こんにちは、ゆきです。


前回がんを告知されたところまでお話ししましたね。

今日は、その続きです。


「じゃあ、お手紙書くからね。

待合で待っててね」

先生にそう言われ、診察室を出ました。


がんだった。


どうしよう。

治療に耐え得るお金がない。


診察室を出て、そのままクリニックを出て、駐車場で父に電話した。


「私、乳がんだって」

『おお。お前今どこにいるんだ?』

「乳がんの検査したクリニック。お会計まだしてない」

『そうか。そしたら、今晩お前の家に行くから。気を付けて帰って来いよ』


自己紹介でお伝えした通り、私は両親との関係が良好ではない。

用事がないのに電話をかけたことなど、ない。

それでも縋ってしまうほど、不安だったのだろう。


それから、お会計に呼ばれた。

「負けちゃだめだよ」

そう言葉をかけていただいたような気がする。

あまり覚えていない。

車で来ていたので、事故らずに家に帰り着くことだけを考えて、無駄に歌ったりして、なんとか家路に着いた。


家について、手洗いうがいをして、とりあえずお茶を飲んで。

ぼーっとしていた。

1時間ぐらい経った頃、両親が来た。

事の経緯を説明した。


『お金の心配はするな。しっかり治療をしてくれ』

そう言われた。


治療をしたら、生きられるのだろうか。

胸を失い髪を失い、それでも生きて、何が楽しいのだろうか。

ほっといたら死ぬんだから、それでいいのではないだろうか。


正直この時は、ステージだという可能性はあまり考えていなかった。

胸のしこりが小さかったし、他に目立つ症状がなかったから。

でも、ほっとけば後にステージが上がって、死ぬ。

抗がん剤治療の苦しみを被るより、できるところまで健康に生きて、死ねばいいではないか。

そんなことを考えていた。


私は、人前で泣いたことがない。

幼少期は覚えていないので割愛するが、思春期以降は多分、ない。

特に両親の前で泣いたことなど、絶対にない。


そんな私が、号泣した。

父と母の前で。

言葉が話せないほど、泣きじゃくっていた。

一応落ち着こうと思ってはいたが、涙が溢れて溢れて止まらなかった。


確か、「つらい治療をするよりも、早く死にたい」みたいなことを言った気がする。


それに対して、「治療はしてほしい」とか、「私だったら、親のために長生きしようと思う」とか、そんな感じの返事をもらったと思う。


ほとんど覚えていないが、「随分的外れなことを言ってくる人たちだな」と若干引いたのは覚えている。


これを書いている今、この時から約2年が経ったが、両親の前で泣いたのは後にも先にもこの時だけだ。


小一時間泣いて、喋れるくらいには落ち着いた。

先程先生に言われた今後の見通しを、両親に説明した。

紹介状をもらった病院の初診予が取れたら、日時を連絡すると伝えた。

通院は同行してくれることになった。

この頃は今ほど関係が拗れていなかったので、少し安心したのを覚えている。


とりあえず、白黒ははっきりした。

黒だった。

平凡なアラサーが、若年のがん患者になった。


漠然と「記録を残そう」と思って、Twitterを開設した。


朝が来た。

いつも通り出勤して、いつも通り仕事した。

昨日と何ら変わらぬ日常。

がんだなんて信じられないくらいの平穏。


それでも私は、がんだった。


さて、また次回、お話の続きを書きます。


今日もよく生きました。

明日もきっと生きています。

幸せな時間がありますように。


ゆき