上の写真は、きのうスーパーに行った時、近所で撮った。午後2時頃だったが、この季節は既にこうして夕陽の風情がある。各地で豪雪になっているそうだが、東京は数日前の深夜に初雪がちらほらあった程度である。
新宿の、それも歌舞伎町の極近に済んでいても、比較的こういう和む風景もまた、ある。
さて。
2021年の大晦日になった。
今年はたいそう忙しい毎日が続き、しかも久しぶりにオリジナル作品のシリーズ構成を担当したら、自分の体力がそうとう衰えているのを実感した一年だった。
各話(その作品のライターチームの中の一人)を担当する分にはまだまだいけるのだが、シリーズ構成はこれまで何度か書いたように、そのチームのチーフ的立場であり、皆が書いてくる脚本の内容を微調整して統一したり(そうしないと、一つのシリーズとは思えないほどバラバラな内容の印象になってしまう)、各回の内容をどうするか監督やプロデューサーと相談してひねり出したり、とにかくやる事が多い。
この作業をするに当たって、シリーズ構成をするようになってほぼ四半世紀が経った今、これまでは感じた事のない激しい体力の消耗を伴うのが判明した。といって検査はマメにしているので特に病気という訳でもない。
つまりは、これが「歳を取る」という事である。
その、体力的に大変な仕事とは今放送中の「デジモンゴーストゲーム」というテレビアニメなのだが、タイトルからお察しの通り、ホラーテイストである。
ある程度の縦筋(シリーズ全体を通してつながっているストーリーライン)はあるものの、基本は一話完結式で、毎回いかに怖いホラーを作るかというのがメインになっている。感覚としては(古い例えで恐縮だが)、かつての「Xファイル」の初期シーズンのような感じだろうか。
だいぶ昔に似たパターンの仕事で「学校の怪談」(テレビアニメシリーズ)というのを書いたのだが、そからずいぶん月日が過ぎたし、そもそもいくらホラー映画をたくさん見ているからといって、そうそう大量のホラーネタを持っている訳ではない(私はホラー映画は好きでも嫌いでもない程度の興味の持ち方なので、どちらかというと仕事の参考になるかもと思いせっせと観ている面が強く、故に観る時の真剣味が足りず、たくさん観ても内容やシーン、ネタすらも忘れてしまう事が多いのかもしれない)。
よって、ネットで都市伝説を漁りまくったり、それでも足りずに『妖怪大図鑑』とか『日本異界図典』とか、おどろおどろしい本を資料としてたくさん買い、昨年集めた大量の飛行機本の山の上に積んであるので、今は仕事場の一角がやけにおどろおどろしい風情になっている。その手の本はどれも表紙からして「おどろ」な装丁が多いからだ。
恐がりな同居女子が(彼女はホラー映画が大の苦手である。その割に私と一緒に見てはギャアギャア言うのだが)、床掃除をする度にその「おどろな山」の近くの床まで来ると、「コレ、何とかしてよ~、怖~い」などと苦情を言うのだが、狭い家だし他に置き場所もなく、なにより仕事机の近くにないと不便なので放置してあり、彼女はまるで家内に異物が出現したかのように、床掃除をしながら妖怪本の山に向かって「悪霊退散」などと真顔で言っている。
同居女子の「恐がりすぎ体質」はさておき。
今年はこのホラーアニメ(れっきとしたデジモンのシンシリーズなのだが、最早こう表現しても差し支えないほどホラー度MAXである)の仕事に忙殺された一年だった。
一方、一歩家から外に出ればパンデミックが続いた一年でもあった。ここ一週間ほど、日本の感染もじりじりと増え始めているし、海外、特に欧米はひどい事になっている。そう考えると、家の中も外もある意味「ホラー的状況の一年」だったという事になる。
まさか晩年になってこんな一年を過ごす事になるとは、かつては夢にも思わなかった。
と、こう書いて思い出したのだが、数年前にある仕事で会議の合間にタバコを吸いながら他の脚本家と雑談していた時の事。
その人は私より少し年上のたいそうなキャリアの方で、その先輩が煙を吐きながら苦笑いして言っていた。
当時、彼は50代後半だった。
「若い頃は、まさかこの歳になってもまだ、やれ『グオオオオ』(←モンスターの叫び声の台詞)だの、やれ『必殺!××××!』(←ヒーローが必殺技を叫ぶ台詞)だのを書いてるとは、夢にも思わなかったよ」
私も全く同感で、特に今はホラーを書いているから、「ひぃ~」とか、「うわああ!」とか「ゲヘヘヘ……」(←モンスターの声)などと、この歳になっても尚書き続けているとは、若手だった頃には想像もつかなかった。
だが、アニメの仕事が多いライターは往々にしてそんなもので、実写の巨匠脚本家に相当するようなタイプ(または業界におけるそういう立ち位置にいるタイプ)はほとんどいないから、たいていのライターが、いくつになっても「グオオオオ」なのである。当然、私も例外でもない。
もっとも、私はそれがちっとも嫌ではなく、むしろ年々この「グオオオ」が楽しくなってきている。そういう仕事だし、それでお客さんが楽しんでくれるのなら何の問題もない。これは、掛け値なしにそう思っている。
ところで、ホラーと言えば。
今回の仕事には若いライターも数人参加していて(先日、「作品と商品の違い」を縷々説明した彼もそのうちの一人)、リモート会議の時に、私が「このシーンはデ・パルマがよくやるような感じにすればいいんだよ」と言ったところで、彼らはデ・パルマと言えば「アンタッチャブル」くらいしか知らないのでどうも要領を得ない。
そんなある時、中の一人(先日の記事とは違う若手)とメールでやり取りをしていたら、「どうも自分の引き出しの中に『ホラー』というものがなく、どうしたらいいか苦戦しています」という意味の事が書かれてあった。
これはいかんと思い、私は若手数人にメールで通達を出した。これまでは皆で集まって会議をしていたので、この程度の事なら休憩中の雑談で済んだのだが、リモートになると便利な反面、こうしてわざわざメールを送るハメになる。
内容は概ねこんなだった。
『とりあえず、以下の作品を観ておいてください。これらの作品は全て、後のホラー映画の原型になったものばかりで、現在に至るまでのホラー描写の基本が全て詰まっています。しかも、いずれも極めてホラー描写の完成度が高く、70年代から80年代にかけての古い作品が多いですが、ひとまずこれだけ観れば十分。なにしろ全てが詰まっているのですから。
エクソシスト
エイリアン(一作目)
シャイニング
キャリー(77年版)
ポルターガイスト』
他にも、各人の担当回の内容に応じた参考映画を教えたりもしたが、基本は上記である、と。
すると……。
その後、『ホラーの引き出しがなくて困っている』と言っていた彼などは、見違えるように怖い脚本を書き上げてくるようになったし、会議の際も話が通じやすくなった。これは爺様脚本家の押しつけではなく、ちょっと大袈裟に言えば「偉大な先達の仕事に学べ」の典型だと思っている。ウイリアム・フリードキン、リドリー・スコット、スピルバーグ(「ポルターガイスト」を監督ではなくプロデュースした)、デ・パルマ、トビー・フーパーといった、上記の映画を作り上げた監督たちには感謝の言葉しかない。
私の思った通り、これらの作品は言わば「カルピスの原液」のようなもので、「怖い映画はこう作れ」という現代ホラーの基礎を確立し、後のホラー映画に道筋をつけた「ホラーの原液」なのだ。
時も21世紀に入って既に20年近く流れると、こうした、かつては「ライターなら観ていて当たり前」のホラー映画でさえ、「これは観ておいた方がいいよ」と若手に紹介する時代になっている。私はそこに苦言を呈する気は全くなく、私だって若かった頃は先輩から「ハワード・ホークスとジョン・ヒューストンの映画だけはもれなく全部観とけよ」と言われた記憶があるから、要は「時代は繰り返す」というだけの事に過ぎない。
お陰様で、こうした苦労が少しずつ実を結びつつあり、「デジモンゴーストゲーム」はなかなかに人気があると聞いた。日曜の朝の放送で、しかもキッズ枠でホラーもいかがなものかというご意見もあるようだが、私だって子供の頃は「ニチアサ枠」こそなかったものの、鬼太郎や妖怪人間ベムなんかをせっせと観ていた訳だから、枠が変わっただけで(当時はそんなのをゴールデン枠で放送していた)、これもまた「時代は繰り返す」の典型と言えるかもしれない。
録画しておいた「デジモンゴーストゲーム」を私が観ていると、「恐がりなくせに怖い物見たさがそれを上回る」癖のある同居女子が、いつの間にか隣にやってきて「アニメなのに怖い!」とぎゃあぎゃあ騒ぐのには閉口しているが、とにもかくにもそんな一年を過ごした。
来年もまだこの仕事は続くので、しばらくは「おどろの本の山」と同居女子の「ぎゃあぎゃあ」の日々も続く。
重ねて言うが、この歳になっても尚、こうした日常が続いているとは、私の先輩同様、若い頃は夢にも思わなかった。
そんな私も、来年の誕生日には遂に還暦を迎える。
とまあ、相変わらず落ち着きのない一年を過ごした我が家なのでした。
今年は記事の更新が極端に少なく申し訳ありませんでしたが、来年、今の仕事を終えたら再びせっせと更新していくつもりです。少ない記事とはいえ、その都度ご愛読いただいた皆様、今年もありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
同居女子もとなりでぺこり(恒例の年末のご挨拶です)。