自分の愛着の歪みの強さを知ったのは数年前のこと。

 

 

楽しむコトも自分を喜ばせるコトも、自分には勿体ないという感覚が常にあり、それが自己肯定感の低さという自覚はありませんでした。

 

 

トラウマの多くが消え、新たに自分のやりたいことで収益を得たいと意識も芽生え、様々なことを学び直し、アイデアも浮かび、モニター実践でそれなりに得られました。そこから更に収益を得ることを意識し始めた頃から、集中出来なくなり、意識が向かなくなりました。

 

 

ボランティア的な活動ならばサクサク動けるのに、利益を得ることを考え始めると無意識におかしくなりました。その強い潜在意識の拒否反応が思考を停止させているようでした。もう十分学んで経験も積んで大丈夫と思えているのに、まだ自信が足りないのかと。

 

 

 

お金に対するブロックがある事は、ずっと感じてはいました。
お金が大事とは思っていても、お金が好きという感覚は持てていませんでした。

 

 

 

 

このところずっと、何をしても集中せず、暇さえあればプライムビデオで様々なドラマやアニメを見ていました。

テレビはほとんど見ないのですが、プライムビデオは見始めると止まらなくなり、気に入ると最終回まで見続けてしまい、何度も睡眠不足になったりしました。

 

 

動けない自分の気を紛らわせる行為なのかと思っていましたが、気になって見るドラマには、自分のトラウマにかかわる気付きもあり、今まで自分の許してこなかった娯楽的なことや、この程度の我がままは良いのだと、自分の無知や気負いを少しずつ外してくれもしました。

 

 

家庭環境でドラマや映画をほとんど見ることが無かったので、友達の話題についていけずに集団を避けていたことも思い出しました。ドラマの中に自分の生きて来た時間を振り返り、常習化した深いトラウマを負担なく理解するためにドラマが役立っていました。

 

 

お金に対する歪みの根底にあったのは、お金が親の愛情を奪った敵の様な感覚でした。

 

 

自分にお金を掛けてもらえなかった記憶。

貧乏だから愛してももらえなかったのだという思い込み。

 

全てはお金のせいだと。

 

 

お金はこの世界を歪めている大きな得体の知れない怖いモノとしても私の中にありました。

お金にまつわる様々な情報も、この世界を狂わせている様な気がしていました。

 

更に母とお金にまつわるショックな出来事の過去もトラウマを深くしていました。

 

 

私のお金にまつわるトラウマは、私の人生に1番大きな影響を与えていた大ボスだったのかもしれないと思いました。

 

 

 

 

田舎の共働きのサラリーマン家庭でありながら、毎年盆暮正月の度に20人近い両親の弟妹親族の集めて、楽しませるコトにお金を使っていた家庭環境でした。毎年の恒例行事を楽しみにしている親族を喜ばせるコトが最優先の家庭環境でした。

 

その裏側に自分はいました。

 

映画やドラマに出てくる親族が田舎に集まる楽しそうな光景の裏側。

準備と後片付けと聞かされるお金の愚痴。私は親族の集まりが嫌いでした。

その時にふるまわれていたお餅や和菓子類を、最近まで食べられませんでした。

 

 

嫌でも愛想笑いをして、自分から馴染むことも、楽しもうともせず、外側から眺めていました。

 

本当は自分も一緒に楽しみたかったけど、私はいつも蚊帳の外だったから。

蚊帳の中に入ってはいけないと、母の膝に甘えてはいけないと、甘えては楽しんではいけないと。

私が甘えると私が楽しむと母ちゃんがはばちゃんに泣かされる、そんなトラウマでした。

 

 

 

親族から向けられる「可哀そう」の言葉が大嫌いでした。

 

 

『よく頑張ったね』『もう大丈夫』『好きにしていいよ』

幼い魂を労い労わり慈しみ、愛をお金をわがままを自分に許しました。

ほぼ一か月間。最低限の仕事と約束以外予定を入れず、自分からの学びや勉強は放棄して、暇さえあればドラマやアニメを見たりカラオケに行ったり好きなモノを食べたり飲んだり、てれてれと散歩をしたり、何の身にもならないような時間を過ごしていました。

 

 

数日前、朝起きたら、何となく前に進めそうな気がしていました。

そこから動画を見たい衝動が出なくなりました。

一段落した気がしました。

 

 

とりあえず、乱れてしまった生活習慣の整え直しだなと思いました。

 

この十年間、こんなことを繰り返しながら、少しずつ前に進んできたなと思いました。

後退しているような行動も、心が望んでいるのなら、否定せず開き直って楽しんでしまうことで糧となる。

 

 

 

お金は使う人の心のあり方で変幻自在に変化しうるモノ。

全ては自分次第なのだとじっくりと腑に落とい込み向き合い始めました。

 

 

 

自分はお金とどう向き合い、どう活かしたいのか。

 

 

 

これからの自分が自分らしく生きるために、努力の対価としてのお金が自分の自信となり、誰かを幸せにする力にもなり得るのだということ。

 

 

今自分が得たいもの、守りたいモノ、大切にしたいコト。

自分で自分の価値に値段を付けることの大切さ。

自分を選ぶかどうかは相手が決めること。

堂々と受け取れる自分になれば良いのだと思いました。

 

 

存在を認めてもらうためには自分を見せなければなりません。

愛の反対は無関心。

関心を持ってもらえるということは、それだけで愛と言えるのかもしれません。

自分が幸せと思えるように、素直に感謝の気持ちを持って愛を受け取れる自分になりたいと思いました。

 

 

 

お金には感情があるという話を聞いたコトがあります。

 

 

どんなモノにも感謝の気持ちを込めて丁寧に扱うコトでそこには魂が宿り、その価値を高めるのは扱う人の心なのだと。

 

 

 

私はずっと自分の人生を、丁寧に生きてはいませんでした。

 

 

自分に対しても自分の身の回りのコトに対しても、見て見ぬフリをして無関心な楽ばかりを選んできたから…。

 

 

様々な苦労やトラブルの方から次々と飛び込んで来てくれて、もっと自分に興味関心を持ちなさいと、本当の願いに必要な経験や気付きのキッカケを、与え続けてくれているのかもしれないと思いました。

 

 

 

辛い最中にそんなコトは思えなかったけど…。

 

 

 

そんな見えない力の有り難さを、少しずつ実感できている今日この頃です。