令和元年5月1日 | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 

 ふと思った。

「そういえば、平成が始まった日って何してたっけ?」

 家でテレビを見ていたのはおぼろげに覚えているのだが、それ以外は全く記憶がない。同居女子に「あなたはどうだった?」と聞いてみたら、子供だったので私以上に記憶がない、という。

 これはいけないと思い、この記事を書く事にした。

 今から数十年後、また「あれ?令和になった日って何してた?」となるに決まっているので、記録だけはしておこう、という事である。

 たいした事は起きなかったのだが……。

 上の写真は数日前のもので、いえば平成の風景だが、令和になってからまだ写真を撮っていないのでやむを得ない。

 ただ、改元の頃、つつじの咲く季節だったという記録には、なる。

 

 毎日夜じゅう起きていて仕事をしたり映画を見ている。

 平成最後の日、4月30日もそうだった。

 日付が変わり5月1日、すなわち「令和」になり、明け方にいつも通り寝た。ネットの記事だと「令和の初日の出を拝もう」という向きもあったようだが、私はこんな生活をしているせいで、晴れの日は確実に日の出を見る暮らしをしているので(その後ベランダの花に水をやってから寝る)、どうも見飽きていて、日の出があまりありがたくない。5月1日はベランダで水やりはしたものの曇っていたので、何だかぼんやりと明るくなった程度だった。

 起きたのは午後1時である。

 これもいつも通りだが、同居女子は仕事が休みなのでまるで起きてこない。

 テレビをつけてニュースで新しい天皇陛下のお言葉を見て(午前中にあったお言葉を、午後のニュースで最初に見た。戦前なら「非国民」と怒られそうだが、今はそういう時代ではないのでありがたい)、ふと思い立ち、電話をした。

「もしもし、あ、いつもお世話になっております十川ですが……」

 電話をしたのは、昨年この新宿に越してきて以来、月に一度通っている近所の理髪店である。先月行った時にご主人が、「10日も休むと商売あがったりなので、5月1日から何日間かは営業します」とおっしゃっていたので、電話してみたのだ。

 普通、街の理髪店に予約制はほとんどないが、この店は「緩やかな予約制」とでも言えばよく、電話した時にお客さんがいなければ近所だからすぐに行けばいいし、先客がいれば「一時間後に来て下さい」とか、ご主人が時間を指定してくれる。待つのが大嫌いなので、これには大変助かっている。

 1日は、電話をしたらご主人がいつもの穏やかな口調で「あ、今、大丈夫ですよ」とおっしゃった。

 曇天で湿気の多い新宿の空の下、すぐに着替え、家から5分ほどの店に歩いていった。

 

 この理髪店の70代のご主人は、今年の初めくらいにこのブログに登場した(記事タイトルを忘れてしまったので、理髪店のマークの写真で探してください。ものぐさですみません)。

 実にお話の達者な方で、散髪している間ずっと様々な話題に事欠かない。それでいてうるさい感じは微塵もなく、いつも気持ちのいい音楽を聴くが如く聞き入る。

 新宿のこの地で50年以上も理髪店をしているご主人はまた、当たり前といえばそれまでだがこの街の歴史に詳しく、地理にも精通していて、「新宿の生き証人」のような方である。

 そのご主人が様々な話の流れから言った。

「この新宿っていう街は、いわゆる『老舗の店』があんまりないんですよ」

「老舗?」

 私が聞き返すと、ご主人はバリカンを使いながら続けた。

「ええ。少しはあるんですが、ほんの少しでしてね。少なくとも、銀座や日本橋とは全然違うんです。『代々続く店』というのがとても少ない……」

 ご主人によれば、新宿では昔から(戦後くらいから)、「苦労して延々と商売を続けるより、代替わりの時に土地や店・ビルを売って、その地代や家賃収入に移行した方が、その後結果的に実入りがいい」という考え方があり、実際に大なり小なりそうした経済的事情がずっと続いているのだという。

 つまり、土地か建物を持っていれば、浮き沈みの激しい新宿の店舗を経営して大変な思いをして維持していくよりは、子供の代になった時に不動産をそのまま誰かに『貸す』か『売って』しまった方が得なのだと。そうした代々の繰り返しがあるから、「大家の家系」は残るが「家業を継ぐ人」が少なく、よって「代々続く老舗」という店が少ないのだそうだ。

 そこでご主人は笑った。

「仮に商売するとしても、『一代限り』と考えてる人が新宿には多い。子供に継がせようと思ってる人はほとんどいない。私もそうですがね」

「へえ」

「ま、そこがこの街のいいところなんですけどね。何と言うか、まなじり決して身構える面がないというか、気軽、というか」

「なるほど」

 それは確かに老舗は少ないはずである。

 だが、この考え方は、私の好みにも合っている気がした。親の職業に関わらず、自分の子供には好きな仕事についてもらい、自由な人生を送ってほしい。昔からそう思うタイプだからだ。

 私も笑い、ご主人に言った。

「いいですね、自由」

 ご主人はちょっとあらたまった風にこう答えた。

「この気風はね、令和になっても変わらないでほしいと思ってるんですよ。自由。自由ですよ」

 その後ご主人はさらに笑い、「ま、こういうのは変わるはずもないんですがね」と付け加えた。

 

 その後理髪店を後にし、途中にスーパーに寄り夕飯の買い物、帰宅したら同居女子が寝ぼけまなこに髪ぼさぼさで起きてきたので、夕方のNHKの令和特集の番組を横目に料理を作った。

 令和初日だからといって特別なメニューではなく、もやしとチンゲンサイの挽肉あんかけ、我が屋の定番のサバのフライパン焼き、スーパーで買ったお総菜のサラダに残っていた明太子という、いつもと全く変わらない普通の晩ご飯である。

 食べながら、テレビに映っている新天皇陛下と新皇后様を眺めながら、同居女子が言った。

「なんか、新鮮」

 私は何の事かわからなかったので尋ねた。

「いや、普通の料理だよ。特別に新鮮な材料ってわけじゃ……」

「やーね、天皇陛下と皇后様よ。こうやって改めて見ると新鮮、って言ったのよ」

「ああ、そうか」

 その後は、彼女が「令和」の「令」の横線は、あれは点でもいいの?とか、どうでもいい質問ばかりするので、私もそれに答える事に終始し(線でも点でもどちらでもいいらしい)、特別な感慨もなく食事を終えた。

 洗い物をして仮眠した後は、黒澤脚本の「雨上がる」を見て、今に至っている。

 

 時代から時代へ受け継がれていくものも様々あると思うのだが、「受け継がないという選択で子孫の自由を確保する」という新宿の在り方も、賛否あるかもしれないが私には新鮮だった。

 そうした話題が出る事自体、理髪店のご主人も、飄々と話されてはいたが、やはり「時代の流れ」を意識した今日一日だったのかもしれない。

 

 これが私の、令和元年第1日目、5月1日、である。