教行信証の読み下し分と訳文――その76
☆覚った方である阿弥陀仏を念じる瞑想をすれば多く罪を清め払うことができる。
○読み下し分 『顕浄土真実教文類二』その63
(聖教電子化研究会より引用) 聖典187頁
82(観経義疏)三論の祖師、嘉祥の云わく、問う、念仏三昧は何に因ってか、よくかくのごとき多罪を滅することを得るや、と。解して云わく、仏に無量の功徳います。仏の無量の功徳を念ずるがゆえに、無量の罪を滅することを得しむ、と。已上
○『教行信証講義』 山邊習學 赤沼智善 共著発行所 無我山房 平楽寺書店 初版発行 大正3年6月25日 底本 昭和6年5月1日発行 第13版より引用
第十二科 嘉祥大師の釈文(1-589)
【字解】一。嘉祥 名は吉蔵、三論宗の祖師。支那金陵の人にて、姓は安氏、十二歳興皇寺法朗に仕え十九才にて早く『百論』を講じ、後、秦望に遊び嘉祥寺に入りて教を説かれた。揚州の慧日道場、京師日厳寺に転住し、唐の高祖の詔〈みことのり〉に依りて延興寺に教を布き、武徳六年六月(紀元六二三)入寂せられた。寿七十五。後世嘉祥大師と称した。
【文科】嘉祥大師の 釈文を引き給うのである。
【講義】三論宗の祖師、嘉祥大師はその著『観経疏』に云く、問う念仏三昧はどういう道理〈わけ〉でこの多くの罪を滅することが出来るのであるか。この質問〈とい〉に解釈を与えて曰く、そは阿弥陀仏に無量の功徳がまします。この阿弥陀仏の無量の功徳を念ずるために、吾々凡夫は曠劫このかたの無量の罪を滅して頂くことが出来るのである 已上。(1-590)
○訳文(鈴木大拙の英訳にもとづく現代日本語訳親鸞『教行信証』・東本願寺出版より引用) その76 本文 64頁
「三論宗の長老、嘉祥(かじょう)は〔次のように〕言う。
質問したい。
〈覚った方を念じる瞑想〉が、これほど多くの罪を清め払うのは、何故(なにゆえ)に可能なのか?
答えよう。
〈覚った方〉は無限の価値〔あるいは能力〕を有している。だから、その無限の価値に思いを馳(は)せれば、どれほど多い罪でも清め払うことができるのだ。
☆辞書・事典から
三論宗=南都六宗・中国十三宗の一。三論をよりどころとして,空(くう)・中道を説く。中国には晋代に鳩摩羅什(くまらじゆう)が伝え,隋の吉蔵が大成。日本へは625年高麗僧慧灌により伝えられ,奈良時代に盛んに研究された。
嘉祥=中国仏教の一宗派(学派)で、日本にも伝わり南都六宗の一つに数えられる。『般若経(はんにゃきょう)』の空(くう)を論じた『中論』『百論』『十二門論』の三論に基づくのでこの名がある。無得正観(むとくしょうかん)(空にも有にもとらわれない八不中道(はっぷちゅうどう)を観ずること)、破邪顕正(はじゃけんしょう)(誤った見解、とらわれを打ち破り、正しい道理を顕(あらわ)すこと)を説く。『中論』『十二門論』はインドの龍樹(りゅうじゅ)、『百論』はその弟子提婆(だいば)の著作。いずれも401年に長安にきた鳩摩羅什(くまらじゅう)により漢訳され、門下に研究された。梁(りょう)代に僧朗がこれを江南に伝え、僧詮(そうせん)―法朗(ほうろう)―吉蔵(きちぞう)と受け継がれた。吉蔵は嘉祥大師(かじょうだいし)と称せられ、三論の注釈書『中論疏(しょ)』『百論疏』『十二門論疏』および『三論玄義』などを著して三論の教学を大成した。
☆Comment
問題は〈覚った方を念じる瞑想〉とはどんなものか、ということです。
(この項つづく)
源氏物語の登場人物の性格》その247
(国民の文学3源氏物語上 与謝野晶子訳 河出書房新社 昭和39年刊より引用)
☆『源氏物語』の性格描写
○源氏が明石出発前にたずねたときの花散里の歌
「月影の宿れる袖は狭くとも
とめてぞ見ばや飽かぬ光を」「(須磨・217頁)
☆辞書・事典から
宿れる=ある場所にとどまる。位置を占める。
とめてぞ=その状態のまま残す。
訳=月の光があたっている私の袖は狭いですが、貴方だとおもってそこにとどめていつまでも見つめていますわ。
☆Comment
源氏は明石に行く前のお別れに、花散里を訪ねます。二人は月をみながら語りあって夜明けになった。そのときの花散里の歌です。
(この項つづく)
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