中学校の3年間(1975年~77年)、部活で吹奏楽部にいた。
私は金管楽器のチューバ担当で、毎日みんなでラッパを吹いて過ごした。夏休みは特に大変で、9月の最初に行われる吹奏楽の県大会に出場するため、毎日汗をかきかき学校に通って練習したものだ。
その頃、中学生のブラスバンドの定番レパートリーと言えば一にも二にもビートルズで、吹奏楽用にアレンジされた「レット・イット・ビー」、「イエスタディ」、「レディ・マドンナ」等々を飽きもせず演奏した。「レット・イット・ビー」は最後の超高音のボーカル「チュッ、チュ~ルチュルチュル、イェーイ!」の部分がトランペット担当で、達者な先輩が額に血管を浮かせて吹いていたのをよく覚えている。
この頃既にビートルズは解散していたが、しかしこの70年代なかばには空前と言っていい「ビートルズ第一次リバイバル・ブーム」が到来していて、過去の映画はことごとくリバイバル上映されたし、アルバムはよく売れ、ラジオでも頻繁に曲がかかっていた。解散後にポール・マッカートニーが結成したポール・マッカートニー&ウイングスなどは大変な人気で、常にヒットチャートの上位にいた。
ちなみに、当時から今に至るまで私が最も好きなナンバーは「バック・イン・ザ・USSR」で、今でも時々メロディを口ずさむ(そんな個人情報はどうてもいいのだが)。
今日の午後、あるドキュメンタリー映画を見ていて、あの頃を懐かしく思い出した。
見た映画は、きのうWOWOWで放送された「ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years 」。
たまたま先日記事を書いたばかりの「ダ・ヴィンチ・コード」のロン・ハワード監督が2016に仕上げたもので、ビートルズの膨大な記録映像と、新たに撮影した関係者へのインタビューで構成された映画である。 1962年に爆発的人気を得てから60年代末までの、ビートルズの足跡をポール・マッカートニーを中心とするご存命の皆さんの証言で綴り、「あの頃の、ビートルズという『現象』は何だったのか」をテーマにまとめ上げた労作で、私もこれまで随分色々なビートルズ関連の作品を見たが、初めて見るインタビュー映像等が満載だった。
「しみじみと、ビートルズ」というタイトルにした。
午後、外のいかにも暑そうな空を横目にしながらこのドキュメンタリー映画を見ていたら、不覚にも泣いてしまったのだ。
最近すっかり涙腺が緩くなっているせいもあるのだが、まさかビートルズのドキュメンタリー映画で涙が出るとは思わなかった。
それは、名曲「HELP!」についての部分。
62年以来(これはたまたま私が生まれた年なのだが)、彼らの人気は空前絶後のものになっていき、映画「ハード・デイズ・ナイト」に描かれ、またこのドキュメントにもふんだんに挿入されているように、世界中の若者がビートルズに熱狂し、彼らの行く先々で主にティーンの女の子たちの絶叫が渦巻き、四人を一目見ようと人々がなだれを打って走り、警官隊を押しのけ、それはもう阿鼻叫喚の騒ぎだったらしい。
そんな、本人たちにも全く制御できない怒濤のムーヴメントの中、もの凄い数のコンサートをこなし、シングルを、アルバムを出して世界を席巻していった彼らは、次第に精神的に追い詰められていったのだとう。その騒ぎのまっただ中にジョン・レノンが作った「HELP!」が完成したばかりの時、当時ビートルズ映画の監督をしていたイギリス人のリチャード・レスターが言ったそうな。
「この曲は、まるでジョンの自伝みたいな曲だね」
言われてみればあの歌詞はそうだ。
「助けて」、「誰でもいいって訳じゃないけど、誰か助けて」、「一体どうすりゃいいのさ」……。
続いてポールのインタビューが続く。
「あれはジョンの当時の本心をそのまま歌にしたものなんですよ」
さらに、ジョンの生前のインタビューも出て来る。
「『HELP!』は今でも好きな曲です。率直でね」
社会現象などという生やさしいものではなく、彼らの存在は世界を巻き込んだ巨大なうねりのようなものになっていた。これまで、歴史上のどんなミュージシャンも経験した事がない、英語で言う「ヒュージ」なるものだ。その空恐ろしいまでのうねりの中、悲鳴を上げるようにジョンが書いた当時の新曲が「HELP!」だったのだという。
ここで、泣いてしまった。
当時彼らはまだ20代前半である。その、つい数年前までただの音楽好きの若者に過ぎなかった四人が、そうした「巨大な波」に翻弄され、なかば恐怖とともに「HELP!」と叫んでいた事になる。
「スターの宿命」などというありきたりな言葉では表現しきれない、驚くべきストレスがかかっていたのだと思う。ジョンはそれを、疾走感のあるリズムに乗せて「HELP!」という曲に仕上げ、世界のうねりに投げつけるように叫んでいたらしい。わずか20代前半の若者が、である。
さぞ辛かっただろうと思うのだ。
これを自分の身に起きた出来事だと想像してみると、いかに壮絶な日々だったかがわかると思う。私も含め、そんなとんでもないストレスに耐えられる20代など、今も昔もほとんどいないはずだ。それでもジョンとビートルズは必死にうねりに乗り、「せめて押し流されないように」耐え、オフィシャルには平静を保ってあの独特のキャラを演じていたのだという。しかもこの頃のビートルズは、初期の契約上の問題からいくらレコードが売れても儲からず(思うに、レコード印税の契約がちゃんとしていなかったのではなかろうか)、お金を稼ぐにはひたすらライブをしてその出演料で稼ぐ以外になく(もっとも、こちらは巨額だったそうだが)、つまり、稼ぐために、常に巨大な世界の熱狂の中に身を投じ、自分たちをさらし続けなければならなかったのであり、それが遂には「ヒュージ・フラストレーション」になっていったのだという。
もう一度言うが、我が身に置き換えてみればよくわかる。
さぞ辛かったに違いない。
真夏の午後のひととき、そう60年代のジョンに想いを馳せ、つい泣いてしまったのである。
だがそれだけではない。
さすが私のヒイキのロン・ハワード監督、このドキュメンタリーはそうとう楽しい仕上がりにもなっていた。二つ、例をあげてみる。
一つは、あの有名女優、シガニー・ウイーバーの証言。
ビートルズがアメリカでコンサートを行うようになった初期の頃、彼女はまだ中学生で、四人組の大ファンだった。そこで何とかチケットを手に入れてコンサートを見に行ったのだという。
これだけならよくある話だが、驚いたのはその先の映像。
現在のシガニーがインタビューを受けてしゃべっているシーンに、当時のモノクロの記録映像が挿入され、絶叫する女の子たちの観客の一部が紹介されるのだが、その女の子たちの中に、その時の「中学生のシガニー・ウイーバー」が観客の一人として映っているのだ。
何だか田舎っぽい(と言っては失礼だが)女の子の、嬉しそうにニコニコしているその顔の下に、「シガニー・ウイーバー」とテロップが出る。
あれはスーパー・ショットで、スタッフがよくぞ見つけ出したものだと思うが、大群衆の中の「中学生シガニー」のインパクトは強烈かつ微笑ましく、ここでは思わず笑ってしまった。
一方、その時の思い出話をしゃべっている現在のシガニーは、映画に出ている時と違ってまるで少女のように目がキラキラしていて、何とも嬉しそうなインタビューになっていた。
ビートルズが世界に残した足跡の一面が、そこにある。
もう一つは、これも有名女優、ウーピー・ゴールドバーグの証言。
彼女もやはり、あの頃は10代の少女だったのだそうで、テレビで見たビートルズはとにかく何もかもかっこよく、天地がひっくり返ったような衝撃があったと言う。
彼女はこう言っていた。
「友達から『え?ビートルズが好きなの?だって彼らは白人よ』と言われたわ。でも、そんなの関係ないでしょ。ビートルズはビートルズ、白でも黒でもなく、ビートルズだったのよ」
そしてウーピーは、ビートルズの姿勢から、「自由」を強く学んだのだという。彼らの、何者にも媚びない姿勢、常に自分たちらしさを大事にして物怖じしないスタンスから、「自分らしくあれ」と励まされ、それは彼女の人生訓にまでなって今日まで続いていると言っていた。
これもまた、ビートルズの足跡の一端、といえる。
さらに、ウーピーが披露したもう一つのエピソード。
当時彼女は、ニューヨークの貧しい家庭の女の子だった。
だがある時、こんな情報が飛び込んでくる。
「ビートルズ、遂にニューヨークで公演」
ビートルズを生で見れるかもしれない!少女ウーピーは、お母さんに「ビートルズ、見に行ってもいい?」と尋ねてみた。
ところがお母さんは、残念そうに言ったそうだ。
「お金がないわ」
家計が苦しく、コンサートのチケットが買えないのだという。
しかし、それからしばらくしたある日、そのお母さんが、突然ウーピーに言った。
「これから出掛けるわよ。用意して」
「お母さん、どこに行くの?」
「いいから」
彼女は娘のウーピーを連れて電車に乗り、行き先を言わずにどこかに連れて行く。
と……。
到着したそこは、後にビートルズの公演の中では最大の伝説の地となったニューヨークのシェア・スタジアムだった。お母さんは、苦しい家計の中、どこでどう工面したものか、娘のためにニューヨーク公演のチケットを2枚手に入れたのだという。
現在のウーピーが言っていた。
「その時の気持ち?……もうね、(驚きと嬉しさで)頭がボンッ!よ」
この時のウーピーもまた、シガニー同様何とも楽しそうだった。
ウーピーとそのお母さんのエピソードでもまた、涙もろいおじさんの私は泣いてしまった(笑)。
今日の午後はこのドキュメンタリー映画のお陰で、思いの外豊穣な夏の昼下がりになった。
私ですら、あの夏休みの暑い最中、汗をかきながら皆で練習した「レット・イット・ビー」はいい思い出だし、その記憶はビートルズと直結している。シガニーもウーピーも、世界の多くの人々の記憶の中に、若かった四人組はこうしていまだに根を下ろしているのである。
音楽的な功績は勿論の事、ロン・ハワード監督が彼らを「現象」として捉えようとしたのは、こうした所以だろうと思う。
私も、ささやかながら、その「現象」の一人だ。
しみじみと、懐かしい。