教行信証の読み下し分と訳文――その72
☆命の尽きる瞬間に恐怖から解放されたいなら、この〈教え〉に傾注すべきだ。
○読み下し分 『顕浄土真実教文類二』その59
(聖教電子化研究会より引用)
聖典186頁10行目~187頁2行目まで
78(観経義疏)慈雲法師の云わく、ただ安養の浄業、捷真なり。修すべし。もし四衆ありて、また速やかに無明を破し、永く五逆・十悪重軽等の罪を滅せんと欲わば、当にこの法を修すべし。大小の戒体、遠くまた清浄なることを得しめ、念仏三昧を得しめ、菩薩の諸波羅蜜を成就せんと欲わば、当にこの法を学すべし。臨終にもろもろの怖畏を離れしめ、身心安快にして衆聖現前し、授手接引せらるることを得、初めて塵労を離れてすなわち不退に至り、長劫を歴ず、すなわち無生を得んと欲わば、当にこの法等を学すべし。古賢の法語によく従うことなからんや。已上五門、綱要を略標す。自余は尽くさず、くわしく釈文にあり。『開元の蔵録』(開元釈教録)を案ずるに、この経おおよそ両訳あり。前本はすでに亡じぬ。いまの本はすなわち畺良耶舎の訳なり。畺良耶舎ここには時称と云う。宋の元嘉の初めに京邑に建めたり。文帝のとき。
○『教行信証講義』 山邊習學 赤沼智善 共著発行所 無我山房 平楽寺書店 初版発行 大正3年6月25日 底本 昭和6年5月1日発行 第13版より引用
【字解】一。天竺寺 支那杭州の飛来峰の傍の精舎にて、飛来峰は、天竺の霊鷲山が飛んで来たのであるといいつたえて居るので、寺号も天竺寺というたものである。正しく円福寺というのである。
二。遵式 天台宗。支那天台郡寧海の人、字〈あざな〉は知白、禅慧法師、または慈雲懺主ともいう。初め禅を学ぴ、二十二歳の時、宝雲について天台を学び知礼と親交あり、二十八歳『金光明経』『維摩経』等を講じた。咸平三年大旱の時、雨を祈り三日の中降らずんば、我身を焼かんと誓うたが雨大〈おおい〉に降った。天台山の西方に庵室を設けて念仏三昧を修し、明道元年十月(紀元一〇三二)寂光浄土に生るというて入寂せられた。寿六十九。
三。四衆 仏法の四衆というて比丘、比丘尼、優婆塞(清信士)、優婆夷(清信女)の称。
四。大小戒体 大乗戒の戒体と小乗戒の戒体。戒体というは、戒を持つときに受戒者の心中に発得する無表色のことをいう。かくの如き特殊の戒の体性となるものがあって、戒を相続せしむるというのであ(1-580)る。
五。塵労 心を労れしむる塵、すなわち煩悩のことをいう。
六。『開元蔵録』 『開元釈教録』のこと。二十巻、唐の開元十八年西崇福寺智昇の撰。後漢の永平十年より開元までの経律論、集伝、失訳等二千二百七十八部を録したものである。縮蔵、結四にある。
七。[キョウ04]良耶舎 梵音カーラヤシヤス(Kalayasas)、時称と訳する。西域の人、宋の元嘉の初め沙河を冒して支那に来って、鐘山の道林精舎に居られた。元嘉十九年(四四二)岷蜀に行きて後、還って江陵に死なれた。寿六十。
八。僧伝 梁の『高僧伝』。十三巻。梁の会稽嘉祥寺沙門釈慧皎の撰にかかる。縮蔵致二にある。
【文科】元照律師の釈文のうち、古釈に依って信を勧むる文を引き給うのである。
【講義】慈雲法師の云く、(この人は天竺寺におった天台の遵式である。)仏教にも種々の教があるが、その中〈うち〉唯〈ただ〉安養浄土へ往生する念仏のみが、真実〈まこと〉の捷径〈ちかみち〉である。進んで修めねばならぬ。もし道に進まんとする出家在家の凡〈すべ〉ての人々にして、心の無明を破り、永く五逆、十悪等の重罪軽罪を滅〈なく〉したいと欲〈おも〉うならば、何を措いてもこの念仏の法門を修むるがよい。また大小乗の戒の功徳を獲て、常に清浄ならしめ、菩薩利他の六度の行を修めたいと欲うならば、この念仏三昧を修むるにしくはない。この念仏の法から自〈おのずか〉ら利他の善根は生(1-581)れてくるのである。次に臨終の時、凡〈すべ〉ての怖畏〈おそれ〉を離れ、身も安らかに心も快く、衆〈おお〉くの仏菩薩の接引〈おてひき〉に逢うことを獲、命終るや初めて一切の煩悩を離れて、不退の位に至り永劫の長い修行も経ずして、一念の立〈たちどころ〉に生即無生の証りを開きたいと欲うならば、この念仏の法門〈おしえ〉を学び、古えの聖賢の法語に一致するがよい。この結構な利益が会得〈のみこ〉めたならば、如何な人もよもやこの教えに従わずには居られぬことであろう。
已上五門に頒けて『観経』を釈し、大略一経の要領を述べ終った。余の委細な事は、下の文義を解釈する所にゆずる。
さてこの観経に就いて、『開元釈教録』を按〈しらべ〉て見ると、この経に二訳ありて、前訳は欠本になり、[キョウ04]良耶舎の後訳だけが残っている。今はこの本によりて解釈を施したのである。梁の『高僧伝』には、良耶舎は「時称」と訳す。宋の元嘉の初年に京師に達せられた。即ち劉宋の第三代目の文帝の時代である。
【余義】一。『観経』に二訳説と三訳説とあるが、『開元録』は二訳説であって、元照律師またここに両訳ありといい、その両訳のうち、『開元録』に依ってみると、前本は欠本となり、[キョウ04]良耶舎の訳が行われて居ると曰われるのである。ところが、現行の『開元録』十二(1-582)には、「観無量寿経」一巻、宋の西域の三蔵良耶舎訳、第一訳とある。同十四巻には、欠本の部に宋の賓三蔵曇摩密多訳の『観経』をあげて第二訳としてある。されば、『開元録』は上の本文の「前本已亡(前本すでになし)」とあるに相違してある。そこで『内典録』を調べて見るに、その第一巻に後漢時代の翻訳にかかる本経の失訳をあげ、第三巻には東晋時代の翻訳にかかる本経の失訳をあげ、更に第九巻の上には今の[キョウ04]良耶舎の訳をあげている。これによりて見れば、『観経』は三訳ありて、前二訳は欠本となったことが知れる。これは上の本文に、両訳あるというには相違しているが大体に於いて一致している。然れば、本文に『開元録』とあるは、「両訳あり」というは正しく『開元録』であるが、前本已亡〈前本すでになし〉というは、『内典録』に依ったものではなかろうか。或いはまた、「前」の字が「後」の字の誤りか。いずれか判じ難い。
○訳文(鈴木大拙の英訳にもとづく現代日本語訳親鸞『教行信証』・東本願寺出版より引用) その72 本文62頁
「慈雲法師は〔次のように〕言う。
ただ〈平和と安息の清浄な国土〉だけを求めるべきだ。〈覚った方〉を念じることは実を結ぶこと速やかで、真実なのだから、重罪――〈五種の重罪〉や〈十種の悪行〉等――まで、あらゆる罪を清め尽くしたいと望むなら、この〈教え〉に専念すべきだ。戒律の大小を問わず、それを守ることで身を清め、汚れを洗い流したいと、〈覚った方を念じるという瞑想〉に没頭したいと、また〈覚りを求める者〉に相応(ふさわ)しい〈覚りへと至る修行〉を成し遂げたいと望むなら、この〈教え〉に傾注すべきだ。命の尽きる瞬間にあらゆる恐怖から解放されたいと、心身共に穏やかに安らかになりたいと、両手を広げた〈聖者の主〉に抱き上げられたいと望み、そこで初めて、忙(せわ)しき努めを離れ、〈決して後戻りしない段階〉に到り、そして、遠大なカルパを経ることなく〈〔ものごとはそれ自体として〕生ずることはない〉〔という智恵〕を得たいのなら、この〈教え〉に傾注すべきだ。これらは古(いにしえ)の賢者たちが、〈教え〉を講じたものなのに、何故それに従わないのだろうか?
以上、各論的にではなく総論的に、五つの主題で〈清浄の国土〉の要点を述べた。詳細な議論は以下の注釈に譲る。
『〈三種の書物群〉の開元〈時代〉の目録』によると、この『経典』の翻訳は二本あり、古い方は現存していない。入手できるのはカーラーヤシャスの翻訳である。『伝記集』によれば、カーラーヤシャスとは「美麗なる季(とき)」のことで、宋王朝の文帝(ぶんてい)の時代、元嘉(げんか)年間の始めに首都にやって来た人という。」
☆辞書・事典から
五種の重罪=五逆=仏語。5種の最も重い罪。一般には、父を殺すこと、母を殺すこと、阿羅漢(あらかん)を殺すこと、僧の和合を破ること、仏身を傷つけることをいい、一つでも犯せば無間地獄(むけんじごく)に落ちると説かれる。五無間業。五逆罪。
十種の悪行=十悪= 仏語。身・口・意の三業(さんごう)がつくる10種の罪悪。殺生・偸盗(ちゅうとう)・邪淫・妄語・綺語(きご)・悪口(あっく)・両舌・貪欲(とんよく)・瞋恚(しんい)・邪見の総称。
カルパ=劫(こう)は仏教などインド哲学の用語で、極めて長い宇宙論的な時間の単位。サンスクリット語 kalpaの音写。劫波,劫簸などとも記される。非常に長い時間という意味。上下四方 40里の城いっぱいにけしを満たし,3年ごとに1粒ずつけしを取除いて,すっかりけしがなくなってしまう時間を劫と説明したのを芥子 (けし) 劫という。さらに上下四方 40里の岩を,天女が天から3年ごとに下ってきて,羽衣でひと触れしているうちについにその岩がすりへってなくなってしまうのを磐石劫という。また,芥子劫,磐石劫を小劫とし,上下四方 80里の城と岩にたとえる場合を中劫,さらに 120里にたとえるのを大劫とする場合がある。
☆Comment
〈覚った方を念じるという瞑想〉に没頭するというのはどういう状態なのでしょうか。
(この項つづく)
源氏物語の登場人物の性格》その227
(国民の文学3源氏物語上 与謝野晶子訳 河出書房新社 昭和39年刊より引用)
☆『源氏物語』の性格描写
○藤壺(中宮)は御八講を催した。
十二月の十幾日に中宮の御八講があった。
「法華経はいかにして得し薪(たきぎ)こり
菜摘み水汲み仕えてぞ得し」「(榊・199頁)
☆辞書・事典から
御八講=『法華経』全八巻を朝座・夕座の二度、四日間連続講説する法会。
薪=かまど・炉などで燃料にする細い枝や木。たきもの。まき。
樵る=山林の木を切る。たきぎをとる
菜=つみとって食用にする草。葉や茎・根を食用にする草の総称
この歌は大僧正行基の歌と伝えられる「法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水くみ仕へてぞ得し」からとられたものである。
訳=法華経の教えをどのようにして得られたかというと、 薪を取り、菜を摘み、水を汲む修行をしたからこそ得られたのである
☆Comment
法華経という言葉をぼくは子どものころからよく聞かされました。母が日蓮宗系のある宗派の強信者でしたから、「南無妙法蓮華経」という題目をきかない日はありませんでした。
それはぼくの耳に脳に肌に胸にこびりついています。それだからたとえ今、信仰していなくても、仏教のことをテーマにブログを書き続けているのだとおもいます。
源氏物語では藤壺(中宮)が自身の出家をこの儀式の最終日に仏前に報告しました。みな意外の感に打たれました。源氏もあわてたのです。
(この項つづく)
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