お互い様の優しさの中で生きられたら幸せです。



お互いを認め合う関係というのは、愛し合う関係とも言えます。



愛という言葉の語源は、『人がゆっくり歩きながら後ろを振り返ろうとする心理』を表した漢字なのだそうです。



共に歩く人を慮り気にかけるコト。



太古の時代、生きる為に大陸を横断して安住の地に辿り着いた時に生まれた漢字なのかもしれないと思いました。


 


互いに労り合い、励まし合い、文字を持たなかった時代から『あい』という言葉の響きは、人の優しさと思い遣りを表していたのかもしれません。




子供を産み育てるのが命懸けだった時代、子供はみんなの宝であり、みんなで守りながら成長を促しながら、生きる為の知恵を教え合いながら、私達のご先祖さま達は命を繋ぎ生き延びてくれました。



そのお陰で今の便利な時代を生きる自分が在るのだと…、それこそが自分の歴史であり真実なのだと、少しずつ静かに腹落ちしています。



歴史とは本来、自分のルーツを知るためのものであり、全然知らない人の名前や年表や事件を覚えるコトではなかったのだと思いました。




初等教育とは、生きる為に必要な教えと経験を学ぶ時間。




人として覚えておかなければならないコトを身に付ける為の期間であるのに、人間ではなく、資本主義の都合に合わせた教育を成されて来たのが、敗戦国としての日本だからなのだとしたら…



もうそんな時代は終わりにしなければいけないのだと思いました。




いつまで経っても敗戦国としての扱いを受け入れて、大切な多くが抜け落ちているのが真実なのだとしたら、そんなツケを未来を子供達に押し付けてはいけないのだと思いました。



今からでも出来ること。


日本人として、自分達の幸福を少しずつ増やして未来に繋いでいくこと。


どんな激動の時代でも、どんな危機が訪れても乗り越えてこれたから今が在る。



生きることの大切さ。


お互いに対する気遣いや思い遣りの心を持って、自分と自分の大切な人やモノを守りながら暮らすこと。



そんな簡単なコトを取り戻すだけで、未来はもっと優しく生きやすい方向に繋がっていくのではと思いました。



自分を大切にするコト。 

自分が大切にしたいモノを大切にするコト。



自分自身への気遣いや思い遣りの気持ち。

自己犠牲は優しさではありませんでした。

生きる基本は自分を大切にするコト。




自分と自分の大切なモノのための努力をする。

自分と自分の大切なモノのために我慢をする。

自分と自分の大切なモノを大切にする。



自分の為に、この星が大切だから、この国が大切だから、この町が大切だから、自分の出来るコトをする。



ゴミを拾う。

節電を心掛ける。

食べ物を無駄にしない。

人との繋がりを大切にする。



自分の出来るコトをする。

生きることを楽しむコトをする。