みなさんこんばんは!絶賛スピリチュアル中のりゅうかです
いきなり本題へ。
青山桃子さんが教えてくれた『水野南北』のことについてです。
早速取り寄せて、読んでみました。
一言で言えば、
この教えをもっと早く、十年前ぐらいに知っていれば良かった、そうすれば人生が変わっていた
ということです。でも、今知った、ということは、わたしにようやく受け入れ態勢が整ったということなんだと思います。
たぶん、ですが、この教えに触れる前と後では、後に振り返って大きな分岐点になっているのだろうな、と確信しています。
それぐらい、インパクトが強かった・・・
ちなみに水野南北さんは江戸時代の観相家、平たく言うと占い師さんです。
その占いは、百発百中だったそうです。
一介の占い師さんが、二百年、三百年後に名を残し、今も繰り返しその書籍が読まれている時点で、この方の偉大さがわかりますよね。
その教えを、わたし的に、一行要約してみます。
それは、
美食による満足と、幸福や発展は反比例する
ということです。
もっと平たく言うと、
おいしいものをたくさん食べて満腹になればなるほど、運が悪く不幸になり、
食べ物を慎んで粗食かつ少食にすると、その分運が貯金されて幸福になる。
という、きわめて単純でありながら真理を突いた教えです。
南北さんは、この真理を繰り返し、いろんな角度から、手を変え品を変え、あらゆる例を挙げて述べているのです。
そして、南北さんはこう言い切ります。
とりあえず三年間、粗食かつ少食にして、食を慎んでみなさい。
そうすれば必ず運気が開け、願い事が叶います。
絶対に間違いはありません。
もしそうならなければ、わたしを天下の大嘘つきと罵っても良い。
後に水野南北が何千人も弟子を抱え、歴史に名を残したことを見ると、誰も彼を「天下の大嘘つき」とは罵ることは無かったようです。
ここで少し、大本教の『日月神示』に記されていることを少し挙げてみます。
大本教の神様は、水野南北さんと全く同じことを言ってらっしゃいます。
一椀をとってまず神に供えよ。親に捧げよ。子に捧げよ。腹八分の二分は捧げよ。食物こそは神から、親から与えられたものであるぞ。神にささげずにむさぶる(貪る)からメグリ(悪因縁)積むのぢゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運ひらくのも食物つつしめばよい。
~中略~
ツキモノ(憑依霊)がたらふく食べていることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。まず百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年続けたら開運間違いなし。
ちなみに、わたしは特定の宗教を信じるものでは無いし、『日月神示』がどういうものかは実はよく知りません。
でも、ツキモノ(憑依霊)がたらふく食べていることに気づかんのか
この一節に、「あっこれホント!」と思わず惹きこまれたのです。
肉食して風邪をひき、狂ったように甘いものが欲しくなり、つくづく感じました。
何かに食べさせられてる!!
たぶん、異常にたくさん食べたくなるのは、憑依も一つの原因だと思います。
そして、憑依体質の人は、太りやすいです。
これは確信を持って言えます。
この記事に紹介している知り合いも、明るくて優しくて、友達もたくさんいます。
体重100キロ近くあり、太ってます。
そして、50超えて未婚独身で、家族全員同じくらいかそれ以上太ってて、複数いる兄弟姉妹も誰もが一度も結婚していず、傍から見て、あまり運が良い家庭とは思えません。
人柄が良くて、朗らかで、楽しい人でも、憑依されている時点で、幸運からは遠ざかってしまいます。
何しろ、幽霊さんは、「生」への執着が強いから幽霊になってしまうのです。
そして、「生きる」とは「食べる」ことと同じ。人間に憑依すると、ともかくまず食欲を起こさせ、食べて食べて食べまくってしまう。
霊が憑くから食べたくなるのか、
暴飲暴食するから憑依されるのか、
どちらが先かはよくわかりませんが、霊をくっつけては幸運からはますます遠ざかってしまいます。
そこで、食を慎めば、憑依霊も「この人に憑いてても楽しいことないな」と離れていってくれます。
そういう意味でも、「粗食・小食は幸運の元」というのは正しいのでは、と思います。
昨日、
①神仏の加護を得るサイン
②神仏の加護を得るとして逆に魔に引き込むもののサイン
③そんなブログの見分けかた
を書きます、と告げていたのに書けなくてすみません。
でもどうしても、水野南北さんのことを書きたかったのです。
参考にしてくだされば幸いです。