J リーグの創生期はビスマルクの時代だった。
ビスマルクがプレーしたクラブが優勝した。
ジョルジーニョとレオナルドを従えた、全盛期のビスマルクを観たかった。
確かに、人気はカズだったけれど、真の実力者はビスマルクだった。
手抜きのストイコビッチより数倍良いプレーをした。
Jリーグの最優秀選手にベルディで1回も、アントラーズで1回も選ばれなかったのは理解に苦しむ。
ビスマルクはJリーグ功労選手賞に選ばれているのが救いか。ケガをしていたとはいえ、ろくに出場しなかったリネカーと比較されたくない。
話はそれるが、リネカーがJリーグ功労賞に選ばれたのは、日本サッカー協会の顧問だったクリス・マクドナルドさんに配慮したからだろう。リネカーは何で私が、と当惑しただろうな。
話を本題に戻すと、ビスマルクはジーコより日本のサッカーに適応していたし、ジーコより視野が広かった。
つまり、ジーコはチャンスメーカーであり、ビスマルクはプレーメーカーだった。
それから、日本サッカーサムライブルー は、コパアメリカにてブラジル代表と対戦している。その試合においてビスマルクが決勝点をあげた。
(正史から引用)
また、ビスマルクはセレソンの控えのプレーメーカーだった。レギュラーは京都パープルサンガでプレーしたシーラスだった。だけど、シーラスは日本のサッカー、雪国のサッカーに適応できなかった。ブラジルには雪国のサッカーに適応できるプレーヤーと、適応できないプレイヤーがいる。これだから、サッカーは解らない。