今朝、15年アメリカの「Dearダニー 君へのうた」という映画を見た。
大金持ちだが過去のヒット曲にすがるしかなく、ツアーに明け暮れる老いぼれの歌手をアル・パチーノが演じた。彼はジョン・レノンを尊敬していて、若い頃に彼から手紙をもらった事がある。だがその手紙は間に入った悪意ある者によってマニアに売られてしまい、当時の彼の元には届かなかった。しかし34年後にその手紙が出てきて、それを目にしたおじいちゃんの歌手が、自分の人生を見つめ直すという内容である。
映画はちょっと予定調和でそうたいした仕上がりではなかったが、パチーノはこの「有名で大金持ちだけど、人生に失敗した歌手」を縦横無尽に演じていた(歳を取ると丸くなるというが、事映画に限っては私は逆で、年々予定調和が嫌いになってきている。笑)。
最近の映画を見ていて驚く事の一つに、この「パチーノの世代」の活躍がある。アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、ダスティン・ホフマンの三人が、いまだ現役で映画の最前線にいて、主役の時もあれば脇役の時もあるが、いずれにせよ多くの映画に出演し続けているのだ。パチーノ76歳、デ・ニーロ73歳、ホフマンに至っては今年79歳で、来年は何と80歳だ。
ホフマンは60年代末の「卒業」で、パチーノは70年代始めの「ゴッドファーザー」で、デ・ニーロは半ばの「同PARTⅡ」でそれぞれブレイクした。ほぼ並んでスター街道を驀進していた若きパチーノとホフマンの間に途中からデ・ニーロが割って入った形だが、その後はこの三人が俳優としてハリウッドの様々な映画を牽引してきたと言っていい。
特に70年代の彼らの火の出るような活躍ぶりは、この頃映画小僧だった私にとっては今でも強烈な印象が残っている。
当時の彼らが凄かったのは、ブレイクした後で、全く手を緩める事なく、パチーノなら「スケアクロウ」、「セルピコ」、「狼たちの午後」、ホフマンなら「真夜中のカウボーイ」、「小さな巨人」、「パピヨン」、デ・ニーロなら「タクシー・ドライバー」、「レイジング・ブル」と、次から次へと秀作に出演し続け、80年代始めには既に大スターの地位まで上り詰めていた点。
彼らは単にスターだったのではなく、その三人三様の演技力と執拗な役作りでのし上がり、「スターにして演技派」という、それまでのハリウッドではごく希にしか存在しなかった、俳優としての新たな有り様を作り出した。それが世界の観客を熱狂させた最大の要因だったと思う。そうでなければ、わずか10年ほどの間にあれだけ有名になる事はなかった気がしている。
それでも10年も主役を張っていれば普通は「旬」の時期は過ぎるものだが、80年代以降の彼らはそんな「劣化現象」などどこ吹く風で、確実に出演作を重ねていく。そしていつの新作でも、確かな役作りと演技力で独自の存在感を示し続けてきた。
その状態が、2010年代も半ばになった今日まだ続いているのだから、これはもう驚異としか言いようがない。上でたまたまジョン・レノンの名が出たが、この三人の状態は音楽に例えるならあたかも「ビートルズが解散せずにいまだに現役で歌い続けてる」に近い。
さらに彼らは何とも働き者である。
2010年代に入ってから昨年までの5年間で、パチーノが9本、ホフマンが7本、デ・ニーロに至っては実に21本もの映画に出演している。この人たちに年齢というものは関係ないのかと唖然とするが、ともかくたいした本数である。
それに内容だけではなく、その演技も近年ますます充実してきていて、今日見た「Dearダニー」のパチーノも良かったし、ちょっと前に見た14年「ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声」のホフマンも、音楽学校の厳格な先生役を見事な役作りで演じていたし、デ・ニーロにしても12年の「マラヴィータ」で、南仏の田舎に越してきた、作家だが実はマフィアという役どころで大いに笑わせてくれた(あまり言う人がいないのだが、彼は昔からコメディ映画の演技が旨い)。
惜しむらくは、監督や脚本家が彼らの存在感に負けてしまっていて、せっかくたいした演技を見せているのに映画自体が何となくこじんまりとまとまってしまうという難点がある。
これは彼らのせいではないのだが、今後この三人と対峙する監督や脚本家には余程の覚悟がいるのではないか、とも思う。なにしろ「ビートルズが生きている」ような人たちだから、そこに立ち向かうのは並大抵の作業ではないのだろうけれども。
これも彼らのせいではないのだが。
この三人の存在感があまりに大きく、かつずっと最前線にいたがために、後の俳優(特に男優)諸氏がいま一つ小粒に見えてしまったりする。彼らの少し後にハリソン・フォードが出てきた時も「かっこいいけどあの人たちに比べたらちょっと小粒だな」と思ったし、その後いい俳優はたくさん出たものの、トム・クルーズ、ブラピ、ディカプリオと挙げればわかる通り、大スターではあるけれどこの三人には到底かなわない感じがあり、その下になればなるほど(若いせいもあるが)次第に人形のマトリョーシカのように小さくなっていく気がしてならない。しかし、「若いけれども」と言っても、彼らにだって若い時はあったのだし、しかもこの三人は若いときから既に凄かったのだし、今の俳優さんと比べるのは酷なのかもしれない。どうも存在として「特別な三人」と言えそうな気もするのだ。
そしてこの小粒感は、実は後に続いている彼ら後輩のせいでもない。
パチーノ、デ・ニーロ、ホフマンの三人にどれほどの自覚があるかわからないのだが、彼らの存在はアメリカ映画にあって既に越えられない「壁」のようになっていて、もはや後輩たちは彼らを意識せずに「我が道を行く」しかないのではないだろうか。さらに言えば、これだけ時代が激変し、スタッフもどんどん若くなっていく現場にあって、彼らは涼しい顔でそんな環境に対応してる節がある。
そうでなければ、いかな大御所といえどこれだけのオファーは来ないからだ。そう考える時、ただでさえ凄い人たちなのに、若手や中堅と同じ「適応力」まで備えていたら、これはもう全く歯が立たないと言っていい。
私がこの三人の若い頃から、ずっと新作を見続けてきているひいき目というのもあるかもしれない。
しかしそれだけではないと思う。
近頃の新作は希にしかいい作品にお目にかかれず少々食傷気味なのだが、彼らの誰か一人が出演していれば何はなくとも見てしまうし、見ればやっぱりたいした演技を披露してくれるし、今や貴重な存在になってきていると思うのだ。見る側の世代に関係なく、誰が見ても素晴らしい演技なのだから、これは私のただの礼賛ではない。それに私は彼らを礼賛しているというよりは、ただただ驚いているのである。
アメリカ映画の歴史を見た時に、つまり彼らより上の世代の俳優を眺めてみた時に、これほどの巨大な存在が、しかも同時代人として三人も、もっと言えばかなりの年齢になっても現役であり続け、常に新作を出し続けているという状態は、なかったと思うのだ。
重ねて言うが驚異的である。
この三人、まだまだいけそうな雰囲気を持っているのが凄いというか空恐ろしいところで、そこもまた、たいしたものだ。おそらく引退などしないのだろうし、最後まで俳優としてその存在感を示し続けるのだろう。
もし彼らのうちの三人の誰か一人でも欠けてしまったら、心にぽっかりと穴の開いた気分になるのは違いなく、そうならない事を願ってやまない(いつかはそんな日が来るのだろうが、私は今のうちから心の準備をしておこうと考えている。ひどい喪失感に苛まれずに済むように、である)
リスペクトをこめて、「あっぱれトリオ」と呼びたいくらいだ。
アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、ダスティン・ホフマンというこの巨大な存在。
お楽しみは、まだまだ続くのである。