フロイトの夢理論 その199
テキストはフロイトの『夢判断・下』(平成16年三版・日本教文社刊)です。引用も特に断り書きのないかぎり、本書からです。
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速読の効果と気づき95
ぼくは毎日「Stay Home」でなるべく外出しないようにしている。おかげで執筆に回す時間が増えて好都合だ。テレビではパチンコの営業を自粛しない店を公表すると言っている知事がいる(4月27日現在)。テレビでは客になぜパチンコにくるのか、と記者が質問している。客は楽しみで来ているのだ。たとえばぼくに執筆を自粛しろと言われたら困ってしまう。それと同じことだ。パチンコが執筆より価値が低いなどということはあり得ない、と吉本隆明さんなら言うだろう。もし、生きていれば、コロナ騒ぎでも切れ味の鋭い発言をしてくれただろう。その人にとってとても大切な遊びはなにものにも替え難い。それはたいていの人がひとつくらいは持っている。それを自粛しろといわれたときの辛さを考えて、人は発言してほしいものだ。
☆夢を書きとめる際の言葉づかいそのものが夢表現の一部分なのである。
「(八)ある別の夢の関連中に、これまた夢の中での体験を怪訝に思う気持の表現が見出されるが、しかしその表現には、非常に目立つ、こじつけ気味の、奇抜とさえいえるほどの説明の試みが結びついている。それで、そのことだけからでも、この夢全体を分析してみずにはいられない。もっとも、この夢には、われわれの感興をひく他の点がなお二つ含まれている。七月十八日から十九日にかけての夜に、私は南部線に乗っていて、眠りながら、「ホルトゥルン、十分」と叫ばれるのを聞いた。私はすぐにホロトゥーリェン(海鼠)――ある自然博物館――のことを考えた。またボルトゥルンは、勇敢な男たちが領主の優勢な軍勢と戦って一敗地にまみれた土地だということも思い出した。――そうだ、オーストリアの反宗教改革運動!――シュタイアーマルクか、テイロールのどこかでもあるかのように。するとその時、小さな博物館がぼんやり見え、その博物館の中には、あの勇敢な男たちの骸骨や戦利品が保存されている。下車したいのだが、躊躇する。プラットフォームには、果物をもった女たちが立っている。女たちは地面にしゃがみこんで、さあいかがと籠を差し出す。――まだ時間があるかどうか危ぶんで、私はためらった。しかし今になってもまだ汽車は発車しない。――急に私は別の車室にいる。座席がとても狭いので、背中がじかにうしろの背もたせにぶつかる。これはどうもおかしいと思うが、しかしどうも眠っているまま乗り換えてしまったらしい。大勢の人がいて、その中にイギリス人の兄妹もいる。壁の棚に、本が並んでいるのがはっきり見える。『国富論』『物体と運動』(マックスウェル著)がある。部厚い本で、装幀は茶のクロースだ。男の方が妹らしいのにシラーの本のことをたずね、「お前はあれを忘れたんじゃないか」という。私の本のようにも思えるし、兄妹の本のようにも思われる。私は兄妹の会話に割りこんで、それを確かめるか、根拠づけるかしたいと思った。――》眼を覚ますと、全身にびっしょり汗をかいている。なんせ、窓という窓が全部閉っていたんだから。汽車はマールブルクに停車していた。
*〔原注〕 この記述は私自身に解しかねるのであるが、書きとめる際に思い浮ぶ言葉で夢を再現するという原則 を守ることにする。言葉づかいそのものが夢表現の一部分なのである。
この夢を書きとめているうちに、記憶が看過しそうになった夢の一部が思い浮んだ。《私は例の兄妹に、ある種の著書に対して英語で「それは……から」と言いかけて、「それは……によって」と言い直した。兄は妹に向かい、「あの人の言った通りだ」と注意した》
この夢は、駅の名で始っており、その名が私を不完全に眼覚めさせたのにちがいない。マールブルクというこの駅の名を、ホルトゥルンにおき換えている。駅員の最初の、あるいはおそらくもっと後の呼び声ではマールブルクと聞いていることは、夢の中にシラーのことが出てくることによって証明される。シラーはたしかに、シュタイアーマルク州のマールブルクではないけれど、マールブルクで生まれているからである。ところで今回は、一等に乗っだのに、非常に不快な状況で旅をしている。汽車は超満員で、車室で紳士と淑女に出会った。身分はたいへん高いらしいのだが、私という闖入者を明らかに不快に思ったようで、しかもそれを隠すだけのエティケットを持ち合せていないか、あるいはなにも強いてそうするにもあたらぬと考えているふうだった。こちらが鄭重に会釈したのに、知らん顔をしていた。この男女は並んで(進行方向に向かって)掛けていたのに、私か入ってくるのを見ると急いでパラソルで、自分の向かい側の窓ぎわの席をふさいでしまった。ドアはすぐ閉められ窓を開けられては困るという会話が聞こえよがしに取り交された。私かどんなに息苦しい思いでいたか、おそらく誰にもわかったはずだ。暑い夜で、四方八方こう閉めきられては車室の中は窒息しそうであった。自分の旅行経験からすると、こんなあたりかまわず威張りくさった態度を取るのは、ただ切符か、半額料金で乗っている連中にきまっている。車掌がきたので、私は身銭を切った高い切符を見せていると、淑女の口からいやにつんつんした、嚇(おど)かすような調子で、「うちの人は無料パスをもっていますんですのよ」という言葉が響いてきた。容姿は立派だが、不思議な顔つきをした女で、どうやら女の美しさの衰えかける年の頃である。且那の方はほとんどものも言わず、身動きもしない。私は眠ろうとした。そして夢の中で、このいけすかない相客どもに手ひどい復讐をしてやったというわけである。夢の前半部の切れ切れな部分の背後に、どれはどの悪罵と誹謗がかくされているか、ちょっとわかるまい。この悪罵・誹謗の欲求が充たされてから、車室を変える第二の欲求が顔を出した。夢は頻繁に場面を変えているが、そういう場面の変化にすこしも反発は感じられていないのだから、仮に私が相客を自分の記憶している、もっと好ましい人によっておき換えたとしても、ちっともおかしくはなかったほどである。しかしここに、何かあることが場面の変更に異議を申し立て、その変更理由を説明する必要があると考えたような一事情が起っているのである。どのようにして私は急に別の車室に行ったのか、私には乗り換えをした記憶は全然なかった。それで説明はたった一つしかなかった。つまり、私は眠っているままその車両から出たに相違なかった。まったく珍しい出来事だが、しかし神経病理学者ならそんな例はいくつも知っているわけである。朦朧状態で汽車に乗っていて、なんらかの徴候でその異常状態を人に洩らしてしまうこともしないで、途中どこかの駅で完全に正気を取り戻し、自分の記憶に穴があるのに今さらのように驚くのである。つまり私はまだ夢を見ていながら、自分のケースをこういった「夢遊症」の場合だと説明しているのである。
*〔原注〕 シラーはマールブルクではなく、マールバッハに生まれたことくらいは、どんな中学生でも知ってい
るし、私だって先刻承知している。だからこれもまた故意の変造の代用として別の個所にまぎれこんでくるあ の誤謬の一つ(上巻二三四頁参照)である。この種の誤謬の説明は、拙著『生活心理の錯誤』中で試みておいた。」
(211~214頁)
☆辞書・事典から
夢遊症=夢遊病とは睡眠時に発作的に起こる異常行動をさす呼び名で、睡眠時遊行症というものです。 無意識の状態で起きだして、歩いたりするなどの行動をしたのちに再び就寝するといった症状が最も多く、その間の記憶が一切ないのが特徴です。
☆Comment
ぼくは枕元にメモ用紙をおいています。夜中に起きたときでも、朝起きたときでも夢を見ていればそれを書き留めます。正確に書き留めている自信はありません。こんな夢だったかな、とおもいながらメモしていくのです。そのメモをもとにして日記に夢の内容を書いていきます。いそいで書いたのと、夢をあまり覚えていないことが多いので、正確に復元できている自信はありません。それでも「書きとめる際に思い浮ぶ言葉で夢を再現するという原則を守ることにする。」ということと、「言葉づかいそのものが夢表現の一部分なのである。」という原則にそって、ぼんやりした頭で思い出しながら夢を毎朝記述しています。
(この項つづく)
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