1行・10分からできる!18歳からの遺言書作成入門 -2ページ目

ちょっと自己紹介の話

 ちょっとブログのテーマと関係ないかもしれませんが自己紹介として。


 いじめを苦にして自殺する。遺書を遺して。


 そもそもなぜ命を絶つという選択をしなければならなかったのか。おそらく、


・それ以外の方法を伝えられる人が誰もいなかったから。


 中学生の時、担任の教師から「お前みたいな奴が人を殺す」と言われました。当時、宮崎勤元死刑囚(2008年執行 当時被告)による幼女連続殺人事件の記憶がまだ鮮明であった時代であり、


・凶悪犯罪を起こす人間は如何にも凶暴そうな人相の人間よりも一見おとなしそうな人間に違いない


 という「偏見」にも満ちた風潮があった時代です。(いくつかの連続殺人事件等がマスコミを騒がせているこのご時世なら間違いなく問題発言です)


 「何考えてんのか分からない暗い奴」という意味合いでしょうが「アンタの言ってることの方がワケ分かんないよ」と言いたくなりました。


 歪んだ人格を正そうとする教育者のあるべき姿に酔ってでもいたのでしょうか。もちろん人格否定をしてきたその教師に対して殺意が湧いたのは言うまでもありません。


 他にもそういう教師がおりまして、「比嘉をけなせばウケる」みたいな雰囲気を作り出すのです。


 「普段悪ぶっている人間は大丈夫、問題は普段大丈夫そうな人間が突然人殺したりするから」

 

 というと、


 「それって比嘉のことですよね」


 というと教室内が大爆笑の渦に包まれるのです。


 普通ならば発言した生徒は引っぱたかれても不思議ではないはず。でもその教師も一緒になって大笑いなのです。むろんその教師も自分のことは知っていたはずなので、明らかに狙っていたのでしょう。

 

「比嘉、しゃべれ」

「比嘉、笑え」


 いつの間にか「誰でも笑いをとれる方法」が「自分にちょっかいを出す方法」になってました。生徒だけならばまだしも、先生も「面白い先生として生徒から人気をとる方法」になっていたのです。


 もちろん、何もしなかったわけじゃありません。変わろうと努力もしました。


 積極的に話しかける。暗い雰囲気が駄目なら明るくふるまおうとする。すると今度は、


「比嘉がしゃべった」

「比嘉が笑った」


 そうやって今度はまたも教室が大爆笑の渦に包まれるのです。


 もうバカバカしくなって、黙っている。誰にも知られないように存在感を消すしかない。


・存在しない人間から物を盗んでも誰も気付きません。

・存在しない人間をぶん殴っても誰も気付きません。


 一応、高校時代、名ばかりですが進学校でした。(偏差値は低かったですが)


 それでも一応、みんな勉強らしきことはしていたので、いわゆる「ヤンキー」っぽい生徒はあまりいませんでした。(校則が厳しかったので)


 しかしここで誤解してはいけないことがあります。


 敢えて声を大にして言わせていただきます。


不良に成績は関係ありません。


 成績が良くても反社会的行為。例えば万引きやカツ上げといったことはもちろんですが、いじめといったものも含め、学校の成績は関係なく不良は存在します。


 大人たちは(といっても私も今は大人ですが)よく、子どもを成績の良し悪しで振り分け、


・成績の良い子=模範的生活態度の表れ

・成績の悪い子=人間的な欠格の表れ


 みたく単純に判断しすぎる傾向があるようです。大分改善されたとはいえ、相変わらずこの傾向は続くでしょう。


 よくTVドラマ等で、


・エリート=成績はいいが狡賢くて人間として駄目な奴ら

・ヤンキー=成績は悪いが義理固くて根はいい奴ら


 みたく描かれるケースがあります。


 しかし現実は違います。現に自分がそうでした。


・エリートヤンキー=成績がいい不良。見た目は普通

・エリートじゃないヤンキー=成績が悪い不良。見た目が不良


 やっていることは一緒です。いや、むしろいわゆる「エリートヤンキー」は先生と共闘してくるので被害者の被害はより深刻です。


 ヤンキーは野党ですがエリートヤンキーは与党ですので。


 エリートヤンキーに因縁をつけられた自分はなぜか反政府組織でした。


 正義に苦しめられました。


 もしもいじめをやっている人間が一人だったら・・・転校をさせることもできます。(まあ無理でしょうが)


 もしもいじめをやっている教師をクビにできたら・・・もういじめはなくなります。


 しかし誰が主犯か誰が加担しているのかもわからない。そんな状況で果たして誰にどうこの状況を伝えればよいのか。ひたすら学校生活が終わるのを待つしかありません。


 親や教師はいつも言います。


「大人になれば大丈夫」


 子供だから駄目なのに、大人のお墨付きを得ていじめに加担しているのに、そうやって目の前の問題から逃げます。


 この学校さえ卒業してしまえば・・・どこでもいい、どっかの大学に入ってしまえば過去と決別できる。


 当時は本気でそんなことを考えていました。

 もっとも一年間の浪人生活を送ることになります。何しろ偏差値は32でしたので。ヤンキーよりもヤンキーらしく偏差値だけがなぜか喧嘩上等です。


 それでも何とかなりました。予備校に入る1か月前位の春休みでしょうか。実は一番重要な勉強の基本的な部分がわかったのです。


 バカバカしい話ですが、それがもしわからなければ一生フイにしていたかもしれません。


 大学に入学し、煩わしい人間関係がなくなったのもそうですが、


 もう人の顔色を伺わなくても生きていける。


 後で気付いたのは、予備校生活を通じて得たもの。それは自分自身で物事を考えて判断したという安心感とそれを実現できた自分自身への信頼の回復でした。


 人間何と言いますか、逃げ道ではなく「突破口」が見つかれば何とか生きられます。


 突破口を偶然見つけた10何年前、知らずに死んだ何人かの子ども達。


 もしもこれを伝えることができたら。むろん子どもだけでなく、様々な人達へ。


 今もそんな気持ちは持ち続けております。


 地位も立場も今は全然変わっておりますが、伝えたいのはいつも「突破口」の話。


・誰も聞かなくても自分だけは聞きます。

・絶対無理と思っても自分は認めます。


 そんな小さなきっかけが大きな出来事へとつながるなら、と思うのです。


 最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。