私は今住んでいる街が好きでもあり、嫌いでもある。
好きなところは、静謐なコンクリートでできた近未来的な街並み。
夕方から日没にかけて薄紅に染まった空と、このコンクリートでできた人工的な街並みは、ツナと刺身とご飯くらい良くあっていると思う。手塚治虫のような近未来的で、空飛ぶ車でも飛び交っていそうな感じ。街灯がややアンティークに感じられたり、ふと、優しい雰囲気のケーキ屋さんが木立の中に隠れていたりするのも、この街の面白さだ。
記念公園沿いの道に、小さな噴水のあるケーキ屋がある。マフィンや、手作りクッキーや、土台となるスポンジや、人の笑顔や温もりが売られているこの店は、雨宿りのように人々を集め、足を止めさせる。
灰色で、夕暮れ時には街のすべてが夕陽を反射させるこのコンクリートタウン。人々は対極的な自然をどこか求めている。突然木々に覆われた自然界が顔を出すのが、この街の面白い所だと思う。
でも僕は自然よりも、このコンクリートタウンが夕陽を照らし、赤信号が危険信号のように人と車を警戒させる街並みに、癒しを感じる。街全体にAmbient musicなんかかけたら、いい音響になると思う。
遠くに響く、かっこうの声。この街で、心細く目に不自由している人々の存在を知らしめる鳥の声。それに対して、目をそむけず、ふと見つめていたくなる。実際、そういう人はこの街に少ないけれど。
なぜか知的障碍者は多い。それは、この街が研究施設だから薬品がどこかから漏れて、脳にダメージを加えているからだという噂がまことしやかに囁かれる。それはこの街の暗い異質さを端的によく表していると思う。
地元の大学は昔、自殺者が多いことで有名だった。心霊スポットと化している池がある。すぐ近くの校舎(ビルのように高い)から飛び降りる人が多いからだ。閉鎖的な街並みがそうさせるのかもしれない。美輪さんだったら絶対住みたくないであろう、鉄骨打ちっぱなしな建物が多いだけに、どこか人の心は荒みやすいのかもしれない。
この街は自然もどこか人工的だ。「ここはコンクリート。ここはそれを補うように植物を残しておこう。公園にしよう。遊歩道にしよう。」行き届いた箱庭のような街。私たちは滅菌状態で暮らしている気になる。外界からどこか汚れを遮断しているような、そんな感じ。
先週お盆で、人々が地元へと帰って行ったとき、この街は少しゴーストタウンの様相を呈していた。昼なのに、車がまばら。自転車で蛇行運転しても平気なんじゃないかとすら思えた。
少しうるさいデパートを出たとき、いつもは感じない奇妙な気配に一瞬たじろいだ。
音がない。
普段は気にならないことなのに、人の耳は優秀だと思う。でも、こんな小さなことでも、音はこんなにも小さく、少なくなるのか。車が遠くを走っていないだけで、普段からあまり音のない環境が余計静謐になる。普段は好きなこの街の静けさも、こういう時は嫌いになる。
所詮はよそ者の街か。
まるで大学のよう。人々はそこに所属しているようでも、いづれは誰に告げるともなく消えていく。循環し、コンクリートだけが残る。この街は綺麗だ。そこはとても清潔好きな僕には好感度が高い。
でも、それは誰もこの街に深い思い入れがないのかもしれない。古い家屋の柱に、傷つけられた身長の記録のような残る思い出、キズというものを誰もこの街に残さない。このチェーン店全盛で、すき家やら富士書店やらTSUTAYAやらイオンやら、古くからの店を乗っ取りだす時代。ますますこの街は無意味に新品だ。
もっとキズを付けてもいいと思う。この街は愛着を作るべきだと思う。そう思って、コンクリートに石をぶつけたけれど、石のほうが割れてしまった。てごわい。