フロイトの夢理論 その251
テキストはフロイトの『夢判断・下』(平成16年三版・日本教文社刊)です。引用も特に断り書きのないかぎり、本書からです。
☆意識によって行なわれる却下こそ、ある思考が気づかぬままに入眠時まで継続される原因である。
シェルナーが夢空想に与えている役割と、シェルナーの解釈そのものとはそっくりそのまま承認したが、しかしそれらは夢問題中で別の場所におかれるべきものであることを明確にしなければならなかった。夢が空想を作りあげるのではなくて、無意識的な空想活動が夢の形成に大きく関与しているのである。夢思考の源泉を指摘する問題に関しては、われわれはシェルナーに負うところがある。しかし、シェルナーが夢作業のせいにしているものはほとんどすべてが、日中動いている無意識の活動の所産だと見るべきであり、この活動こそ、夢に対して刺激を与えるのに劣らずノイローゼの症候に対しても刺激を与えるのである。夢作業はなにか全然別個なもの、そしてはるかにより多く拘束されたものとして、この活動から区別されなければならなかった。最後に、われわれは心の諸潮流に対する夢の関係を決して否定したのではなく、これを新しい地盤の上により確固と基礎づけたのである。
つまりわれわれは、われわれの夢学説のもつ新しさと、より高い統一性とを一つにして、いろいろな夢研究家たちの種々雑多な、はなはだしく矛盾し合う諸結論をわれわれの理論構造中にはめ込み、それらの多くのものを別途に利用し、こくわずかなものだけをほぼ全的にしりぞけたのである。しかしわれわれの理論構成も、まだ未完成なのである。心理学の不分明な部門にまで突き進んだためにいろいろ不明瞭な点が出てきたが、これらの点は度外視するとしても、なおまた一つ新たな矛盾があって、われわれを憂欝にする。われわれは一面において、夢思考を完全に正常な精神作業の所産だとしたが、他面において、夢思考のうちには一連のまったく異常な思考過程があって、しかもそれが夢思考から夢内容にまで及んでいるのを発見した。そしてこれらの異常な思考過程を、われわれは夢判断に際して繰り返すのである。われわれが「夢作業」と名づけたいっさいのものは、われわれに正確なものとして知られている過程からはひどくかけ離れているように見えるために、夢を見るということは低級な心的作業だとする一部研究家の最もきびしい判断もわれわれはいかにももっともだと思わずにはいられない。
ここで事態を解明し、なんとか方途を見出すためには、おそらくさらに研究を押し進めてゆくよりほかあるまい。そこで、夢形成に導く状況の一つを取りあげてみよう。
夢は、われわれの日中生活に由来し、完全に論理的な筋道をもっている若千の観念を代理しているということを、われわれは知った。したがってわれわれは、これらの観念がわれわれの正常な精神生活に発するものであることを疑うことはできない。われわれがわれわれの思考の歩みにおいて高く評価するすべての特性は、またわれわれの思考の歩みというものが高級で複雑な作業だということを特徴づけるものでもあるが、こういう諸特性は夢思考にもまた見出せるのである。だが、こういう思考作業が睡眠時中に行なわれたと仮定しなければならぬ必要はすこしもない。もしそんなふうに想定すれば、心の睡眠状態についてわれわれがこれまで固持してきた考えはひどく混乱してしまうであろう。むしろこれらの観念は疑いもなく日中から由来し、その発生時以来、われわれの意識には気づかれることなくひき続き存在してきたものであって、それから眠り込むと同時に出来上がったものとなって存在したのである。こういう事情から何かを引き出さねばならぬとすれば、それはせいぜい、最も複雑な思考作業も意識の協力なしに可能である、という証明であろう。われわれはこのことをそうでなくても、ヒステリー患者や強迫観念をもった人間の精神分析によって知らずにはいられなかった。これらの夢思考は、それ自体では確かに意識の中へ入ってゆく能力はない。それが昼の間中われわれの意識にのぼらずにいたとすれば、これには種々の原因があるのであろう。意識化はある特定の心的機能、すなわち注意力の支援とつながりをもつ。ところでこの注意力は、どうやらただ一定の量においてのみ消費されるらしく、この一定量は当該思考過程から他の目標のためにほかに逸らされることもあるようであった。これとは別種のもので、このような思考の歩みが意識にのぼりえない場合は、次のような時である。すなわち、われわれはわれわれの意識的反省から、注意力を消費するにあたりある特定の道をたどることを知っている。ところでこの途上で、批判に堪えられない表象に出会うと、われわれは途中でその道をたどることをやめる。つまり、注意力に必要なエネルギー充当を差し止めるのである。さて、一旦開始されて、途中で中止された思考の歩みは、注意力が再び自分の方に向けられなくても、ひきつづき継続されうるもののようである。この思考の歩みがある個所で特に高い強度に達し、注意力を有無をいわさず自分の方に向けさせるのでない限りは、一般には思考の歩みに向けられることはないのであるが。それゆえ、正しくないとか、思考行為のアクチュアルな目的にとって役に立たないとかという判断による、最初のうちに、ひょっとして意識によって行なわれる却下こそ、ある思考過程が意識によって気づかれぬままに入眠時まで継続される原因であることもある。
(370~372頁)
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☆Comment
ぼくは眠りから醒めるごとに枕元においてあるメモ用紙に見たばかりの夢をメモしていきます。最近の夢は、何かに取り組んでいることが多いです。こうしたらうまくいくか、そうじゃない、こうすればいいんだよ、といっている感じのやりとりがあって、どうにかうまくことが運びそうになるといった感じの夢が最近は多いような気がします。
(この項つづく)
(メルマガ・2021年5月3日)
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