男と女 | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

「言わせてもらいますけど、今日のあのホン、一体何なんです?」

「何が」

「女のキャラ、全然書けてないじゃないですか」

「あ、そう。そういう事言う訳?」

「な、何ですか」

「お前のホンだって、ありゃあ何だ」

「だから、あれでいいんですってば」

「呆れてものが言えないよ。お前の書く男はな、少女漫画の男なんだよ。あんなヤロウが現実にいてたまるか。だいたい、『壁ドン』なんてくだらないシーンを書くな」

「ムカつく。先輩だからって、そういう事言っていいんですか」

「この仕事に先輩後輩は関係ない。オレはただ……」

「ちょっと!モスコミール!」

 三十歳の女はそう大声を上げ、その小洒落たカフェ兼バーの若い男の子に身振りした。男の子は遠くから「かしこまりました」と頷いた。

 五十一歳の男は、遅い時間までかかった脚本会議の帰りで疲れ切っていた。さっきまでジャック・ダニエルを水割りにしていたのが、今はストレートになっている。

 男と女は今、同じドラマの脚本を書いているライターどうしで、男が第二話、女が第三話を担当している最中で、会議の最後の方で軽く言い合いになったのが、そのまま二人で食事になだれこみ、次第に会話がエスカレートし、今はこうして平日の、閑散とした深夜の今どきのカジュアル・バーで言い争いになっているのだった。

 女が酔眼で続けた。

「ええ、ええ。『壁ドン』がもう古いってのは認めますよ。でもですね、あそこは定番で『壁ドン』が必要なんですっ。だってわかりやすいでしょ。『壁ドン』」

 男は酒に滅法強いのでまだ完全に酔ってはいなかったが、それでもボルテージは上がっていた。相手が二十歳近く年下の女でも、今日こそは容赦しない。前の仕事の時などあわや小さなイタリアンレストランの椅子に手を掛け、ぶん投げてやろうかと思ったくらいだ。それに比べれば今夜はだいぶマシだ。

「『壁ドン壁ドン』言うな。そんなにドンドンして、壁に穴空いて、アスベストでも吹き出したらどうするんだ?第三話から公害問題バリバリの社会派になっちまうぞ」

「敬語、やめちゃうわよ。もうめんどくさくなってきたわ」

「お前の敬語は日頃から心がこもってない。最初から敬語に聞こえてないから好きにしろ」

「このヤロウ。言わせておけば……じゃあ言わせてもらうけどね、あのニ話の浩一郎の台詞、あれ、一体何よ」

「どの台詞だよ」

「『オレの気持ちがわかんねえのか』ってあれ。女の心理をわかってないのはあなたの方よ。あの局面であんな事言われたって、女にはわかんないわよ」

「あれはただの会話の流れだろうが。その次の絵里の台詞があったろ。『わかんないわよ』ってやつ。あれを引き出すために書いたんだ。いいか、絵里は浩一郎が好きなんだぞ。あそこでわざと『わかんないわよ』って言っといて、浩一郎をジラすんだろうが」

「ったく。これだから男ライターは」

「んだと?」

「あのねえ、『オレの気持ちがわかんねえのか』、『わかんないわよ』。んな会話、女はしたくもないのよ」

「じゃあどう言ってほしいんだよ。女は」

「なっ。呆れてものも言えないわ。そんな事もわかんないの?それでよく何十年もライターやってきたわね」

 男はジャックのお代わりを男の子に頼み、この店の、カジュアルすぎてちょっと木造りのそれが痛い椅子に背中をもたせかけた。いつもの通り、この体勢は彼の戦闘開始の合図だった。

「そこだ。いいか、耳の穴かっぽじってよく聞けよ、この鼻垂れ小僧が」

「小僧じゃないわよ。それを言うなら小娘よ。だいたい耳の穴ほじんないでよ、汚ないわね」

「揚げ足を取るな。オレが女の何が気に入らないってな、『そんな事もわかんないの?』ってそれな、男からすりゃいい加減にしろって言いたい」

「何がよ。あたし、ぜんっぜん変な事言ってないけど?」

 ジャックが来た。いいタイミングだ。男が空母の上の戦闘機なら、この一杯で甲板からトム・クルーズの乗ったトム・キャットよろしく猛然と出撃できようというものだ。

 男はグラスに口をつけ、「出撃」した。

「たとえばだ。女ってデートの時によく聞くだろ?『今日は何食べるか、あなたが決めて』っつて。男が答える。『じゃあ、パスタか何かはどうだ』。女はたいていこう言うんだぞ。『えー?パスタかぁ。うーん、それはちょっと』とか何とかな。却下するんなら、最初から『あなたが決めて』は変だろうが」

「モスコミールお代わり!……あのねえ、そこが男の浅はかなところなのよ。『あなたが決めて』ってのはね、『あたしは本当はフレンチが食べたいけど、それを当ててほしい』って意味なのよ」

「囲碁の対局か」

「は?」

「女は既に布石を打ってて、対局相手、つまり男はその布石を読んで、先手を打てって事か。デートに碁盤でも持ってけってのか。デートの場所は碁会所か」

「それが男と女の会話ってもんでしょ。女はそういう会話が楽しいのよ。何が碁会所よ、バッカじゃないの?」

 この店に入ってから五杯目のモスコミールが届いて、女もいよいよ戦闘態勢に入った。顔つきは若い頃のシガニー・ウィーバーのようになっていて、女の目には、向かいの男がクイーン・エイリアンに見えた。

「女には、例えばデートだったら、会ってから『じゃあね』って別れるまで、男にこうしてほしいっていうイメージ、つかプランがあるのよ。それをちゃんとやってくれると、『ああ、この人素敵ね』って思う訳。そこをいちいち外されるとイラッとすんのよ。『ああ、この人はあたしの気持ち、よくわかってないんだ』って。あれはもう最悪なんだからね」

「自己チューにもほどがある」

「『自己チュー』。死語。おっさん、サイテー。百歩譲って自己チューでいいわ。それのどこが自己チューなのよ」

「男はアメコミ・ヒーローじゃないんだ。そんな超能力は持ち合わせてないぞ。いくら相手がカノジョでも、んな事いちいちわかる訳ないだろうが。だいたいオレはな、全身タイツみたいなナリして『地球を救う』とかいう奴は大嫌いだ。正義のために能書きたれる前に赤パンを脱げ。まともな格好でスクリーンに出てこい」

「アイアンマンは赤パン履いてないわよ。トニー・スターク、お洒落だし」

「やかましい。とにかく、お前には男心がわかってないってことだ」

「あなただって女心が全然わかってないわよ。だから『オレの気持ちがわかんないのか』なんて書いちゃうんだわ。言っときますけどね、あれじゃ、あたし、あの続きの第三話なんか書けませんからね」

「じゃあ、どうしろってんだよ、あのシーン」

 女はここぞとばかり身を乗り出し、男にモスコミールの分厚いグラスを突きつけた。

「浩一郎が壁ドンしてから言うのよ」

「だから壁ドンはアスベストが」

「うるさい!じゃあ百歩譲って壁ドンはやめてもいいわ。あそこで浩一郎が絵里に言うわけ。

『オレの気持ちがわかんねえのか』その台詞はそのままでいい」

「それで?」

「絵里は答える。『わかってたわ。ずっと前から』」

「地獄絵だな」

「何がよ」

「『ずっと前から』って何だよ。それじゃ、前々から男の気持ちを全部見透かしてて、この先もずっと、あたしの言いなりにおなんなさいって事だろ。絵里はSMの女王か」

「おっさんんんっ!女の気持ちがわかってなさすぎるううううう!だいたい、さっきから嫌みがイチイチ古くさいいいいいい!そうじゃないでしょ。男も女も、相手の心を優しく包むのよ。それを生涯続けて、男は女を慈しんでいくの。だからこそ、女はその男をずっと愛していけんのよ。たとえおっさんとおばさんになった時でも、そういう気持ちはね、ゆ・る・が・な・い・のっ!」

「『男が優しく女を包む』だ?お前なあ、アメコミの次は少女漫画かよ。そんなの、鉛筆みたいに痩せた漫画のイケメンがやるこった。でもって女のバックに花咲いちゃったりするアレだろ。だいたいあの花は何なんだよ。女の後ろに花屋のにいちゃんがしゃがんで待機してんのかよ」

 女は少女漫画の痛いツッコミどころを突かれて少しだけ動揺したが、反撃の手は緩めない。何しろ相手はおっさんなのに「クイーン」エイリアンである。手強い。

「じゃあ言わせてもらいますけどね、少年漫画のあのアッタマ悪い勢いだけのヒーローね、あいつら一体何なのよ?ピンチになるとヒロインに『お前を必ず守る』とか言っちゃって」

「それのどこが悪い」

「だって結局、勝てるかどうかもわかんないのに、女にはカッコつけてそんな事言い残して、ラスボスに『うおおおおお』とか何とか叫んで突っ込んでっちゃうでしょうよ。あんなの女から見たら無責任もいいとこよ。もしラスボスにボコボコにされて死んじゃったら、残された女はどうしたらいいのよ。ふん、カッコつけで考えなしに突っ込むなっつーの」

「あんなもんは歌舞伎の見栄とおんなじだ。あれやんなきゃしまりがないからやってるだけだって。だいたい、あれは必ず勝つようになってんだから、後でちゃんと女を守った事になるだろうが。ちゃんと成立してるよ」

「ひっどいご都合だわ。あなたいっつも『ご都合で話進めるな』って言ってるくせに、あれは許す訳?信じらんない」

「オレがいつご都合の少年漫画みたいなホン書いたよ。あれはな、男子が好きな王道展開なの。だからああなってる。少女漫画だって、お約束で背中に花が咲くだろうが。お釈迦様の蓮の花かよ。呆れて物が言えん。いや、蓮の花は座るのか……」

「そこよ、そこ」

「何が。蓮の花か?」

「違うわよ!ちょっとは『花』から離れなさいよ。あれが男子が好きな王道展開なんでしょ?『女を守って戦う』ってやつ。それってサイッテー、頭悪すぎ。言っときますけどねぇ、今どきの女は自分の事は自分で守れんのよ。脳みそ空っぽヒーローの助けは不要。そもそも、あんな男を好きになる女がいると思ってんの?本気で?バカすぎる」

「このやろう、黙って聞いてりゃ」

「黙って聞いてないでしょ。さっきからがあがあ言い返しっぱなしのくせに」

「いいか。男からも言わせてもらうぞ」

「どうぞ」

「女に迫るのにいちいち壁ドンしたり、明らかに惚れてる女にわざわざ『付いてくんなよ』とか言わないの、お・と・こは。突き放すより『何でもいいから早くオレに惚れろ』って方が先なんだ。ほんっとにわかってないのな、お前」

「それはおっさんのあんたがガサツなだけでしょ。アムロだってシンジくんだってもっともっと繊細よ」

「あいつらはただへたれの草食系なだけだ。あんなの、本物のシリア辺りの戦場に放り込んでみろ。あっという間に死んじまうだろうが。それこそ、あれが最終回まで生き残る方がご都合の極みだ。だいたいなぁ」

「何よ」

「アムロは呼び捨てで何でシンジには『くん』付けんだよ」

「だってそういうもんだもん」

「理由になってないっ」

「あのねえ、こんな言葉知ってる?『男は理性の生き物、女は感情の生き物』って。だからシンジくんはシンジくんなのよ。それもわかんないんだ。もう、とっとと歳とって死んじゃえば?理性なんてクソくらえだわ」

「若さをひけらかすな。お前に言われなくても、どう考えてもオレの方が先に死ぬんだ。ほっとけ」

「言っときますけどね、あなたよりあたしの方が若いのは、あたしのせいじゃないわよ」

 女は空のモスコミールをテーブルに叩きつけるように置き、立ち上がった。

「ふん!しっぽ巻いて逃げる気か」

「トイレよ!」

 女はドスドスと店の奥の暗がりに去っていった。

 と、入れ替わりに、店の男の子が、男の所にジャックのお代わりを持ってきた。だが、男のグラスには、言い争いに夢中になっていたせいで、さっき頼んだジャックが、まだ並々と残っている。

 男は怪訝に言った。

「まだ頼んでないぞ、お代わり」

 男の子は困惑しながらぼそぼそと男に囁いた。

「それがお客さん、実はですね……」

 

 清潔で小綺麗な女性用トイレの洗面台の、その鏡の前に立ち、女は自分の顔をしげしげと見た。飲み過ぎたせいで、今日は少し控え目にした色の口紅の、その唇の端にモスコミールの緑色のハーブのかけらがひょろりと一本ついたままだった。

 一番低価格帯のカルティエの腕時計を見ると、午前三時半を過ぎていた。カルティエにしては安物だが、腕を巻いている落ち着いた黒革は気に入っている。

 女はハーブの破片を取り、化粧を少し直しながら思った。

「今日こそは、あのオヤジに絶対勝つ」

 

 女がトイレから出てくると、そこからテーブル席のフロアに続く細長い通路に、男が立っていた。

「何よ」

「何だよ」

「まだ飲むのよ。どいて」

「お前なあ」

 男はどかず、唸るように言った。

「腕、見せろ」

「何よ、あたし、ヤクなんかやってないわよ」

「んな物、オレだってやってない。いいから見せろ」

 男は女の右腕をつかみ、長袖の先をぐっとたくし上げた。そこに、女がトイレで見ていた一番低価格のカルティエが巻き付いていた。

 並々と残っていたジャックの一杯と、若い男の子が持ってきた次の一杯を立て続けに飲んだ男は、さすがにかなり酔っていた。自分の腕をつかむ手に力が入っていない事で、女にはそれがよくわかった。

「何で早くこれを見せなかった?」

「いくらカルティエでも安物だもん。恥ずかしくて」

 右手を黒いジャケットのポケットに突っ込んでいた男が、ゆっくりとその右手を出した。キーボードの打ち過ぎでそこだけ鍛えられている手首に、真新しいオメガのスピードマスターが巻かれている。

「オレはアムロか」
「何言ってんのよ」

「こいつはNASAの宇宙飛行士に支給されんのと同じモデルだ。レプリカ。女心のわかんないオヤジは宇宙にでも飛んでっちまえってか」

「行ってくれば?あたしの脚本料、三本分もふいにしたんだから。欲しかった物をもらったら素直にお礼を言いなさいよ」

「天下無敵のカルティエの、お返しって事か」

「偉そうに。一番安いやつじゃないの。去年貰った時、半分はがっかりしたわよ」

 そう言いながら、女は挑むように、二十歳近く年上の男を睨みつけた。

 睨まれた男は、眉間に皺を寄せ、「理性」を保とうとし、酔眼の筋肉に力を込めて酔っていないふりをした。 

「やりやがったな」

「今日から五十二歳でしょ。きっと、そのオメガが人生で買う最後の時計よ。ざまみろってのよ。買ったの、あたしだけど」

 女は勝ったと思った。

 バーテンの男の子に、このオメガを渡し、男の「理性」をぶっ飛ばすとどめのジャックを密かに頼んでおいたのが功を奏したのだ。

「女にだって理性はあるし、論理的に物を考えられるのよ。さらにそこに感情をのっけるから、男より一枚上手って事になるわね。あたしの勝ちよ」

 男が呆然としているのを見た女は満足した。まるで、人跡未踏の高山を征服した気分だった。すると、山の頂上に立った彼女の視界で、それまで辺りを覆っていた暑い雲が急に消えていき、澄んだ青空と広大な山脈の光景が見えたような気がした。

 女は、ごく自然に微笑んだ。それが彼女本来の、実はこの男にしか見せない笑顔だった。

「やりなさいよ」

「イヤだね」

「きっとやるわ。今のあなたには、『理性』がないもの」

 男はしばらく俯いた。

 それから、ようやく女の顔の横の壁に、ドンと右手をついた。オメガのスピードマスターがチャリッと鳴った。そして、女にだけ聞こえるように呟いた。

「オレの気持ちがわかんねえのか」

 女は、『こういう時の正しい女の台詞を教えてあげるわ』と前置きして、男と同じ小さな声で、男にだけ聞こえるように呟いた。

「わかってたわ。ずっと前から」

 

 二人でぶらぶらとテーブルに戻った時、女は第三話の展開を書き変えたいと言った。

 男が「どう変えるんだ?」と聞くと、女は、その男を慈しむ、豊かな感情の溢れる笑顔で答えた。

「絵里と浩一郎が……結婚するの」

 それじゃあ、第四話以降の話が続かないじゃないかと思いながらも、男はため息をついただけでオメガを見つめ、女同様に自然に笑った。

 若い男の子が、パチパチと小さな花火のついたショートケーキを持ってきて、二人に言った。

「おめでとうございます」

 女心のわからない男と、実は男心のよくわかる女は、今度は同時に笑った。

 女は思った。

 

 勝負は今日で終わり。

 明日からは、二人で包みあっていくんだわ、と。