みなさんこんばんは🌇メムです。
今瀬戸内は大雨
しばらく雨降ってなかったからちょっと嬉しいです。雨の音が好きなので
本日、初めて聞いた言葉があります。
聞いて心が軽くなり、しばらくするとなんとなく泣けてきました。
不干渉の法則
ていう言葉です。
アメブロでも見つけました。https://gamp.ameblo.jp/pokapoka-8888/entry-12407993781.html
ごく身近に、いろいろ悩んでいました。
○こどものためにこれをしてあげなければならない
○導いていかないと道を踏み外すかも
などといつも先回りして動いて、逆に振り回したりしていたので
こどもの中から出てくるものをもっと尊重してあげたいな
と素直に思えるようになりました。
不干渉、というと、放置、とか、無関心、ていうイメージもあるかもしれませんが、
それとはまた違うみたい。
どんなことが起きても愛情を持って「見守る」こと
という、ものすごーくハードで大変な姿勢です。
だって、一番極端なはなし、
こどもが傷ついたり、人を傷つけたり、失敗するのも見守る
て、並大抵な覚悟ではないです。
そうならない前に、問題の芽を摘んであげたりしてたんだけどね、
ちょっとわたしの干渉が空回りしてるよ、てサインがちょくちょくあった気がしてるんですよね。
今回のがん罹患もその表れな感じかもと思ったし。
こういう血も涙もない所業見ても、神様は手出しをされない。
今まで、幾度も酷い戦争が起きたり、酷い天災で人々が苦しんできたのも、黙ってじっと見られてました。
無関心なのではなく、
限りない愛情を持って、
人間が自分で気づき、乗り越えるのを、見守ってこられていたんだな
と、腑に落ちたんです。
そりゃーイライラもするでしょうし、
人間てほんま愚かだな、ウマシカだな、と思うこともあったでしょうけど、
ここで手出しをしちゃいかん!
て、わたしたちが乗り越えられることを信じて待ってくださってたんだろうな、と。
そうすると、なんか、泣けてきてしまったんです。
なんとなくですが、こどもが赤ちゃんのころの自分の気持ちを思い出したんです。
めーっちゃかわいい。愛してる。
泣くのを見るのが辛い。
でも、泣いて大きくなるのを見守るしかない
ていう、あの気持ちの、ナン万倍も人間を愛してて、許してて、自分の一部を与えて育んでるんですよね。
で、わたしたちは、神様に信じてもらえて、ものすごく愛されてる、見守ってもらえてる
とか思って、泣けてきたというか←わたしすぐ涙が出る人です。
こどもに「ごんぎつね」とか「フランダースの犬」の絵本読み聞かせするたびに、泣いてたんです(笑)。
わたしがぐいぐい前に出てしまうと、
こどもの学びを邪魔するのかな
なんてことを考えています。
不干渉の法則
今このタイミングで知ったのも、わたしにとってベストなタイミングだったのかも。
と思いました。
ここに来てくださり、読んでくださる方々にとっても、何かを考えるきっかけになるかも知れません。