空に聞く | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 

「よわったな……どうしたもんかな……」

 仕事がどうもうまくいかない時、こうした空を見上げ、そう思う事がある。仕事の行き詰まりを空に聞いたところでどうなるものでもないのはわかっているが、自問自答の手助けとして、つい「空に聞いてみる」瞬間があるものだ。

 無論、空はただ青いだけで何も答えてくれず、そこから先は「どうしたもんかな、からの、こうしてみよう」という判断を自分でするしかない。

 

 ついさっき、WOWOWで録画しておいた97年末~98年公開の「タイタニック」を久しぶりに見た。レオ様とケイト・ウインスレットが何とも若々しく(当時、二人ともまだ20代だったという)、とても懐かしく見た。

 この映画を見ると、個人的にいつも思い出すのが、当時のギリシャのクレタ島の風景である。

 「タイタニック」が公開され世界中で大ヒットしていた98年の2月、私はゲームシナリオの取材でトルコとギリシャ、それにイギリスに行った。詳細はこの記事では煩雑なのでいずれ書くとして、その時に真冬のクレタ島に古い遺跡を見るために飛行機で降り立った。首都のアテネからは日帰りできる距離だ。

 クレタ島はエーゲ海にあるごく小さな島で、海が深々としたエメラルド・グリーンをたたえている。だが、私と取材チームが行った季節は真冬で猛烈に寒く、雲が小さな島の上空に重くのしかかり、シーズン・オフなのでほとんどの店がシャッターを降ろしているという、およそ「美しい観光地」とは真逆の景色だった。

 だが、そんな寒々とした景色の中に、一カ所だけ賑やかな場所があった。そこは昔ながらの、例えるなら「ニュー・シネマ・パラダイス」に出てきたような映画館で、この「タイタニック」の大きな看板があり、ちょうど上映中だった。島のどこに行っても人けのない景色ばかりだったのに、この映画館の前には、「ひょっとしたら島じゅうの若者が押しかけているのではないか」と思うほどの長蛇の列が出来ていて、劇場をぐるりと取り巻いている。皆これから見る評判の大作に胸を躍らせている様子で、特に女の子たちが大はしぎしている印象だった。

「どこの国でも、評判の映画に列を作る若い子たちの表情は同じだな」と思い微笑ましい気がしたし、束の間、寒さ続きでほとほと参っていた取材旅行の辛さを忘れたりもした。

 

 

 さて、「タイタニック」である。

 この映画には、個人的に他にも二つの思い出がある。

 一つは、公開の頃に読んだ制作裏話の記事だ。

 何に書いてあったのか忘れてしまったのだが、だいぶ詳細な記事だったので、もしかしたらVFX関係の専門誌だったかもしれない。

 アメリカのライターが書いたものの翻訳で、今でも覚えている概略はこうだった。

「ジェームス・キャメロンは昔から『ポセイドン・アドベンチャー』の大ファンで、いつか豪華客船のパニック物を撮りたいと考えていた。そこでタイタニックの悲劇に目を付け、『豪華客船のパニック映画としてうってつけじゃないか』と思い立ち、企画書を持って銀行(またはそれに類する出資先)に映画製作費の融資を相談しに行った」

 だが、笑ってしまうやら気の毒なのやらは、ここから先である。

「彼は出資先からこう言われた。『船のパニック物をおやりになりたいと?……でしたら、脚本を『ロミオとジュリエット』仕立てにしてください。でしたら融資を考えましょう」

 キャメロンはどうしても『ポセイドン・アドベンチャー』がやりたい。タイタニックの事故なら有名な題材だし、自分が監督すればそれだけでお金を出してもらえるのではないかと考えたようだ。ところが融資先が突きつけてきた条件は「ロミオとジュリエットに仕立てろ」という、およそパニック映画とはかけ離れたものだったというのだ。

 その後は私の推測に過ぎないが、これはキャメロンはそうとうに参っただろうと思う。自分が撮りたいのは船の沈没のスペクタクルなのに、「ロミオとジュリエット」すなわち恋愛ドラマを主軸としなければ製作費は出ない。「仕立てろ」というのは、「恋愛要素をほどほどに入れろ」などという生やさしいものではなく、「恋愛映画にしろ」と言われているに等しく、私も含め通常の映画製作者ならまずここで懊悩するか、企画を断念するのが常だ。

 融資先からの驚天動地の「条件」を聞いた帰り道、もし晴れていたのなら、彼は間違いなく空を眺めたに違いない。

 そして思ったはずだ。

「よわったな……どうしたもんかな……」

 前述の記事の事情がある訳だから、彼が空を仰いで慨嘆したのは、まず間違いないと思う。

 

 だが、今回久しぶりに「タイタニック」を見返してみて、私はキャメロンの粘り腰に驚嘆した。

 彼、この「あり得ない無茶な条件」を受け入れ、結果見事に「恋愛映画」のしかも「超大作恋愛パニック映画」を本当に作り上げてしまったのだ。脚本もキャメロン自身だから、そこには「だったら『タイタニック』のネタを使って本気で恋愛映画を作ってやる!」という、鬼気迫る感情がほとばしっている。

 他にないのだ。

 彼の映画で、これほどあからさまに恋愛ドラマに振り切った作品は。そこまでしてでも豪華客船沈没のスペクタクルを撮りたかったのか、途中から「なんだ、オレにもちゃんと恋愛映画が撮れるじゃないか」と思うようになったのか、その辺は定かではない。

 しかしいずれにせよ、「タイタニック」は徹底した恋愛映画として収斂し、完成した。そして世界中で大ヒットした。彼本人の思惑がどこにあったにせよ、今日では押しも押されもせぬ名作と言われている。

 劇中、特に後半、沈みゆく船内をケイト・ウインスレットの手を引いて逃げに逃げるディカプリオが「あきらめるな!」と何度も言い、死の直前にもまた「あきらめるな」という台詞を吐くにつけ、多少うがった見方だが、「たとえ『ロミオとジュリエットに仕立てろ』と言われても、いや、むしろ言われたからこそ、オレはこの脚本で『タイタニック』を撮り上げるのだ。最後まであきらめないのだ」というキャメロンの切羽詰まった気持ちが滲んでいるような気がして、以前は笑いながら見たのだが、今回は「なるほど」と溜息交じりに感じ入ってしまった。

 こうした、監督としての執念は、同じ仕事をしている人間として見習わなければならない、と思ったのだ。

 私も、無理な注文をされて「どうしたもんかな……」と空を見上げて慨嘆した事は一度や二度ではない。そこで諦めて降板してしまった仕事もあれば、何とか頑張って最後まで脚本を書き終えた経験もある(ただし、そういう場合はたいてい失敗作だった)。

 ジェームス・キャメロンという映画監督にして脚本家のすごいところは、そうした「あり得ないオーダー」にひるむ事なく(少し空を見上げて溜息をついた瞬間くらいはあったかもしれないが)、その条件を完璧に映画の中心に据えた上に大ヒット作にそれこそ「仕立てあげて」しまった点にある。

 仮に私の推測がある程度当たっているとすれば、彼は全くの豪腕だし、少なくともへたれ脚本家の私になど到底真似のできる芸当ではない。

 それほど、「タイタニック」にかけた彼のエネルギーは、凄まじいものだ。そのエネルギーのほとばしりは、今でも全編に渡って感じ取る事ができる。

 正直、この映画が大傑作であるかどうかについては様々議論があるだろうが、最低でも、私の言う「キャメロンのほとばしるエネルギー」については、あまり異論はないのではないだろうか。それに、あの時クレタ島の古い映画館で「タイタニック」を見た若いコたちが、大スペクタクルに仰天し、ジャックとローズの悲恋に涙したのはまず疑う余地がないから、それだけでこの映画の存在意義は大きいと思うのだ。

 

 一つ目の思い出が長くなってしまったので、二つ目は手短に。

 この映画が世界で大ヒットしていた98年、私はOVA「るろうに剣心追憶編」の脚本の依頼を受けた。このブログで今から2年前に「『るろうに剣心追憶編』の追憶」を書いた時にはすっかり忘れていて書かなかった事を、今回「タイタニック」を見ていたら思い出した。

 あの「追憶編」の依頼を受けて原作を読んだ時、「ああ、これは恋愛ドラマがベースだから、多分いい作品になるに違いない」と思ったのだ(これはブログ記事に書いた)。ここで言う「いい作品」とは単にスタッフの自己満足ではなく、広くお客さんに受け入れてもらえるだろうという予測も込みの「いい作品」である。

 普段、恋愛ドラマの依頼が少ないせいもあってそうした脚本をほとんど書かない私が、剣心の原作を読んで「これは恋愛ドラマがベースだから」と成功の予感を感じたについては、おそらく当時リアルタイムで大ヒット中だった「タイタニック」の存在があったからなのだ。

「なるほど、ただのパニック物でなく、あれだけ恋愛ドラマを中心に据えたが故の、大ヒットか」

 という頭があったから、「もしかすると追憶編もいけるかもしれない」と判断したのだと思う。

 そう考えると、「タイタニック」は、私が「追憶編」のオファーを引き受けるに当たって、あまり経験のなかった恋愛ドラマの仕事へと、背中を押してくれた映画だった、と言える。無論「タイタニック」が全ての動機ではなかったにせよ、影響は(「追憶編」のオファーを受けるか受けないかの判断材料として)少しはあったのかもしれない。

 

 きのうの昼間、例によって近くのスーパーに行った時、空がきれいだったので「ブログ用に録り溜めしておこう」と思い、撮ったのが上の写真である。

 さっき「タイタニック」を見終わった時、「あ、昼間撮ったあの『空』が今の気分にぴったりだ」と思い、UPしてみた。

「よわったな……どうしたもんかな……」

 巨匠であれ、私のような日本のライターであれ、世界の映像作家たちは、時に空を見上げているはずである。

 

 悩ましい商売だが(空は助けてくれないので)、それもまたよし、だと思っている。