場も、受付開始時刻にネットでアクセスすると、人気バンドのライブチケット争奪戦もかくやという勢いであれよあれよという間に予約枠が埋まってしまい、なかなか彼女の分の予約が取れない。

 結局、私が数回ほとんど決死の覚悟でネット予約にトライし、ようやく彼女の予約枠をゲットした。その時には、一番早い枠だったにも関わらず、彼女の取れた枠は既に昨年の9月になっていた。

 

 だが、騒動はこれではまだ終わらない。

 今年に入り、前倒しで「2回目の接種から半年後には3回目の接種がOK」になったため、私と同居女子の3回目用接種券が届いた。昨年の接種時期が私とずれたため、私は彼女より早く券が届いて自動的に早く3回目接種ができたのだが……。

 「3回目、ネットで予約してあげようか?」

 「うん。お願い」

 「じゃあ、(彼女の)接種券、持ってきて」

 「うん」

 すると……。

 昨年と全く同じ、ごそごそ探している音が聞こえてくる。もしやと思い、また部屋を除くと、

「何でなのよ!またなくなってる!絶対ここに入れたのに!」

 ああ、神様、あなたは同居女子に何をさせたいのかなどと思いながら、一応聞いてみた。

「また、ないの?」

「絶対ここに入れたの!2回もなくすなんてあり得ないでしょ!」

「いや、ちょっと待って。オレにキレられてもだね……」

 さすがに今度は、「まさしに渡した!」とは言えないらしく、彼女は怒りの矛先をどこにも向けられず、猛獣か何かのように唸っている。

「何でなのよ……わたしが何したっていうのよ……」

「まあまあ」

 このワクチン接種に関して、私は何度彼女に「まあまあ」と言った事か。昨年の2回の接種後、接種翌日の彼女は2回とも副作用に翻弄され、熱こそ出なかったものの、全身がダルくて何もする気にならないと一日仕事を休んでゴロゴロしていて、「体が奈良の大仏になったみたいな気がするよ」と摩訶不思議な比喩をしたりしていた。

 なので、今回彼女に3回目の接種券が届いた時(今年の2月)、「どうしようかな、最近感染者減ってるし、もう大仏みたいの(同居女子用語で言うところの「副作用」)、ヤだし、でもやっぱりやっといた方がいいんだよね?」などと、まるで私に「やらなくていいんじゃない?」と言ってほしいかのような口調で尋ねてきた。

 そんな気分だったから、どうやらまた紛失したらしいのだ。

 ただ、これが不思議なのだが、普段の彼女は整理整頓はまめにやるほうだし、そもそも大事な書類をなくしたなど、これまで一度もない人だ。ところがこの、彼女にとっては「悪魔の接種券」と言ってもいい代物だけは、何故か2回も我が家から脱走でもしたかの如く消えてなくなってしまうのだ。

 観念し、なかば虚脱状態のようになって、窓の外で満開の、小学校の桜をぼーっと眺めながら、彼女が私に呟いた。

「まさし……えと……」

「再発行ね。はいはい」

 もう1回電話して「またですかぁ?」なんて言われるのは嫌なので(笑)、ネットで調べてみると、区役所のサイトに「再発行の方法」が書いてあり、必要な申請書類をダウンロードして印刷、そこに必要事項を書き込み、健康保険証等のコピーを添えて郵送すればOKとなっていたので、内心ホッとしてその通りにした。最近また感染者数が増え始めているので、彼女も心配だろうと思い、念のため速達で出しておいた。

 

 同居女子のところに届いた彼ら(接種券)は何故二度に渡り大脱走を繰り広げたのか。

 

 今もって、全くの謎である。

 

 「春の珍事」とでもしておくしかない。