必要とされる人間になりたかった。




家族の中で自分だけが誰にも必要とされていと思い込んでいた。それでももし死ねば母はきっと悲しむと思った。




何の役にも立たないのだから、せめて邪魔にならない様に、捨てられない様に、そんな生き方が染み付いていた。



自分を大切にするというコトがよく分からず、自分が大切な存在であるという認識もなかった。




上部だけ周囲に嫌われない様に取り繕い、自分自身に対しては無意識にセルフネグレクトしていた。



誰でもいいから私の存在を認めて欲しい…

自分を求めて欲しい…



自分自身と向き合うことをせずに、ただ無自覚に周りに何かを求めていました。



つい余計なことに囚われて、気がつくと無意識に余計なお節介を探していました。



何となく勝手に相手を慮り、相手の都合を考えずに先回りをして先走る癖があり、それを良いコトと思い込んでいました。



相手の意思を確認することの大切さが分かっていませんでした。





叔母は何かをする度にどんな小さなことも叔父に確認をしていて、叔父がハッキリイエスと言わないことは無理にしようとはしません。私はそれをただの諦めと思っていました。それが叔父と叔母の力関係なのかと思っていましたが、そのやり取りの中で、叔父もちゃんと叔母の意思を尊重していて、お互いの意思のすり合わせをしているのだと分かってきました。




私は自分の意思をキチンと相手に伝えることをしてきませんでした。いつも途中で自信がなくなり否定されることが怖くなり、うやむやに自分から引き下がだてしまい、相手の都合に合わせてしまい、自分の意思を通す経験をほとんどして来なかったコトに気が付きました。




そんな自己犠牲的な自分を良い人の様に思い込んでいた気がします。


それは、自分の心が喜こんではいない良い人…。




自分の心とキチンと向き合う意識が足りなかったのだと思いました。



本当はちゃんと自分の心が喜ぶ生き方を求めていたのだと思いました。




今ならば、自分の心が繋がりたいと思う人や場所を意識できる。



今からでも、自分の意思を伝えて相手の意見を聞くコトを意識して、少しずつ身につけていけばいい。



過去や余計なことは考えずに、ただ今の自分自身と向き合ってみようと思いました。




誰かの様にはなれないけれど、ただ今の自分に正直であれば、自然となりたい自分に繋がっていくのかもしれない。




今だからできることが少しずつ更新されていく。