まず、編纂に関わった方々にこころから感謝の意を述べます。
しかしながら、記述に疑問がある点をいくつか書いてみます。
@ベルリンオリンピックでスウェーデンに勝った。次の試合は中2日でイタリア戦を迎えた。
だけど相手のイタリアも中2日だったのではないか?
イタリアがシードで中3日だったとしても、大会の持ち方はフェアだ。
控え選手を5人しか連れて行かれなかったのはハンディだったが。
それから、中盤の頭脳、プレーメーカーだった金容植は全京城蹴球団の所属だったことを本文に明記すべきだろう。資料には出ているが。
彼は朝鮮のストリートフットボール育ちなのだ。日本国籍だったとはいえ歴史は変えられぬ。
@東京オリンピックで強豪アルゼンチンに勝った。
しかし、次のチェコ戦に完敗した、と正史は敗戦を清く認めている。
@メキシコオリンピックの時、グループステージであえて2位通過を選んだ。その結果、ノックアウトステージ1回戦、地元メキシコとの対戦は避けることができた。
しかし、日程で損をすることになった。
大会の持ち方はフェアだ。
@それから、学生アマと企業アマとステートアマの違いをコラムで詳しく解説してほしい。
@ワールドカップ日本・韓国大会の開幕戦前の催し、韓国文化のオンパレードで日本文化の紹介はわずかだった。
共催とは名ばかりで、分催だった。
@ワールドカップロシア大会のグループステージ最終戦、ポーランド戦の時、負けているのにボールを回して時間稼ぎをした。
ノックアウトステージに進んだが、観客からブーイングを浴びた。歴代史上最悪の汚点。数々のフェアプレー賞に泥を塗った。
@1976年、高校サッカー選手権大会が大阪から東京に移転した。
これには大会を後援してい毎日新聞が経営難に陥っていた事があげられる。
毎日新聞は東京移転が、登記上の本社移転が遅れていた。東京一極集中を読みきれなかった。
背景の説明がほしい。
@スペシャルライセンスプレヤー第1号は木村和司と奥寺康彦だった。
だけど、木村和司の顔写真がない。奥寺のポスターはある。
日本サッカー殿堂には顔写真があるが。
@1986年、全日空横浜サッカークラブの選手が日本サッカーリーグの試合をボイコットして、選手と役員が無期限登録禁止になった事件の記述がない。
重要な事件だけど正史にはむかないか?
しかし、草の根のサッカーファンは忘れない。ネットに残っているのだから。歴史は変えられぬ。
後年、選手は登録禁止を解かれているが、役員の資格停止はどうなったのだろう。
会社アマからプロに移行する混乱期におきた事件であり、事実をタンタンと書くべきだ。何も恥ずかしいことではない。
@Jリーグの参加資格ですが、
発足当初は下部組織に2種、高校年代のチームを登録することを義務付けた。
しかし、3種、中学生チームの登録は義務付けしなかった、なぜかできなかった。
だけど加盟クラブは勝手に3種のチームを創った。ヨーロッパに見られるクラブスポーツなら当然という認識がすごい。
これは、他のスポーツには見られないことだ。
@それから、犬飼基昭元会長のやろうとした事について詳しく書いてほしかった。よっぽど、時期尚早だったのだろう。
だけど、今、Jリーグはシーズン制を換えようとしている。また、ルヴァンカップは改革の時期に来ている。
それから、小学生の大会を8人制に換えようとした。リーグ戦化も進めた。
その先見性は大いに評価されるべきだ。そろそろ日本サッカー殿堂入りではないか?
例によって、疑問に思うことをいくつも書いてしまった。
例えば、木村和司が日韓戦でものすごいフリーキックを決めたけれど、試合自体はホームでやって敗戦だった。
試合結果を清く認めない編集姿勢が私には面白くない。
正史というものは史実をタンタンと記録に残すものだと筆者は考える。我らが代表チームが元気よくプレーするのを書いて欲しいのは、山々だけど。
とはいえ、正史は良くできていて、読みごたえのある資料になっている。
今一度、資料の編纂にあたられた皆さんに労いのことばを述べます。
私にはとてもできない仕事です。