約20年ぶりに叔母の家に遊びに行き、初めて叔母たちから両親の様々な昔話を聞かせてもらい、自分の苦しかった時の話も聞いてもらいました。





貧しさに押し込められた悲しみがあり、貧しかったから頑張れた強さもあり、戦後の炭鉱の街で育った七人兄妹が、父親という稼ぎ頭を無くした幼い家族が、力を合わせて生き抜いて来た姿がそこにはありました。




両親にも様々な歴史があって、その親にもまたその親にも…ただ私が知ろうとしてこなかっただけなのと思いました。




忘れてしまった子供時代、たくさんの大人達が見守ってくれていたから無事に生きて来れたのだと思いました。自分の育った環境の受け入れが、やっと終わった気がしました


 


愛の反対は無関心といいます。



心の中のモヤモヤが晴れる度に、自分の過去を少しずつ理解して受け止める度に、自分自身を受け入れられるようになり、自分への愛が蘇っていく気がしています。



もしかしたら無知と無関心は同類なのかもしれないと思いました。




周りと比べてしまう自分が嫌で


無意識に心を閉ざし、


自分自身への興味関心も、周りの人達への興味関心も持たないようにと、そんな風に生きていたのだと思いました。




少しずつ少しずつ、自分や他人への興味関心が深まり、この世界への興味関心も深めています。



今更ではなく、興味関心を持てた今が私のタイミングなのだと思いました。




記憶力の弱い私だから、ちゃんと心で理解して腑に落とさないと覚えられないのだと分かってきました。



生きづらさを抱えている人の中には、とても記憶力の高い人達がいます。頭の回転の速さも理解力もバランスが取れないと生きづらさにもなる事を知りました。




個々の特性が、成長と共に、環境と共に、浮き沈みを繰り返しながら自分に合ったバランスの取り方を学び、安定する度にステップアップする。




そんな風に人の魂は成長していくのかもしれないと思いました。